大統領と暗殺

頭部を貫通していてもおかしくなかったーー。

日本時間14日午前、米ペンシルベニア州バトラーで起きたトランプ氏を狙った銃撃事件は、銃弾があと数センチ頭部のほうに寄っていたらと思うと恐ろしくなる。

事件が発生してからまだ数時間しかたっていないので、FBIは犯人の名前も銃器も公表していないが、「大統領と暗殺」という図式があらためて表出し、いろいろと考えさせられる。シークレットサービスは、最近になってバイデン氏とトランプ氏の警備を強化したとの情報もあるが、それでも今回の事件は防げなかった。

これまで米国では4人の大統領が凶弾に倒れている。最初は16代大統領のエイブラハム・リンカーン(1865年)、2人目が20代のジェームズ・ガーフィールド(1881年)、3人目が25代ウィリアム・マッキンリー(1901年)、そして35代のジョン・F・ケネディ(1963年)である。死亡しなくとも、26代セオドア・ルーズベルトも狙撃されたし、40代ロナルド・レーガンもジョン・ヒンクリーに狙撃されたが命を取り留めている。

こうした経緯を眺めると、犯人は米大統領や候補を殺害することで政策を変えるという意図があるようだが、単独犯は精神障害を抱える場合もある。いずれにしても、銃社会ならではの犯罪である。

今後、命拾いしたトランプ氏に同情票が集まり、勢いが強まって再選という流れにならないとも限らない。となると、犯人の意図した結果とは逆になるが、、、。

バイデンへの進言

The Biden-Harris Record | The White House
Photo courtesy of the White Houose

6月27日にアトランタ市で行われたバイデン大統領とトランプ氏とのテレビ討論会以降、バイデン氏の大統領としての能力に大きな疑問符がつけられているが、過去数日、これまで同大統領の「味方」であった人たちからも否定的なコメントが出始めている。

まずバイデン氏を「友人と思っている」とまで述べてきた俳優のジョージ・クルーニー氏が、匙を投げるコメントをした。ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿し、こうのべている。

「 私はジョー・バイデンを愛している。だが、我々には新しい候補が必要だ」と発言し、現在のバイデン氏に対して厳しい意見を投げた。クルーニー氏は3週間前に見たバイデン氏について、「もはや2010年に見たバイデン氏ではない。いや2020年のバイデン氏ですらない。年齢の問題だろう。このままでは今年11月の選挙で勝つことはできない」と否定的な見方をしている。そして、こうも述べる。

「これは年齢の問題だ。それ以上の何ものでもない。同時に、この問題を覆すことはできない。だからバイデン氏が11月に選挙で勝つことはできない。その上、下院でも勝てないし、上院でも負けるだろう。これは私だけの意見ではなく、個人的に話をした上院議員、下院議員、知事全員の共通する意見だ」

ここまではっきりと「バイデンは勝てない」と身内から発言されてしまうと、バイデン氏としては立つ瀬がない。やはり撤退する流れになる公算が強いと読む。

人間の愚かさ

いきなり表題に「人間の愚かさ」と記したので、何のことかと思われるかもしれない。世界を見渡すと相変わらず無益な戦争が継続されており、「人殺し=戦争」の愚かさがあらためて浮き彫りになっている。

日本はいま、他国と軍事的な戦争をしている状況にないので、多くの人が殺害されるという現実を実感しにくい。ただ過去数日だけでも、ウクライナではロシアから数十発のミサイル攻撃を受けて30人以上が死亡しているし、パレスチナ自治区ガザではイスラエル軍の空爆により少なくとも16人が亡くなっている。

世の中は21世紀に入ってから四半世紀が経とうとしているが、いまだに戦争を止められずにいる。私が学生だった頃、「あと何十年かしたら、人間は戦争の悲惨さを知り、愚かな戦争を繰り返さなくなるかもしれない」と思ったものだが、いまのところそうした展開にはなっていない。

過去5000年の人類史をひも解いても、「戦争の歴史」と述べても過言ではないほど繰り返し戦争が行われてきた。いつかはなくなる日がくるのではないかとの希望的な観測もあるが、いまのところ絶えるようには思えない。それは人間が本当の意味で賢くなっていないからなのかもしれないし、人間が人間である以上、争いごとを止めることはできないからなのかもしれない。皆さまはどうお考えだろうか―。

一票の重さ

都知事選の投票日である。期日前投票もあるが、私は今日(7月7日)、投票所に出向いて一票を投じてきた。当たり前だが、有権者の一票一票の積み重ねで政治は変わる。

実際の政治は利益団体によるロビイングによって、特定の法案の可否が決まることが多いが、それでも政治家を選ぶ段階においては選挙がモノをいう。「オレの一票で何が変わるんだ」との思いは否定されるべきで、小さな積み重ねによって変化をもたらすことができるはずである。