いつの間にか・・・

いつの間にか、人生の折り返し点を過ぎてからずいぶん時間が経った。歳をとることに恐怖も羞恥もないが、どうしても若い人たちとの間に考え方やライフスタイルに違いができる。

これは当たり前のことだが、違いがあることに腹を立てないようにしている。たとえば電車に乗ると、ざっと見渡すかぎりで8割くらいの人がスマホをいじっている。ラインやゲームをしたり、ネットニュースを読んだり、音楽を聴いたりと自由自在だ。

私もスマホを見ているので不満があるわけではない。ただ本を読む人をほとんど見かけないので、「本をもっと読もうよ」と心のなかで叫ぶことがある。もちろんネット書籍をダウンロードして読んでいる人もいるので、「読んでますよ」と反論されるかもしれないが、それでも以前よりは減っている。

最近、わたしはまた小林秀雄の文庫本を読んでいる。2年前の当欄で「小林秀雄の言葉」というブログを書いた、あの小林である。

浅薄な事象があふれている世の中で、時代を越えて閃光をはなつ思索や表現が次から次へと表出する。私も長い間モノを書いているが、いつも小林の文章を読むと脱帽してしまう。

本の中で次のような指摘があって、おもわず線を引いてしまった。

「弱い作家というのはみな生活の方が進んでいるのです・・・もっと平凡な言葉でいうと、だいたい作家に会ってみると、その作品よりも人間の方が面白い。これは普通のことですけれども、作品を読んだら本人にはもう会いたくないところまでくると、これは大作家です。(会ったことはないけれども)ドストエフスキーはもう会ったって何にもなりません。「カラマゾフの兄弟」のような大表現を日常生活ではしていないはずです」

これほど納得させられた私見を最近、お目にかかっていない。これは作家以外の芸術家や表現者にもいえることで、作品が秀逸すぎて世の中から圧倒的なまでに突き出していたら、作者はその下に位置することになる。

いまの時代ではいったい誰になるだろうかー。

韓国からの風

先日、韓国から友人が東京にやってきた。何年も前から知っている人で、気がねなくどんなテーマでも話ができる友人だ。私がソウルに行ったこともある。以前、日本に住んでいたこともあるので日本語が堪能で、こちらが日本語を「手加減する」ことはない。

日韓関係がよくないが、そんなことはものともせずに東京にきて、語り合った。日本のことをよく知る人だけに「日本びいき」と言ってもいいが、韓国人なので、もちろん今の韓国国内での日本批判の動きもよく理解している。

「周囲の人が日本の悪口をいっている時、さすがに黙っていますよ。日本を擁護しようものなら、どうなるかわからないですから」

それはどこの国でも共通する心情であり、周囲から浮かないようにするための処世術ともいえる。嫌韓が日本で広がっているように、韓国では嫌日がいまの流れであるという。

しかし、すべての韓国人が日本を毛嫌いしているわけではないし、メディアが緊張をさらに増幅させ、仲たがいするように煽っているようなところもある。私は個人的に、最近の嫌韓報道の多さに辟易させられている。

両国同士が批判し、攻撃しつづけることで緊張が解け、問題が解決されるならいいが、嫌韓と嫌日の言動が両国関係をよくするとは思えない。批判の根底には事実関係以上に感情的な怨讐があるように思えてならない。

悪意や憎悪が勝つような国家関係は人間の愚かさの表れだ。ただ今回、国家間の関係よりも個人的な人間関係の方がまさることがわかり、嬉しく思っている。

タイフーン・ファクサイ

今朝、関東地方から太平洋に抜けていった台風15号。英語ではファクサイ(Faxai)という女性の名前がついていた。ご存知の方も多いと思うが、台風もハリケーンも男性の名前と女性の名前が交互に英語でつけられる。被害をもたらす嵐であっても、人の名前がついていることで、どことなく愛着がわいたりする。

