参加しなくてはいけないTPP

TPP(環太平洋経済連携協定)で世論が大きく2つに割れている。

仕事がらテレビや活字メディアで、TPP問題での私見を述べてきた。TPPはすでに2年前に参加すべきだったと思っている。交渉国はすでに10回近くも協議を重ねているが、日本は今からでも参加しなくてはいけない。

理由はたくさんある。積極的な理由と消極的な理由、さらに数字の上でも参加すべき理由がある。反対派の学者やジャーナリストのトーンの中に、アメリカに「日本が乗っ取られる」「思うように牛耳られる」というものがあるが、アメリカをあまりにも知らないので驚いている。

この件で、反対派の人間は誰もアメリカ人の意見を広範に、しかも直接、聞きに行っていないことは彼らの言動ですぐにわかる。アメリカは本当に日本を乗っ取るつもりなのか。乗っ取るために日本をTPPに入れようとしているのか。

「訊いても本当のことは言わない」と思うこと事態、アメリカを知らない人の発言である。日本人より本音、いや本音しか話さないので日本については批判も讃辞も聞ける。USTR(米通商代表部)や国務省、アメリカの大学やシンクタンクの研究者、財界、労組、一般市民に訊かなくてはいけない。

そうすれば、アメリカも決して一枚岩ではなく、さまざまな意見があることがわかる。そして日本の反対派の言説が邪推であることが分かる。TPPはアメリカから誘っているわけではないことも。

反対派は農業関係者も含めて、近視眼的にものを言う人が多くて20年、いや30年先の世界の貿易体制の中にいる日本の立ち位置を想像できていない。保護主義を敷いて、国を閉ざすというオプションなどあってはいけない。

TPPに参加すると「亡国」という人がいるが、私は逆に参加しないと日本の「亡国」は目に見えていると思う。先日も、アメリカ政府の元高官と電話で話をすると「日本は守りの態勢に入らないで、もっと攻めてこないと。それでアメリカと一緒にルール作りをしましょう」と言ってきた。

しかも、TPPにはこれからカナダやメキシコも入る可能性が高いことが今日のAPECでわかった。現時点で中国は「入れていない」が、FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)への道筋としていずれは中国も参加してくることになるだろう。

中国はいま「誰も誘ってくれない」といじけているが、中国がTPPのルールを遵守し、メンバー国になった時に日本が入っていないということなど考えられない。日本は「入れてもらう」ではなく、積極的にアメリカと引っ張っていく役割を担わなくてはいけない。

ここまでは積極的な理由である。消極的な理由もある。過去30年間の日米交渉の結果を見て、日本は多くの場面で負けてきた。来年からのルール作りと交渉でも、日本の審議官や交渉者が圧勝する可能性は低い。

全体的なルール作りでも関税撤廃の特例条項でも負けるので、それが結果的に日本の農業を集約させて企業化への道が開かれる可能性がある。いまのままでは農地の集約化を含めた農業改革も先送りされたまま、小国への道を辿るだけだが、「開国」によって本当の日本農業の改革への道筋ができるかもしれない。

いやいやながらの外圧に従わざるを得ず、結果として多少の犠牲はあっても、一般消費者にとっては「ありがたい」と思えることが増えていく。自民党時代はすべてそうだった。民主党でも大差はない。

これまでもガン保険が日本で導入されたり、コンビニでビールが買えたり、携帯電話が使えるようになったりという末端市場での恩恵は市民がもっとも感じているはずだ。それによって町の酒屋が廃業に追い込まれたという現実はある。

最後に、実質的な参加表明をした野田がオバマや参加国のリーダーたちに、間違っても「参加させていただきたいと思います」といった日本的な、よろしくお願いします調の言葉使いをしなかったであろうことを祈るだけだ。

すでにオバマに言ってしまったかもしれない。通訳がなんと訳したかは知らないが、国際会議の場でこれほど消極的でやる気の示せない表現はない。日本的な言葉の配慮は英語ではむしろマイナスだ。野田がどれだけわかっているのか。アドバイスした役人がいるのかどうかはわからない。

もし「お願いします」発言をしていたら、もうすでに日本は交渉で1本を取られて「ついていきます」と言ったも同然である。そうなると消極的な理由で日本が変わるというシナリオになる。(敬称略)

スリランカ蟹、「もういい」です

                    

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上海ガニの季節である。先週、シンガポールにいる時に、チャイナタウンで上海ガニが食べられるかと思ってマーケットを散策していた。

一見すると上海ガニのようだが、一回り大きい。訊くと「スリランカ蟹」という種類だという。チャイナタウンのマーケットでは小さいもので1匹6ドル(シンガポールドルなので約360円)。大きいもので20ドル(約1200円)。生きている。

ガイドブックに書かれていた通り、多くのレンストランでいくつもの調理法で出されていた。

「一番のおすすめでお願いします」

出てきたのはチリソースに絡められた、オレンジ色で満開といった大ぶりのスリランカ蟹だった。ソースはチリがベースとはいえ、頬をすぼませるほど辛くはない。白米の上にかけて食べると食欲が増す。

