弾劾裁判はトランプの思い通りの流れ

トランプがすぐにも無罪放免になる。

2月5日に連邦上院で、「トランプは罷免にあたいしない」という評決がくだされるはずだ。本来は4日に行われるトランプの一般教書演説の前に弾劾裁判を終わらせたい意向だったが、数日ずれてしまった。それでもトランプの思い通りにコトは進行しているようだ。

22日の当欄で記したように(トランプを本当に裁けるのか)、共和党議員の中にもトランプの行為が贈賄罪と司法妨害罪にあたると解釈し、罷免されるべきであると考えている政治家はいるだろうと思う。

しかしワシントンの政局はいま「完全」という言葉をつかっていいほど2極化しており、トランプが無罪放免になるという流れができあがっている。

それにしてもトランプが弁護チームにアラン・ダーショウィッツを向かい入れ、同氏もトンラプの肩をもった時点で勝負あったというのが40年近くワシントンの政治を見てきた私の感想である。

なにしろハーバード大学教授のダーショウィッツは、90年代半ばにO・J・シンプソン事件でシンプソンの無罪を勝ち取ったドリームチームの一員で、「合衆国憲法を語らせたら誰もかなわない」と思えるほど弁がたつ。今回もダーショウィッツのトランプ擁護の論弁を聴いたが、殺人罪に問われたシンプソンを無罪にした時を彷彿とさせた。

当時、私はワシントンで事件の記事を書いていたが、ダーショウィッツをはじめ、ロバート・シャピロ、ジョニー・コクランという腕利き弁護士は、黒いものを白色にできるくらいの弁護力があり畏れおののいたのを覚えている。

今回の上院でのダーショウィッツの論弁はあの時の光景を想起させた。犯罪どころか、トランプは当たり前のことをしただけと思われるほどの論法なのだ。アメリカの政治の限界をみた思いである。(敬称略)

またしても涙

最近、以前よりも確実に涙もろくなっている自分がいることに驚くことがある。テレビを観ても、ほろりとさせる文章を読んでも、ウルウルきてしまう。今朝はウルウルどころか、ティッシュが何枚も必要なくらい泣いてしまった。

ネットで国際ニュースをチェックしていると、1月26日に飛行機事故で亡くなったNBAのコービー・ブライアントの話がでていた。現役時代の実話である。

コービーの所属するLAレイカーズがアリゾナ州フェニックス市に試合に来た時のことだ。同市に住むクリスティン・ヘクトさんという女性は彼に頼み事をしたかった。ヘクトさんはフェニックスの病院に勤務しており、そこに5歳の男の子が入院していた。彼がコービーの大ファンであることを知っていたので、サインをもらいたいと考えていたのだ。

幸いにも、ヘクトさんの夫トム・ヘクトさんはLAレイカーズの対戦相手であるフェニックス・サンズの重役だった。サインであればコービーは応じてくれると踏んでいた。コービーに話が伝わると、思っていたとおり快諾してくれ、サインが入手できることで男の子も大喜びだった。

コービーには男の子の病状も伝えられた。心臓に重篤な疾患があり、集中治療室にいることも告げられた。するとコービーから直接、病院に会いに来たいとの申し出があった。コービーはヘクトさんと協力して、記者や関係者には知られないように病院の非常階段をつかって男の子に会いに来た。

バスケットボールを持ってきていたコービーは男の子と1時間ほどパスをしたりして過ごし、いくつもの品々にサインをして静かに帰っていった。帰り際、コービーはヘクトさんと男の子の母親に言った。

from Facebook

「何かできることはないですか。金銭的なことも含めて、、、。それならば任せてもらえませんか」

ヘクトさんはコービーの誠実な態度と優しさに魅了された。だがこう言わざるを得なかった。

「彼は小さすぎて心臓移植ができないのです」

コービーが男の子のもとを訪れた1週間後、彼は天に旅立っていった。亡くなったあと、母親がヘクトさんにこう告げている。

「コービーと一緒にいた1時間が彼の人生でもっとも楽しい時間だったと思います。何枚も写真を撮りましたが、その時の写真が人生で唯一笑っているものだったからです」

そのコービーもいまは帰らぬ人となった。また泣きそうである・・・。

何をもって勝利と呼ぶのか

どうやらアメリカとイランは最悪の事態を回避したようだ。回避したというより、両国ともに「戦争」という領域に足を踏み入れることに躊躇したと言った方が正確かもしれない。

トランプはイラン司令官ソレイマニの殺害命令を下す前、補佐官たちから十分に事後の影響や法的正当性を聞かされていた。これは国務長官ポンペオが国務省担当の米記者に語ったもので、トランプが衝動的に決めた政治判断ではなかった。

