老いをやっつける

昨晩、中学時代の友人たちとテーブルを囲んだ。1970年に中学に入学してからの知り合いだから、55年来の友だちということになる。普段から頻繁に会うわけではないが、酒を飲みながら話を始めればすぐに打ち解けて、まるで連日のように会って話をしているような親密感がある。

中学時代の話も出たが、最近の話になるとモノ忘れについての話題がでる。68歳にもなると、多くの人が忘れっぽくなる。

「俺なんか5分前のことも覚えてないから」

長身の同級生がそう発言した直後、私はすぐに右手を差しだして、彼と握手をした。60代後半になると、モノ忘れを日々実感するのだ。「5分前のこと・・」というのは多少の誇張もあるだろうが、本当に「さっきのこと」が抜け落ちてしまうことがある。それが年齢を重ねるにしたがって増えてきているので「アチャー」というの感じである。

以前にもこのブログで記したが、人間の肉体は骨にしろ筋肉にしろ、歳をとっても新しく生まれ変わっていくが、ある部分だけは生まれ変わらない。それは脳細胞で、さまざまな試みをして死にゆくスピードを遅くすることはできるが、これは並大抵のことではない。

ただ脳には140億個もの神経細胞があり、毎日10万個の神経細胞が死んでも全部なくなるまでには400年もかかる。しかもこれまでは死んだ脳細胞は生まれ変わらないと言われたが、最近の研究から、運動、食事、睡眠、サプリメントの摂取などによって生活習慣を少し変えることでニューロンの新生を促せることがわかってきた。

これからは老いと戦う努力が必要であり、自身に「さあ、老いをやっつけろ!」とはっぱをかけることにしている。

やめてほしい:新たな核競争

トランプ大統領(以下トランプ」)は自身のツイッターで30日、「他国の核実験計画を踏まえ、私は戦争省に対し、対等な立場で我が国の核兵器実験を開始するよう指示した」( Truth Details | Truth Social )と、再び他国との核競争にギアをシフトしたことを明かした。

文面には「このプロセス(核実験)はただちに始まる」と記されており、ロシアや中国とともに再び世界を核競争へと巻き込んでいく可能性がある。米国が最後に核実験を行ったのは1992年のことで、今年行われれば33年ぶりということになる。

「本当にやめてほしい」というのが偽りのない気持ちである。

米国はこれまで多数の核実験を行ってきており、データによれば1951年から92年までに925回も行っている。1996年9月10日、国連総会で包括的核実験禁止条約が可決されて、ようやく核実験の全面的な禁止に至ったが、米国は批准しなかった。 現在も批准していない。

条約に署名してはいるが批准していない国は、米国の他にロシア、中国、エジプト、イスラエル、イラン、インドネシアなど。署名しているが批准していないという意味は、国の代表者が条約に署名しても、国内での国会・議会では承認を得られていないということである。

日本人のパスポート保有率:17%

今朝(27日)、仕事場にいくまえに自宅でラジオを聴いていると、アナウンサーが日本人のパスポート保有率の話をしていた。どれくらいなのかと思っていると17%であるという。「17%」である。あまりに低くないか。

半信半疑だったのでネットで調べると、2024年の国内におけるパスポートの発行数は370万冊で、以前に発行されたパスポートを含めて、確かに「保有率17%」だった。これは米国の48%や韓国の45%などを大きく下回る数字で、ざっくり言えば人口の約8割の人が海外にでていないということになる。特に若者が海外に出なくなってきている。

以前は日本人ももっと海外に出ていたはずである。外務省が統計をとり始めて以降、最も新規発行数が多かったのは1996年の638万冊。昨年の2倍まではいかないが、いまよりもはるかに多くの人がパスポートを手にしていた。

それでは何故、日本人は海外に出なくなったのか。真っ先にくる理由は円安と実質賃金の低下である。1ドル153円(今日のレート)では国外にでた時に多くの物品やサービスが高価に感じる。さらに、非正規で働く若者が多いため、余裕をもって海外での旅をエンジョイできる人が以前よりも減った。

いまの若者はリスクを嫌う傾向が強いため、危険のともなう海外旅行はいかなくてもいいのではないかとも考えるという。また、インターネットを駆使すればかなり多くの映像・画像を入手でき、海外旅行をバーチャル体験できるようになってきていることも理由に挙げられている。

それでも、である。自分の想像をはるかに超える風景や街並みなど、旅でしか味わえないことが山のようにあるはずである。そういう私もしばらく国外にでていないので、、、そろそろと思っている。

高市早苗という人物

1980年代後半、私は米首都ワシントンで高市早苗(敬称略)に会っている。彼女が米民主党下院パトリシア・シュローダー議員の事務所で勤務していた時のことだ。

月に1回、ワシントンの商工会議所が昼食会を開いていて、そこで同じテーブルに座ったのだ。 私がまだジャーナリストになる前のことである。高市は 自分から積極的に声をかけてくるタイプで、 すぐに打ち解けた。 連邦議員の事務所でインターンのような仕事をする日本人は多くなかったので、「やり手の女性だな」との印象をいだいた。

名刺交換をしていたので後日、高市の方から「一緒に食事に行かないか」との誘いがあった。一度だけ一緒にゴハンを食べたと記憶している。その時、すでに政治家になりたいという思いを抱いていて、「将来が楽しみな人だな」と思った記憶がある。

当時の記憶を呼び覚ますと、誰にも負けないほどの秀逸な知能をもっているようには思えなかったが、物おじしない性格から「政界で活躍する人にはなるかもしれない」との感懐を抱いた。しかし、首相にまで上りつめるとはまったく思わなかった。

これからは総理として日本を引っ張っていかなくてはいけない。積極果敢に攻めていってほしいと思う。

ノーベル生理学・医学賞

今年のノーベル生理学・医学賞が6日発表され、大阪大学の坂口志文教授を含む3人の研究者に贈られることが決まった。制御性T細胞という免疫反応の暴走を食い止める細胞を発見した功績は大きく、ノーベル賞という最も権威のある賞に相応しいだろう。

ただ、以前から思っているのだが、研究者が成果を出してから同賞が授与されるまでに何十年もの時間を要していることが多く、もう少し早い時期に発表されるべきではないのだろうか。今回に限らず、このレベルになると医学界では研究成果の重要性はすでに広く認められており、ほとんどの場合、対象者にはすでに他の賞が授与されていることが多い。ノーベル賞は最後の最後に「ハイ、お待たせいたしまた」といった流れで授けらるように思えてしまう。

坂口氏の場合も同様で、 同氏が胸腺を切除したマウスに他のマウスから培養したT細胞を注入して自己免疫疾患を発症しないことを実験で明らかにしたのは1995年のことである。ちょうど30年前のことだ。95年以降、坂口氏にはウィリアム・コーリー賞や慶応医学賞、ガードナー国際賞など20以上の著名な賞が授与されている。そして最後の最後でノーベル賞が「キター」という形である。

拙著 『MITSUYA 日本人医師満屋裕明 エイズ治療薬を発見した男』で記した満屋氏も、随分前からノーベル賞の候補になっていると言われてきた。 満屋氏がAZTという世界最初のエイズ治療薬を開発したのは80年代。すでに40年ほどがたっている。今後、満屋氏のノーベル生理学・医学賞のニュースが聴かれることを祈りたい。