ある日の思い出

今朝、突然にして小学校5年時のある光景が脳裏に蘇ってきた。全校生徒が校庭に集まった朝礼の時間で、皆は整列して校長先生の話を聴いている。

私は眠気が残っていたため、校長先生の話をほとんど聴かずにただボーッと立っていた。その時、校長先生が私の名前を呼んだのだ。私はなぜ自分の名前が呼ばれたのか理解できず、キョトンとしていた。すると、担任の先生が私のところまでやってきて「堀田君、すぐに前へ出なさい」といって、全校生徒の前にでるように促した。

皆の前で説教されるのかと思い、肩をすぼませながら校長先生の前に歩を進めた。すると、校長先生は「表彰状、、、」と言って賞状を読み始めたのだ。私は合点がいかなかったが、明らかに何らかの賞状を受け取る流れだった。すぐに、授業で読書感想文を書く時間があり、担任の先生が私の感想文をコンクールに送ってくれ、それが賞を獲ったことがわかった。

それまで賞状など貰ったことがなかったので、想定外のことだった。その日のうちに、担任の先生が「堀田君が書いた図鑑の感想文が面白かったのでコンクールに送りました」と聞かされた。

私は大学時代、同人誌に文章を書いていたし、大学院を卒業してからは仕事で記事を書くようになった。1990年にフリーランスのジャーナリストとして独立して今にいたるが、物書きの原風景は小学5年時のあの読書感想文なのだろうと思う。いろいろな思いを辿っていくと、いまから50年前のあの図鑑の感想文に辿りつける気がしている。

眼に見えないクサリ

新型コロナウイルスが世界中に蔓延しはじめて、すでに1年半以上がたつ。いまだに収束する気配はないし、多くの人の心には眼に見えないクサリが巻きついたまま、何らかの制約を受けているかに思える。私も例外ではない。

コロナ前のような「100%の全開」というのものが、精神的にも肉体的にも与えられていないような、捉えようのない縛りがある気がしている。それはコロナが人間を変えたというより、個人が自分たちの考えと行動を矮小化させたことの結果なのかもしれない。

もちろん誰もが感染したくないと思っているので、他者との外食を控え、大勢で集まることも控え、手洗いや消毒に気をくばっている。こうした動きは多くの方にとってはすでに「日常」になっているだろうが、ブレークスルー感染とは逆の意味での「日常」をブレークスルーして、以前のような何の拘束もない生活を実践したいという欲望がないことはない。

ただそうした欲求が強くなっても、マスクを外して人ごみに入り込み、酒場を何軒もハシゴするわけではない。ある意味で冒険ができなくなっている自分がいることに気づくし、そうした自己制御が少しずつ心を小さくしているようにも感じる。コロナウイルスへの危機感もあるが、中長期的にはこうした心の矮小化の方が根が深いようにも思う。

White flags:67万人の命

from twitter

米首都ワシントンのナショナル・モール(緑地公園)に17日、67万本の白い旗がはためいた。新型コロナウイルスで命を落とした方々に哀悼の意をあらわすためで、昨年に続いて2度目である。

昨年は26万7000本。ワクチン接種が進み、年頭から感染拡大が抑えられたかに見えたが、米国内の新規感染者は過去2カ月ほど、再び増え始めている。

9月17日の新規感染者数は1日で16万5465人。日本が米国の感染者の波を追随しないことを祈りたい。

人材不足で悲鳴上げるナース、米国で激しい獲得競争

新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が進んでいることで、米国の感染者・死亡者は収束するかに見えた。ところが、再び「感染の波」が到来し、医療従事者の疲弊は深刻化している。

日本でも医師・看護師の心身疲労の問題は社会問題となっているが、当欄では米国の現状を記したいと思う。

いま米国では1日平均13万6000人(米疾病予防管理センター)の新規感染者が出ている。米国の人口が日本の約2.6倍であることを考えても、大変な数字である。しかもコロナによる死亡者も全米で1日1500人以上(過去1週間平均)に達している。こうした状況下で米国の医療現場が直面している問題がある。

一つは医療従事者の「燃え尽き症候群」である。特に看護師たちは現場の危機的状況に疲れ果て、辞職する者が増えている。(続きは・・・人材不足で悲鳴上げるナース、米国で激しい獲得競争)。