生き残る中高年

東京商工リサーチが企業約5000社に行った調査によると、全体の64%の企業で、45歳以上の社員が半数以上をしめていることがわかった。中高年が8割以上をしめる企業も22%もあり、「ジジババ」の割合が高いことがわかる。

これは近年、日本の若者の割合が減少傾向にあって、総人口に占める割合が過去最低を更新 していることと、企業が人手不足を補うために中高年社員をいかしていこうとする姿勢が背景にある。以前は早期退職や希望退職という制度をよく耳にしたが、最近はほとんど実施されていないのが現実だ。

高年齢者雇用安定法が改正されて、70歳までの雇用確保が企業に求められているため、年配者が職を失わずに済むようになったこともある。経験と見識をいかして仕事を継続できれば、歳をとっても「戦力」として期待され、後輩を引っ張っていくことが可能だろう。

欧米には定年というものがないので、本人の判断で組織に残ったり辞めたりできるため、今後は日本でも年齢を理由に辞めなくてはいけないということが無くなるかもしれない。 ただ、老いても組織にしがみ続けていると、組織内からは「まだあの人いるよ」という陰口が囁かれることも事実。 そこは自身で引き際を判断しなくてはいけない。

誰もが考えなくてはいけないこと

10日ほど前に68歳になり、「いやあ、ジジイになったなあ」と呟いている。

ご存じの方もいると思うが、私は米国に25年もいたので年金は米政府から受け取っている。米政府は毎月、ちゃんと日本の銀行の口座に振り込んでくれている。

現在、日本では少子高齢化が進み、高齢者が増えているにもかかわらず、それを支える現役世代は減少傾向にある。こうした少子高齢化が進むため、年金制度が今後も維持できるかどうかが大きな課題だ。

少し調べると、国民皆保険がはじまった1961年時点では、65歳以上の高齢者1人を支えるのに9.1人の現役世代(20歳~64歳)がいればよかったが(胴上げ型)、2012年にはそれが2.4人になり(騎馬戦型)、2053年には現役世代1.3人で1人の高齢者を支える(肩車型)という厳しい状況になると予想されている。

そうなると社会保障費が増額されて、現役世代への負担が増し、これで社会が回っていくのか疑問視されている。日立製作所の元社長だった中西宏明氏は生前、 「終身雇用を前提とした企業経営、事業活動を考えるのは限界」 と述べていたほどだ。

そこで近年は「起業」が推奨されている。ミドルエイジから定年を迎える年齢層まで、自分でビジネスを起こせば定年はないし、波に乗ればずっと仕事をしていられる。最近は資金を貸しつけるベンチャービジネスも増えているため、一考に値するかもしれない。かくいう私も、1990年まで会社員をしていたが、「モノ書き」として独立し、紆余曲折はあったが今に至っている。

旅が教えてくれるもの

先週末に瀬戸内海の小豆島を訪れていたが(ここはどこでしょう)、久しぶりに東京を離れると、普段の生活がいかに限定的で単調であるかがよくわかる。それが日常というものなのかもしれないが、「殻を破る」ということによって新しい空間や景色を体感でき、心の中に別世界が広がるような気がする。新しい人との出会いだけでなく、車窓から眺めた風景がしばらく心の片隅に残り、それがエネルギーの源泉になることもある。

これまで世界中を旅してきたが、旅のよさの一つは予期せぬものとの遭遇である。ガイド本やネットで旅先の情報を読み込んでいっても、自分の心を打つ光景が突然目の前に現れるという状況は読めない。船で海をいくことは最初からわかっていても、その途上で目にする島々の美しさは想像を超えている。何キロも先にある島のむこうにまた別の島があり、その遥か向こうに緑豊かな大きな島が見えると、しばし見入ってしまう。

その風景を目に焼きつけながら、人間の小ささや命の儚さといったことを考えるという作業は都会では無理がある。山手線から見えるビルを眺めても何の閃きも起こらない。生活にオオトツ(凹凸)がないことで、日常生活を支障なくおくれるという考え方もあるが、旅に出ることで日常生活を脱して新しい息吹を感じることは、人間にとって大変重要なのだと改めて思った。

さらに旅にでると、普段考えないことをさまざまな視点から眺めて熟慮することができるという点でも貴重である。立ち止まり、そこからワンステップ先に歩を進め、さらに立ち止まって一考してから行動に移す。

これからも旅をしていくことで明日へのエネルギーにつなげていきたいと考えている。

戦争は人を幸せにしない

あたり前のことだが、改めて記してみた。

というのも、21世紀になってすでに四半世紀が過ぎようとしているのに、世界ではいまだに戦争が勃発しており、懲りない人たちが後を絶たない。イスラエルは今月13日に、イラン各地にある核関連施設や軍事施設などに大規模攻撃をしかけた。「またイスラエルか・・・」というのが正直な気持ちだが、イランも黙ってはおらず、翌14日には弾道ミサイルや無人機でイスラエルの軍事拠点や空軍基地などを攻撃した。

イランの国営テレビは、革命防衛隊の幹部がイスラエルへの報復として、これまでに150の標的を攻撃したとしたうえで「作戦は必要なだけ続く」と発表し、両国は全面戦争に突入したかにみえる。「やられたらやり返す」という負の連鎖が世界ではいまだにいきており、どちらかが冷静になって話し合いをするという方向には向かない。

戦争のおぞましい一面は「ひとたび戦いが始まれば勝つまでは止めない」という意識があることで、いくら人類が叡知を積み上げてすばらしい文明を築きあげても、殺し合いによってすべてがマイナスに転化されてしまう。

人間は戦うという悪の根源を体内に隠し持っているかのようで、情けなくなる。少なくとも日本人は戦後80年、他国と戦火を交えていないので、他国との軋轢が生じてもこのまま武力を使わずにいてほしいと思う。

低出生率の罠

今朝(6月12日)の朝日新聞の天声人語で、「低出生率の罠」というテーマが論じられている。低出生率は文字通り、日本を含めた東アジアや西ヨーロッパの国々で、出生率が低いことで人口減少が起こり、さまざまな問題が起こることを指すが、この「罠」という言葉は低出生率によって、女性たちはさらに子どもを産まなくなことをいう。

天声人語の中で英国の人口学者ポール・モーランド氏の近著『人口は未来を語る』という本が紹介されていて、出生率が低下すると子どもをもつことへの意識や価値観が変わり、今まで以上に出生率が下がるという指摘があった。

ただ私が知る限り、 オーストリアの人口学者のヴォルフガング・ルッツ氏が2006年に発表した論文に、すでに「低出生率が長く続くと、少子化から抜け出せなくなる」とする「低出生率の罠」が問題提起されている。

そこではまず、親の人口が減れば当然ながら出生数は減少するという事実が指摘されたあと、「兄弟が少ない環境で育った子どもたちは、少なくても良いと考える」可能性が高いと述べられている。さらに、親の世代よりも経済的に豊かになれないと思う子どもたちは、多くの子どもを作ろうとは思わなくなるというのだ。考えてみれば必然的なことで、社会が子どもを必要としているという漠然とした思いが各々にない以上、子どもを産もうとは思わなくなる。

東アジア諸国の合計特殊出生率(2023)をみると、日本が1.20であるのに対して中国は1.00、台湾は0.87、韓国が0.72でいずれも日本より低い。これからいったいどうなるのだろうか。