神韻を感じる

神韻2024日本公演

中国の古典舞踊の分野で名を馳せている神韻(シェンユン)芸術団の公演を初めて観てきた。以前から神韻については何度も耳にしてきたが、今日初めて目にして深い感銘を受けた。

華麗にして力強く、困難をことをまるで何ごともなかったかのようにこなしていく団員たちの技術の高さと完成度には言葉をなくした。団員たちがみな柔軟で、踊りに長けていることは改めて指摘する必要はないだろうが、最初にハッとさせられたのは、3人が片足だちで両手を広げたまま高速回転したときだった。

20回転くらいしたかと思う。驚かされたのは、回転の速さではなかった。3人は同じタイミングで回転をピタリと止めて、同じポーズを取ったのだ。まるで特撮映画を観ているかのようだった。しかも「どうだ、俺たちは凄いんだぞ」という表情を見せるわけでもなく、普通の表情のまま次の動作に入っていった。その他の団員たちの踊りも火の打ちどころがなかった。

ソプラノ歌手の歌声も心の底に残っているし、二胡(ニコ)という2弦の楽器の音色もホールいっぱいに広がっただけでなく、耳奥にもしっかりととどまっている。帰宅して思ったのは、なぜこれまで神韻を観にいかなかったのかということである。

今その素晴らしさを体感できたので、また日本にきた時には観させて頂こうと考えている。

2011年、中国企業との新しいつき合い方

中国とどうビジネスをするのか―。

中国進出への新しいトレンドが浮かび上がってきている。特に欧米企業の中国関与の施策が時代とともに移り変わり、過去1年で新しい動きがある。

話を進める前に、過去における中国企業とのかかわりを総括してみたい。長年、多くの企業トップは中国市場への出方で悩み続けてきた。

BRIC’sの中でも中国が抜きん出た勢いで経済成長を続け、日本企業も何らかの形でその波に乗るべきと考えるのは当然だった。しかしこれまで、「中国とのつき合い方には気をつけないと失敗する」「狡すっからい国だ」という批判が後を絶たず、慎重論も多かった。

経済産業省が発表した統計をみても、近年は新規設立よりも撤退・移転の方が多くなっている。

04年から08年の5年間で、日系企業の新規設立は04年の211社から107社(08年)へと半減している。逆に撤退・移転企業数は04年の92社から151社に増えている、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。

尖閣問題の解決のしかた

中国人船長の勾留問題で、日中関係がきしんでいる。

中国では政府も市民も反日感情をあらわにしている。「人民日報」の国際版とでもいえる「環球時報」の世論調査では、98%の人が尖閣諸島に軍艦を派遣すべきだと回答しており驚かされる。この数字は信憑性に欠けるとしても、短期的に日中関係はすでに悪化している。

日本はもちろん尖閣諸島を古来から日本の施政下にある島と判断し、中国は釣魚島と呼んで中国の領地であるとしている。欧米の報道をみると、どちらに寄り添うわけでもなく、ロイター、AP、CNNなど、みな尖閣と釣魚島の両方を並列して客観報道のスタンスを貫いている。

昨日、話をしたドイツとフランスの記者はそれぞれ「尖閣を含めた領土問題が簡単に解決するはずがない。ずっと続くよ」、「尖閣の領有権が国際法などで決められているわけがない。両国は今後も自分たちの理由で領有権を主張しつづけるだろう」と平然としている。領土問題で経験の豊富なヨーロッパ人はかなり冷静である。

今回は中国船による公務執行妨害が争点だが、それは日本側からの話であり、根幹には当然のこととして領土問題がある。国際的に「尖閣は日本の領土」、または「釣魚島は中国の領地」といった取り決めはないので、これまで平行線を辿り、今後も簡単には解決しない。今月14日、国務省の報道官クローリーは「日中両国が平和的対話の中で解決することを願っている」とコメントしている。