ただ日本列島に近づく前から非常に強い台風で、雨量も多いと言われていたので首都圏を中心に、大きな被害が心配された。だが、大打撃と言えるほどの損害はなかった。何よりである。

私がジャーナリストとして独立して2年目の1992年、フロリダ州をハリケーン・アンドリューという大型ハリケーンが襲った。私はすぐに現地に向かってレンタカーで被災地を取材した。

ハリケーンが通過していったところが帯状の被害を受けていた。ショックだった。というのも、中心部分のかなり広い範囲の帯部分に建っていた家屋が全半壊していたからだ。なぎ倒されたという言葉が適語だった。

風は瞬間最大風速80メートルに達しており、帯部分の家屋は根こそぎやられたという印象だった。全半壊戸数は18万。多くの住民に避難命令がでていたので逃げたが、それでも65人の方が亡くなった。

戦場を取材したことはなかったが、空爆を受けた跡はこうなるのかと思えるほどの惨状に思えた。東京があのレベルの嵐に襲われたらと思うと、いてもたってもいられない。

講義をするということ

昨年4月から講座を持ち始めた母校のオープンカレッジ(http://www.yoshiohotta.com/2019/03/07/看板犬レオ/)。いまは夏期講義がおわったところだ。

オープンカレッジなので20代の人はほとんどおらず、私の講義を聴いてくださる方の多くが中高年である。それだけに、ある分野では私よりも高度な情報を持ち、分析力も優れた方がいるはずなので気を抜けない。

3カ月が一単位で、講座は秋の学期に移るが、以前と同じ話をするわけにはいかない。というのも、私の講座は「トランプ政権を取り巻くイマのアメリカ」というタイトルがついているので、新しい話をし続けなくてはいけないからだ。

しかも多くの受講者は私の講座を取り続けている。だから「また同じことを言っているよ」と思われないように、絶えず新しい事象に目を向け、イマ起きていることの核心を洞察するようにしているつもりだ。

講義の1日前に起きたことにも触れたりするので、世の中のことに目を這わせ、勉強は怠れない。時に背中に冷や汗をかきながら、「ここまで踏み込んで大丈夫だろうか」とヒヤヒヤしながら、なんとかこなしているというのが正直な思いだ。

それでも秋学期、冬学期、そして来年4月からの講座の依頼がきている。学校側から「あなたクビ」と言われるまで続けていこうと思っている。

9月の見通し

9月に入り、世界経済の見通しはいまだに不透明なままだ。株価は乱高下しており、リセッション(不況)に突入する前段階にさしかかったかに見える。

9月2日はアメリカではレーバーデー(労働者の日)という祝日で市場は休みだったが、休み明け3日のニューヨークダウは反落して前週比285ドル安だった(下落率1.01%)。半月前の8月14日には800ドル安(3.05%安)、23日にも623ドル安(2.37%安)という急落があり、3番目の下落ということになる。

その間、株価が持ち直す日もあったが、株価は下り坂を少しずつ、ゆっくりと降りているように見える。経済学者や金融関係者がよく引き合いに出すISM(製造業景況感指数=Institute for Supply Management)が3年ぶりに50を割り込んだというニュースもある。

ISMは製造業企業の担当者に新規受注や雇用、雇用など多岐にわたる項目を調査した結果で、50を下回ると景気が悪いと感じる人が多いということで、もう右肩上がりの時期は過ぎたという印象がある。最大の要因は米中貿易戦争で、トランプと習近平の突っ張り合いの着地点が見えないことにある。

実は1929年の大恐慌が起きたときもレーバーデー明けから始まった。2008年のリーマンショックもレーバーデーの後で、9月15日にリーマン・ブラザーズが破産申請をだした。日経平均も9月12日に大暴落して26年ぶりの安値をつけている。

夏休み明けの9月は希望を抱く人がいる一方で、暗い気持ちになっている人がいるのも事実で、「世界経済の気持ち」を訊くことができたとするならば、きっと「上は向けないなあ」というのが本音だろうと思う。(敬称略)