鳥獣戯画展

久しぶりに展覧会を観てきた。上野の東京国立博物館(トーハク)で開催されている「国宝 鳥獣戯画のすべて」で、平安時代に描かれた10種類以上の動物たちが、実に表情ゆたかに、愛嬌のある姿で描かれていて、心の中に大きな笑顔ができたような気がした。

上野の東京国立博物
6月20日まで開催中

豊かさの限界

いま読んでいる本の中に学生時代によく耳にしたフレーズがでてきたので妙に懐かしくなり、噛み締めるようにじっくり読んでいる。

読んでいるのは講談社現代新書の「新しい世界:世界の賢人16人が語る未来」という本で、その中にダニエル・コーエンという経済学者の章があり興味深い。懐かしいフレーズというのは「マルサスの法則」と「イースタリンの逆説」である。

ご存知の方も多いかと思うが、マルサスの法則は18世紀から19世紀にかけて生きた経済学者トーマス・ロバート・マルサスが導きだした法則で、食料の生産速度よりも人口増加の方が速いために、世界は必然的に食料不足や貧困に直面するというものだ。もちろん19世紀の世界のことなので、20世紀から21世紀になって食料の生産性が上がったことで同法則に支配されることはなかった。

もう一つのイースタリンの逆説というのは、米経済学者のリチャード・イースタリンが1974年に発表した学説で、社会が経済成長を遂げて豊かになっても、市民は必ずしも幸福を得られるわけではないという内容だ。「お金=幸福」ではないのでパラドックスであるとの指摘である。

後年、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが幸福度と収入は一応比例するが、約800万円が上限で、それ以上稼いでも幸福度は大きくかわらず、経済的欲求が満たされたあとは、個々人がどういった生活をするかにかかっていると記している。

実はほとんどの方はこうした記述を意識的に、または無意識的に理解しているはずで、日々の生活のなかでいかに自分らしい幸せを見出していくかが大切になるのだが、なかなかこれが難しい、、、のが実感である。

バイデン氏の存在意義

バイデン大統領が1月20日に就任して以来、日本のメディアへの登場頻度はけっして多くない。少なくともトランプ氏やオバマ氏の時と比べるとかなり少ないかと思う。主因は新型コロナで、本来であればバイデン氏の言動をあつかっていた報道のスペースや時間が狭まっていることが挙げられる。

ただ、今はネットの時代である。こちらから探っていくと「いくらでも」といっては大袈裟だが、実に多くの情報を入手できる。それでも日本中の人が「エッーーー」と声をあげてしまうくらい衝撃的なバイデン関連ニュースが少ないのは確かである。

それはトランプ氏のような問題発言を滅多にしないからであり、オバマ氏のような、世界が注目するような話題作りもしないからであろう。米史上最高齢の大統領ということもあるかもしれないが、慌てず騒がず、着実に一歩ずつというバイデン氏らしい 沈着冷静さが出ているからなのだと思う。

6月6日のワシントン・ポスト紙にバイデン氏はオピニオンを投稿した。その中で「急速に変化する世界で、民主主義は市民のためにしっかりした結果を示して、手を取り合えるのだろうか」と自答し、すぐに「イエス」と答えている。

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さらに今月11日からG7サミットに出席するために外遊するが、その後にロシアのプーチン大統領とも会談する。プーチンへの専制攻撃という意味合いから「プーチン大統領はご存知だと思うが、(アメリカの主権が犯されるようなことがあった時には)有害な行動(武力)をもって応えることを厭わない」とはっきりと述べている。

この文面を読む限り「やる時はやる」大統領であることを内外に明示したかと思う。

目力で勝負する時

昨日(6月3日)の朝日新聞夕刊を読んでいると、「なるほど・・・」と思わされる記事にであった。三谷幸喜氏の連載エッセイ「ありふれた生活」で書かれていたマスク生活についての指摘である。

コロナ禍にあって、ほとんどの人が外出時にマスクをつけることで、新しく出会う人ともまずマスク姿で対面する。三谷氏はこうした状況で「一目惚れ」ということが起こるのかと疑問を発するのだ。一目惚れは、往々にして顔から受ける好印象によって相手のことを好きになるが、マスクで鼻の上部から下の部分が隠されていても一目惚れはあるのかということだ。

顏の一部だけしか見えていないと、隠された部分は想像せざるを得ない。「目もとはステキだけれども口は曲がっているかもしれない」という憂慮や「目は私の好みではないけれども、鼻は高いかもしれない」といった思いなどさまざまだ。

いずれにしても判断材料はマスクからでている目の部分になり、おのずとそこに神経が集中するようになる。優しい目もともあるだろうし、ガツンとくるような魅惑的な目もあるだろう。いずれにしてもコロナが続く限り、目力のあるなしによって人は判断されるし、「目は口ほどに物をいう」日々がしばらく続くことになりそうだ。