私も日本人であるので、心情的には「尖閣は日本のもの」とする立場でいたいが、この事案については一歩引いて論じたい。メディアはほとんどすべて「日本の領地」としての立場だし、仮に他国と戦争をした場合、メディアはほぼ100%自国の立場を擁護するはずだ。けれども、そうした時期にこそブログの存在意義として、盲目的に自国の擁護論に寄り添わず、本当に両国の間で何が起きているのかを客観的に報道し、洞察すべきだろうと考える。

尖閣問題を客観的にみると、両国の主張は同列であり、深度もほぼ同じである。

日本側の根拠は1895年1月、政府が非公式の閣議で尖閣諸島を沖縄県に編入することを決めたところにある。だが清国(当時)には伝えられていない。当時から無人島だったが、20世紀初頭に日本人が入植し、鰹節製造が行われていたこともある。

中国側としては、15世紀の中国文献にすでに「釣魚台」が登場し、16世紀、17世紀から中国人は漁を行っていた経緯がある。ただそれは日本が鰹節を作っていたという主張と同じレベルで、両国は自己宣告しているに過ぎず、それで近隣諸国が納得していればいいが、そうではない。当時から「この岩山は我々のものですからね」といった一方的な宣言で領有権を主張しているに過ぎない。

沖縄がアメリカから返還された時に尖閣諸島も日本に戻ったとする解釈もあるが、それは国際的に通用しておらず、「自分たちの主張」の域をでていない。 爆破させて海に沈めるという手法もよく耳にするが現実的ではない。

1970年以降、中国は尖閣諸島付近の天然資源に触発されて、積極的に「昔からこの島は中国のものだった」と主張しはじめるが、こちらもこじつけ的な要素が充満している。日本国内でも40年くらい前までほとんど誰も尖閣という名前すら聞いたことがなく、日本側の利害が浮上したのも時期は重なる。

それでも尖閣周辺では日中の漁船が操業をしている。それが日中間の了解である。海上保安庁は今回、中国側の漁船が激突してきたために船長を勾留したとしているが、ビデオを早くメディアに公開して国際的に事件の原因究明を急ぐべきである。証拠の公開は例外というが、こういう時こそ例外を認めるべきである。

日本国内では中国が過剰反応をしていると思っているが、他国では微妙に違う。日本はむやみに中国の反日攻勢に乗じて、過激に対応してはいけない。

都知事の石原のような挑発発言で事態が解決するならいいが、効果はまったくの逆である。「ふざけるな。あそこは日本の領地だ」といったトーンは気分的には楽だが、問題の解決にならない。事態の収拾は地味だが現実的な対話による収拾しかないのである。(敬称略)

中国からの「ああしろこうしろ」

今朝(4月26日)の日経を読んでいて、気づいたことがあった。それは中国から学ぶという姿勢である。

経済指標を見れば明らかだが、日本は何年も前から中国に多くの分野で超されることはわかっていた。数字上ですでに抜かれた分野は多い。同時に、中国は日本にアドバイスをするようになった。今朝の朝刊にも2つあった。

日本はこれまで、外国から学ぶという時にヨーロッパやアメリカに目をむける傾向が強かった。けれども、いまは中国や韓国から学んでくるという流れができてきた。10年前にはほとんどなかったことである。

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朝刊には精華大学国情研究センターの胡鞍鋼(こ・あんこう)と野村資本市場研究所の関志雄(かん・しゆう)が持論を展開していた。

持論の展開というより、日経の記者が「ご意見を拝聴する」という姿勢の記事であり、2人は日本に辛口の意見を述べている。いささか被害妄想的かもしれないが、2人には「もう中国の方が日本よりも上だから、よく聴くように」と言われている気がする。

胡鞍鋼は日米の社会格差を比較している。両国の格差は広がっているが、中国の方は経済のパイが大きくなる中での格差なので低所得者も頑張ればよい生活が送れるという主張だ。一方、日本は収入が増えない中での格差なので「悪性の格差拡大」であり、解決策がないとまで言う。

また関志雄は日本の英語教育へきわめて現実的な論考をくだしている。私も英語教育には自分なりの思いがあり、実は関の主張とほぼ同じなので異論はない。けれども、関の口調には日本人への蔑みが隠されているようですらある。

