ふとした思い・・・

私はいま63歳である。フリーランスのジャーナリストとして独立してから30年になる。フリーの立場なのでもちろん定年はなく、仕事はこれからもずっと続けていられるが、周囲を見渡すと、いつの間にかほとんどの社会人が私よりも年下になっていることに気づき、愕然とさせられることがある。

私は自分の年齢をほとんど気にせずにこれまで仕事をしてきたが、最近になって、仕事仲間と一緒にいたりオフィス街を歩いているときに「最年長かもしれない」と思うようになった。それだからといって仕事を辞めるわけではないが、本当に「いつの間にか」という言葉を強調したいくらい知らない間に歳をとってきた感じがある。

会社員ではないので年次を意識する縦社会に身をおいていないこともある。だが老年というカテゴリーの中でどこまでやっていけるのかという、つかみようのない焦燥が訪れたりする。

記憶力も落ちてきた。妻と以前に行ったレストランの名前どころか、行ったことさえ覚えていないこともある。「認知症か」という恐怖があたりを浮遊し始めるのも私の世代だろう。いまの地点から今後、どこまで飛躍できるのか。自分を試すという意味で、これからは人生を楽しむしかないとも思っている。

ある昼下がり

JR有楽町駅前にある三省堂に立ち寄った。特定の書籍を買おうと思っていたわけではない。ぶらりと立ち寄っただけである。あの店舗は1階に雑誌や新刊本が置かれ、2階には文庫が並んでいる。

「そうだ。あの文庫はあるだろうか」

あの文庫というのは、私が5年前に文春文庫から出した「 エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明 」という本である。5年前の本なので書棚にはないだろうと思っていた。文春文庫のコーナーにいき、アルファベット順に並んだ著者の名前を追う。は・ひ・ふ・へ・・・ほ。

「あった」。心の中に小さな笑顔がデキタ。本を手にとる。いままたその本を読むことはないが、そっと表紙のタイトル部分を人差し指でなぞった。

満屋先生は今年もノーベル賞生理医学賞の候補の1人に挙がっていたのだろうと思う。だが今年の受賞者は、C型肝炎ウイルスを発見した3人の研究者だった。受賞式の2カ月ほど前、NHKの記者が私のところに電話をかけてきて、「満屋先生がノーベル賞をとった時はコメントをください」と言ってきた。

私はほのかな期待を抱きながら待ったが、来年以降という結果になった。結果発表から何日かたったあと、満屋先生と電話で話をする機会があった。先生は相変わらずイチ研究者として、いまは新型コロナウイルスの治療薬開発に邁進されていた。

受賞に関心がないはずはないと思うが、ほとんど眼中に入れずにいまでも一人の医師として、研究者として研究に力を注いでいる先生の顔が浮かぶと、眼の奥がギューーと熱くなった。こういう方にこそノーベル賞を受賞してほしいとあらためて思った。

台風とハリケーン

台風10号が通過したが、到来前に騒がれたほどの破壊力をもたらさなったので、いくぶんか拍子抜けすると同時に、大惨事にいたらずに済んで何よりとの思いが強い。

九州に接近する前は瞬間最大風速「80メートル」という数字もでていたし、多くの方が避難していたので被害を心配していた。停電になった地域は広範囲におよんだが、家屋の倒壊などが広域で起きていないようなので何よりだった。

私はアメリカでハリケーンの取材を何度も経験した。特に1992年のハリケーン・アンドリューはジャーナリストとして独立した2年目の夏で、ハリケーン取材は初めてだったので人生で最も印象に残っている。アメリカの歴史上、「カテゴリー5」に分類されるハリケーンはそれまで3つしかなく、そのうちの1つだった。

直撃されたフロリダ州ホームステッドというところは爆撃を受けたあとのような惨状だった。なにしろ全半壊した家屋は11万超におよび、通過していったところは散乱、錯乱、繚乱といった状態で、どこから手をつけていいのかわからないほど荒れ果てていた。本当に見渡す限り、家屋が暴風で破壊されていたのだ。亡くなった方は65人。

下がその時の写真である。

私には「大型」の台風やハリケーンというと、この時の光景が脳裏に蘇るので、恐れおののくのである。

ライフスタイルの変化

新型コロナウイルスの感染が少しずつ和らぎ始めているかに見える。ただ、ビジネスの世界を中心に、コロナによって深い傷を負ったまま回復できない状態に陥ったところも多い。

またアメリカの話で恐縮だが、660万人以上の感染者を出しているアメリカでは今年、400万以上のビジネス(企業や店舗)が「店じまい」をしたままの状態になるとの予測がある(Oxxford Information Technology)。

コロナが猛威を振るう前、アメリカの失業率は3%台だった。それが今年3月には4.4%になり、4月には14.7%まで跳ね上がる。ただ、そこをピークに失業率は徐々に下降し続け、7月には10.2%まで落ちた。このまま4%台にまで戻ればいいのだが、多くのエコノミストや学者は年末から来年になってもそこまで落ちないとみる向きが少なくない。

予測をする専門家の多くが悲観的な見方をする傾向があることも指摘できるが、それ以上にコロナはライフスタイルの一部を確実に変え、それが今後も維持されるとの見方が有力だからだ。それは買い物や食事といった生活様式の変化だけでなく、テクノロジーの変化も呼び込むことになっている。同時に失業率も高止まりしたまま戻らないというのだ。

それが新たな大不況につながらないといいのだが、、、。

またしても涙(2)

今年1月、以前にもまして涙もろくなってきているというブログを書いた(またしても涙)。その傾向は今も変わらず、むしろさらにウルウルきやすくなっているようにも思える。

昨晩、NHKのBSで『E.T.』を放映していたので、「泣くなあ」と思いながらも最後まで観てしまった。予感どおり、最後の別れのシーンでは涙がとまらなかった。妻は「目が腫れて明日大変なことになるから」と、途中から観るのを止めた。

観終わって、あらためて監督スティーブン・スピルバーグの英知と手腕に感心させられた。脚本を書いたのはメリッサ・マシスンという女性で、以前、俳優ハリソン・フォードと結婚していた人だ。E.T.の脚本を手がけることになったきっかけは、スピルバーグがアフリカのチュニジアで『レイダース・うしなわれたアーク』を撮影していた時だという。

マシスンは同映画に出演していたフォードに会うために同国を訪れており、その時にスピルバーグと話をしたという。そこでスピルバーグは「何でも話せる友人がほしいんだよね。僕のわからないことにすべて答えてくれるような」と言いながら、脚本家のマシスンにE.T.の構想を話している。

from Facebook

それはマシスンに脚本を書くようにという指示だった。そのあと彼女はE.T.の脚本を8週間で書き上げる。残念ながらマシスンはすでにガンで他界しているが、以前メディアに執筆時のことを語っている。

「書いている時から感動してしまって、最後のページではもう目に涙がいっぱいでした。ただ自分が書いたものに感動しても、映画を観てくれる方が同じように感動してくれるかはわからなかった」

もちろん杞憂に終わるわけだが、スピルバーグは以前、「僕は人と人のつながりを描くために映画監督になったのです」と語っていて、E.T.は宇宙人であっても絆の素晴らしさと何でも話せる友人を描いた点で卓絶した作品になった。

今度はいつ、大泣きするのだろうか。