だが議会の承認をとりつけたわけではない。2003年、ブッシュ政権がイラク侵攻を決めた時、連邦議会上下両院は過半数の賛成票で出撃に許可をだした。だがトランプは政権内の限られた人間だけが知る状況下でドローンの出撃命令をくだしている。

トランプにしてみれば目的が達成されて、勝利したとの思いを抱くだろうが、ソレイマニも一人の人間である。自身の知らないところからミサイルが飛来して、法的に裁かれたわけでもない状況下で突然に命を奪われたのだ。

ソレイマニはブッシュ政権時代からアメリカ政府が目をつけていた要注意人物だったが、問答無用で人間を抹殺する正当性は誰も持ち合わせていないはずだ。トランプは8日の声明文の中で、「私の命令の下、米軍は世界のトップ・テロリストであるガセム・ソレイマニを抹殺した」と誇ったが、百歩譲って、過去に何人もの人間を殺害してきたテロリストであっても前時代的な手法で人を殺すことの合法性は、わたしには見いだせない。

両国の全面戦争に至らないことはよかったが、カーボーイ気取りのトランプの悪行にはどうしても納得がいかない。(敬称略)

安倍がすべきこと

トランプはまるで西部劇の主人公を演じているかのようだ。

アメリカとイランが戦闘態勢に入っている中、トランプは気に入らない相手を撃ち殺す役を地でいっているかに見える。報復の応酬は失うものの方が大きく、最も被害を被るのはアメリカとイランの両国民であることを理解しなくてはいけない。

イラン革命防衛隊司令官のソレイマニをドローンで殺害したことで、イラン側は報復を宣言。それに対し、トランプはイランが報復してきた場合、イランの52施設を攻撃するとツイッターで反撃。いまのところ両者がひく様子はない。

トランプの論理はこうだ。米人記者に語っている。

「イランはアメリカ人の殺害が許され、拷問することも許されている。路上で爆弾を使用して、アメリア人を殺害することが許されている。その状況下で、アメリカ人はイランの文化施設に触ることもできなっていうのか。そんなわけはないだろう」

銃を持ち出して、情け容赦なく相手を撃てた時代は150年ほども前のことだ。いまは国際法があり、多くの戦争を経験して積み重ねてきた見識と倫理があるはずだが、トランプの眼中には入ってこないようだ。

入ってきたとしても、軍事行動を慎むという選択肢は取らない可能性が高くなってきた。イランもアメリカに対する嫌悪感は相当ななもので、総合的な戦力では勝てないとわかっていても強気な態度にでている。

ここは日本を含めた先進国のリーダーが両国の仲裁にあたる必要がある。全面戦争に入る前に、安倍にはワシントンに飛んでほしい。ゴルフをしてる場合ではない。(敬称略)

あけましておめでとうございます

千代田区の神田明神。
1月2日午前10時半。

今から30年前、私はフリーランスのジャーナリストとして独立した。独立したといっても、それまで勤めていた会社を辞めたと述べた方が適切な表現かもしれない。辞めたあと、本当に生活できるかどうかは不確かなままだったからだ。

当時の日記を読みかえすと、「本当にやっていけるのだろうか。うまく仕事が回っていくのだろうか」といった憂慮が書き記されている。給料が定期的に入らない不安は絶えずついてまわった。こういうことも書いている。

「(辞めるまで勤めていた米企業の)オフィスの環境は悪くないが、創造的な仕事ではないし、マネージメントという業務に身をやつさなければならない苦痛はどうしようもない。一刻も一刻も早く辞めたい」

当時はジャーナリストになりたいという気持ちよりも、「会社を辞めたい」という気持ちの方が勝っていたのである。これまで私は「ジャーナリストになるために会社を辞めた」と言い続けてきた。しかし日記を読み返すと、会社を辞めることの方が最初だったことを確認できた。自分の記憶を美化してしまっていたのだ。

ただ辞めた時から精神的な開放が訪れた。まだ首都ワシントンにいた時のことで、申し訳ないがこんな荘厳なことを書いている。

「この快適にして壮快な生活はいったいどうしたことだろう。あとは貧しくてもこの世に捧げられる、市民のための仕事をすべきであろうと思う」

これは日記の中で自分自身に投げかけた言葉である。けれども私が市民のために過去30年、仕事をしてきたわけではないことは明らかで、理想は理想として日記の中だけに留まったままだ。

ただ30年間、ジャーナリストとして生きてこられたことは幸せなことだったかと思う。今後、「この世に捧げられる」といえるだけの仕事ができるかどうかが課題かもしれない。