日本人が英語を話せないのは、多くの教員が英語を話せないからところに一因がある。

「一向に改善されないのは、日本経済が変われないのと同じで、英語教員が既得権益化し、改革に反対するからです。(中略)中国には来日経験がなくとも、大学で日本語を専攻しただけで、日本語がぺらぺらの人がたくさんいます。でも日本の大学で中国語を専攻しても、なかなか中国語を話せない。この差は何なのでしょうか」

2人の意見を耳にして、今後中国から「日本はああしろこうしろ」と言われる機会が増えるとの観測がある。今朝の記事内容については、冷静によめば正しい現状分析であることがわかるが、読者の中には感情論を持ち出す人もいるだろう。

日本政府は戦後ずっとアメリカの「ああしろこうしろ」といった要求を飲んできた。賛否のほどはともかくとして、アメリカ従属論を堅持することで日本経済が長年上向いてきたことはある意味で事実である。

けれどもアメリカ従属論に食らいついているだけではもはや日本経済の復活がないことが分かってきた今、今度は中国からの「ああしろこうしろ」といった声に耳を傾けることになるだろうかとの問いがある。答えはたぶん「ノー」だろう。

それは日本人が潜在下で抱えるメンツに触れるからである。その摩擦機会が増えると、今後、日中両国で感情的な軋轢が大きくなる可能性もある。

それとも若い世代は中国からの「ああしろこうしろ」に従順にうなづくのだろうか。(敬称略)

上海の夜

アメリカ大統領選挙が終わってすぐ、航路で上海に渡った。

「堀田さん、船に乗って原稿を2、3本書きませんか」というお誘いに嬉々としてうなづいた。

船は横浜港からまっすぐ西進せず、瀬戸内海の島々を抜けてから豊後水道を南下し、それから東シナ海を横断する航路をとった。

飛行機であれば、成田から上海まで約3時間だが、ゆったり旅は4泊5日で進む。ありがたいことである。ただ、携帯電話もインターネットも使えないというのは、私のようなフリーで生きている人間にとっては仕事の依頼を失うことでもある。だが、開き直るしかない。

日常からの脱出をはかると、思わぬところで思わぬ発見がある。まず人との会話に深みが増す。自分自身について深く考える機会ができるので、思索と呼べるほど大したものではないが考えに深度が増す。

ただ残念なのは、船から降りるとまたいつもの私なのである。上海について携帯電話とインターネットの環境が整うと、すぐに忙しさの中に自身を埋没させてしまう。それで安心感があるというのはどういうことなのだろう。都市生活の弊害と言ってしまえばそれまでだが、もう逃れられないところまできている。

上海は相変わらずの風景だった。新築高層マンションの10メートル横には、今にも朽ち果ててしまいそうな古い民家が並んでいる。民家の二階の窓からは洗濯物が干されている。

それはパリコレでスポットライトを浴びる180センチの女性モデルと、着古したパジャマのまま路傍にたたずむ148センチの歯の抜けた老婆が並んでいる風景である。超近代と昭和30年代の日本の混在という風景は5年前と同じである。

「中国は半年行かないと風景がガラッと変わる」と中国通の知人に言われるが、私にとってはまだ想定内である。

この前まであった民家がなくなって高層ビルが建設されているという点ではあたっているし、以前まで農地だった浦東地区にマンションが建ったということでは見ていて面白いが、都市風景という視点からの上海は何も変わっていない。

世界で2番目に高い「上海環球金融中心(上海ヒルズ)」の最上階に上がって町の夜景を見ても、きらびやかさは増したが、あと5年たっても148センチの老婆の身長は伸びない。そんな印象である。上海の夜景が途切れる地平線の向こうはまだ暗黒である。

中国の本当の強さはそうした老婆がすべて他界したあとにくるのだろうと思う。漠然としているが、15年先というのが私の見立てである。

その時はほとんどすべての経済指標で中国は日本の上を行くだろう。IMD(スイスの国際経営開発研究所)が毎年発表する国際競争力のランクで、日本はすでに22位である。

上海の夜景を眺めながら、日本の不穏な行く先を憂うのである。