今週はお休み

いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。

都合により、今週いっぱいブログをお休みいたします。また来週から再開しますので、よろしくお願いいたします。

インド・パキスタンの停戦合意は本当か

インドとパキスタンは10日、これまで続けてきた軍事攻撃を即時停止し、停戦することで合意したという。両国は1947年の第一次印パ戦争以来、繰り返し衝突してきているので、今回の米国による仲介で今後2度と戦火を交えなくなるとは考えにくいが、取り敢えず、トランプ政権による関与で一時的にせよ、停戦にいたったことはないよりかと思う。

ルビオ国務長官とバンス副大統領が、インドのモディ首相やパキスタンのシャイフ首相らと協議して今回の停戦にいたったようだが、トランプ大統領はさも自分が仲裁にあたったかのような態度で、Xで次ようにコメントをだした。

「米国が仲介した長夜の協議の結果、インドとパキスタンが完全かつ即時の停戦に合意したことを発表できることを嬉しく思う。常識と優れた知性を駆使した両国を祝福する。ありがとうございました」

戦争というものがほとんどの一般市民にとっては不幸しかもたらさないということを両政府の政治家たちは知らなくてはいけない。日本であれば、半世紀以上ものあいだ他国と戦火を交えるということは考えられないが、印パ両国民は「ここまで戦い続けた以上、勝つまでは・・・」との思いがあったと思われる。

たとえばパキスタン側の報道を読むと、「インドからの攻撃に対し国民から『弱腰だ』と受け止められないためにも反撃せざるを得なかった」という記述がある。ここに戦争が長期化してきた理由が潜む。弱腰であっても戦争をしない方がどれほど賢明なチョイスであるかを国民にわからせる必要がある。

こうしたメンタリティーをもつ国民に本当の停戦はくるのだろうか?

Broligarch

どの言語であっても、新しい言葉や表現はどんどん登場するものである。昨日、ネットで英文記事を読んでいると、いままでお目にかかったことのない英単語に出会った。

The broligarchs have a vision for the new Trump term.

「 broligarchs はトランプの新しい任期にむけての展望をもっている」という意味なので、人であろうことは推測できた。単語の後半部分の「oligarchs」は少数独裁体制の政治家という意味で、そこに接頭語の「bro」がついている。broは兄弟という意味があり、辞書をひくと「政治的影響力をもつ大金持ちの男性」とでていた。

この単語が作られたのは10年以上前のようだが、米国でよく使われるようになったのは、昨年の大統領選からで、特にトランプ政権で政府効率化省の事実上のトップを務めているイーロン・マスクをさす言葉として注目を集めるようになった。カタカナで表記すると「ブロリガーク」。

from Wikipedia

日本ではいったい誰がこの言葉に当てはまる人物になるだろうか?

田原総一郎氏の月収

田原さんらしい発言―。

ジャーナリストの田原総一郎氏(91)が自分の月収をTV番組で明かし、話題になっている。いくら田原さんであっても、これまではそう易々と自分の収入を口にしてこなかったが、フジテレビ系報道番組「Live News イット!」で月収と年金額を明かした。

年金額は15万円。月収は「いちばん多いので100万円くらいじゃない」と述べた。

これまでも「財布はもったことがない。一切ギャラの交渉はしません。自分のギャラがいくらかも知りません」と話すとおり、金銭に執着してこなかった田原氏。

年金額は会社員時代と独立後におさめた金額の合計で、一般会社員が受け取る厚生年金とほぼ同じ。ただ、いまでも仕事をしているので、月々100万円ほどの収入があるという。田原氏がもし金銭にこだわっていたら、たぶんジャーナリストという職業は選んでいなかっただろう。それは私も同じで、収入にこだわりを持つ人であれば会社を起こすなりしていただろうと思う。

新聞はいつなくなるのか

仕事場に向かう電車のなかで、私はいつも新聞を広げる。

自宅をでるときに郵便受けから朝刊をとり、電車の中で折りたたんで読む。幸い、ラッシュアワーを過ぎた時間帯に電車に乗るので、比較的ゆっくり誌面に眼をとおすことができる。ただ、周囲を見回すと、新聞を読んでいるのは他に誰もいないことが多く、「オジジになったなあ」と思う。

それは新聞を「紙面」で読む人がいないだけで、多くの人はスマホでニュースを読んでいるということでもある。スマホであると複数のメディアを読み比べることができるので、特に若い人はニュースはインターネットやスマホからが当たり前になっている。私もネットから情報を仕入れるが、紙に慣れ親しんでいるので、まず情報は新聞からという習慣ができ上がってしまっている。

昨今、心配しているのは新聞の部数が毎年減っていることだ。2036年には紙の新聞が消滅するという予測も出ており、新聞というものが過去のモノになりかねない。2024年10月時点での発行部数は約2,661万部で前年比で6.9%減、197万部も減っている。2000年時の発行部数を眺めると、5,370万もあり、いまのほぼ倍が刷られていた。

これを時代の趨勢と捉えるべきなのか、新たな方向へ向かっていく途上と見るべきなのかは判断が別れるが、新聞というスタイルは今後も残し、その中で新しいビジネススタイルを確立していってほしいと思う。