ただ蟹の甲羅が手に負えないほど硬く、途中でお手上げ状態になりかけた。ロブスターのハサミをつぶす時に使う器具をつかっても、松葉ガニを食べるときのように肉がプリンと出てくるわけではない。

「もっと食べやすく調理してほしい」と思いはしたが、店の人に言うわけにもいかず、そのまま両手をチリソースまみれにしながら一応食べ終えた。

蟹肉はしまっていて、ほのかに甘みがあり、ホタテ貝を食べているようでもあったが、食べた満足感よりもベトベト感と格闘による疲労感が強く、「もういいや」が本音だった。

政治システムに完璧なし

このところ、崩れゆく資本主義の行き先について考えている。

シンガポールに来て、ひとつのヒントがここにあると思ったが、シンガポール人10名ほどと話をすると次から次へと不満が口をついてでる。どこの国でも現政権に対する批判はあるが、人口も増え、経済成長もいちじるしく、生活水準も高いこの国でも求めるものはつきないことがわかる。

                            

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1965年の独立以来、現在の首相リー・シェンロンで3人目のリーダーである。政治的には人民行動党の一党独裁で、国家資本主義を推進している。

市民は普通にカネ儲けに走ることができるが、車1台買うのに所有許可証を数百万円はらって取得しなくてはならず、制約は少なくない。

政治的にモノ事を進めるときに、「緩やかな独裁」は日本とは比較にならないくらいのスピード感で決断できるが、首相の年俸は数億円で、一部の富裕層は何台もの車を所有し、一般市民との間に格差がひろがっている。

それでも憤懣が表出しているわけではない。「独裁者」を打ち倒そうという運動は起きないのか問うと、「ないない。平穏は保たれているから」とリビアのような独裁者とは違うと言う。

人口約520万。4割弱は移民である。母国語はマレー語だが、コンビニの店員もタクシーの運転手も英語を話す。淡路島とほぼ同じ面積のこの国は、気候も町のつくりもどことなくフロリダに似ている。

若い国だからこそ高い効率を追求した国家が建設できたのか、それとも緩やかな独裁だからなのか、はたまた中国人を中心にした混成チームによる国民性のあらわれなのか。

日本国内にシンガポールに似たモデル都市を作っても面白い。

    

反格差デモの本質

前回のブログの冒頭で、「もしかすると資本主義は機能しないかもしれない」と書いた。ウォールストリートで起きているデモの根源的な原因はそこにたどり着くかもしれない。

15日午前、日テレのナマ番組に出演機会があったので同じことを述べたが、テレビでは時間が少な過ぎて説明する時間がなかった。本当にテレビは「瞬間芸」で勝負する媒体だと再認識する。デモについての私見は、某出版社のH氏からも要望があったので、このブログで少し述べることにする。

社会格差は資本主義社会である以上、いつの時代にもあった。アメリカでは初代大統領のジョージ・ワシントンがすでに一般労働者の1000倍の給料をとっていたことはアメリカではよく知られている。あとは程度の問題だ。

1930年代くらいまで、アメリカの大企業トップと一般社員の給与の差は30倍くらいに落ち着いていた。いまのような300倍を超える格差が問題視されはじめるのは90年代以降で、特にストック・オプションが企業役員の総合報酬制度(コンペンセーション)の中に組み込まれるようになって以降のことである。

社会格差というのは社内格差から始まっていて、それはリーマンショック後もほとんど改められていない。トップ1%がアメリカの富の40%を牛耳り、トップ4%では8割近くになるという不条理は、デモがあったところで変わらない。

これは究極的なエゴイズムの追求であり、他人も国家もどうなろうが構わないという意識が具現化された資本主義社会の末期的な兆候かもしれない。

さらに、数回前のブログで記したように、「コーポレートランド」の暗躍によって、大企業が小国家よりも強大な経済力を持つようになってきた現実を突きつけられている。いずれは市民の大きな反乱につながらないとも限らない。

奇しくも、19世紀後半、マルクス・エンゲルスはこうした資本主義の邪悪性を看破し、その上の段階として共産主義を唱えていたが、共産主義の幻想もまた実証されていて、社会がどういった方向に進むのか、いまはわからないとしか答えられない。

                                   

   
 

新国家主義への道筋

「もしかすると資本主義は機能しないかもしれない」

この仮説を耳にしたのは今春、ハーバード大学経営大学院の教授と会った時のことである。

仮説の段階に過ぎないが、世界の経済・金融情勢を眺めると仮説を十分に実証できるほどの危機感を携えている。話の後半、「資本主義危機論」は教授一人の考えではなく、世界中の政治家や企業家、学者の多くが共有する憂慮であることを知った。

すでに資本主義は機能不全を起こして、世界各地でその症状が出ていると理解して間違いない。しかし学究的な論考が積み重ねられるのはこれからである。
 
そんな時、『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌が9月号で「世界資本主義の危機:どう対処するのか」という特集記事を組んだ。ハーバード・ビジネス・スクールにいる3教授による共著で、内容はまさに私が小さな衝撃を受けた資本主義危機論だった、、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。