台風とハリケーン

台風10号が通過したが、到来前に騒がれたほどの破壊力をもたらさなったので、いくぶんか拍子抜けすると同時に、大惨事にいたらずに済んで何よりとの思いが強い。

九州に接近する前は瞬間最大風速「80メートル」という数字もでていたし、多くの方が避難していたので被害を心配していた。停電になった地域は広範囲におよんだが、家屋の倒壊などが広域で起きていないようなので何よりだった。

私はアメリカでハリケーンの取材を何度も経験した。特に1992年のハリケーン・アンドリューはジャーナリストとして独立した2年目の夏で、ハリケーン取材は初めてだったので人生で最も印象に残っている。アメリカの歴史上、「カテゴリー5」に分類されるハリケーンはそれまで3つしかなく、そのうちの1つだった。

直撃されたフロリダ州ホームステッドというところは爆撃を受けたあとのような惨状だった。なにしろ全半壊した家屋は11万超におよび、通過していったところは散乱、錯乱、繚乱といった状態で、どこから手をつけていいのかわからないほど荒れ果てていた。本当に見渡す限り、家屋が暴風で破壊されていたのだ。亡くなった方は65人。

下がその時の写真である。

私には「大型」の台風やハリケーンというと、この時の光景が脳裏に蘇るので、恐れおののくのである。

ライフスタイルの変化

新型コロナウイルスの感染が少しずつ和らぎ始めているかに見える。ただ、ビジネスの世界を中心に、コロナによって深い傷を負ったまま回復できない状態に陥ったところも多い。

またアメリカの話で恐縮だが、660万人以上の感染者を出しているアメリカでは今年、400万以上のビジネス(企業や店舗)が「店じまい」をしたままの状態になるとの予測がある(Oxxford Information Technology)。

コロナが猛威を振るう前、アメリカの失業率は3%台だった。それが今年3月には4.4%になり、4月には14.7%まで跳ね上がる。ただ、そこをピークに失業率は徐々に下降し続け、7月には10.2%まで落ちた。このまま4%台にまで戻ればいいのだが、多くのエコノミストや学者は年末から来年になってもそこまで落ちないとみる向きが少なくない。

予測をする専門家の多くが悲観的な見方をする傾向があることも指摘できるが、それ以上にコロナはライフスタイルの一部を確実に変え、それが今後も維持されるとの見方が有力だからだ。それは買い物や食事といった生活様式の変化だけでなく、テクノロジーの変化も呼び込むことになっている。同時に失業率も高止まりしたまま戻らないというのだ。

それが新たな大不況につながらないといいのだが、、、。

またしても涙(2)

今年1月、以前にもまして涙もろくなってきているというブログを書いた(またしても涙)。その傾向は今も変わらず、むしろさらにウルウルきやすくなっているようにも思える。

昨晩、NHKのBSで『E.T.』を放映していたので、「泣くなあ」と思いながらも最後まで観てしまった。予感どおり、最後の別れのシーンでは涙がとまらなかった。妻は「目が腫れて明日大変なことになるから」と、途中から観るのを止めた。

観終わって、あらためて監督スティーブン・スピルバーグの英知と手腕に感心させられた。脚本を書いたのはメリッサ・マシスンという女性で、以前、俳優ハリソン・フォードと結婚していた人だ。E.T.の脚本を手がけることになったきっかけは、スピルバーグがアフリカのチュニジアで『レイダース・うしなわれたアーク』を撮影していた時だという。

マシスンは同映画に出演していたフォードに会うために同国を訪れており、その時にスピルバーグと話をしたという。そこでスピルバーグは「何でも話せる友人がほしいんだよね。僕のわからないことにすべて答えてくれるような」と言いながら、脚本家のマシスンにE.T.の構想を話している。

from Facebook

それはマシスンに脚本を書くようにという指示だった。そのあと彼女はE.T.の脚本を8週間で書き上げる。残念ながらマシスンはすでにガンで他界しているが、以前メディアに執筆時のことを語っている。

「書いている時から感動してしまって、最後のページではもう目に涙がいっぱいでした。ただ自分が書いたものに感動しても、映画を観てくれる方が同じように感動してくれるかはわからなかった」

もちろん杞憂に終わるわけだが、スピルバーグは以前、「僕は人と人のつながりを描くために映画監督になったのです」と語っていて、E.T.は宇宙人であっても絆の素晴らしさと何でも話せる友人を描いた点で卓絶した作品になった。

今度はいつ、大泣きするのだろうか。

三浦春馬氏の訃報

今日(18日)の夕方、俳優の三浦春馬氏が亡くなったというニュースが流れた。「自殺らしい」との話を聞き、「いったい何故」という言葉が口を衝いてでた。

歌って踊れて芝居もできる若手俳優として、自分の思うように仕事ができていたと思っていたので、自殺は解せなかった。本人は世間の人間が想像できない領域で深い悩みを抱えていたのかもしれないが、現時点でこれ以上のことを述べると邪推になってしまうので触れないでおく。

ただ個人的に、ある偶然が起きた。訃報を耳にしてから数十分後くらいのことだ。電車に乗ってすぐ、私はバッグから文庫本を取りだしていた。過去何年も読んでいなかった東野圭吾氏の小説で、今春出版された『素敵な日本人』という本だ。

短編集で、2作目の「十年目のバレンタインデー」という小説を読んでいると、「部屋で首を吊った」という言葉が目に飛びこんできたのだ。訃報の直後だっただけに、あまりの偶然に少しばかり驚いた。小説なので自殺や殺人はいくらでも起きるが、予期していなかっただけに目を見開いた。そして小説内での自殺の原因が気になった。

短編だったので、目的地に着く直前になぜ登場人物が自殺したかがわかった。死んだのは主人公が以前につき合っていた女性で、自殺と思われていたが、実は主人公が自殺に見せかけた殺人を犯していたのだ。

「イヤー、これはない。フィクションとノンフィクションを混同してはいけない」

自分ではそう言いきかせたのだが、小説のような展開はないのか・・・

孤独の時代

数日前、米誌『タイム』を読んでいると「孤独という疫病」という興味深い記事があった。

新型コロナウイルスの蔓延によって在宅の人が増え、一人暮らしの人にとっては必然的に人と会う時間が減り、以前よりも孤独を感じる人が増えているという内容だった。しかもアメリカでは年を追うごとに独身者の割合が増えており、家族がいなければ孤独感に襲われる割合は高くなる傾向がある。

記事の冒頭で、41歳の女性教師の話がでていた。ミズーリ州に住むHさんは離婚を経験し、今は一人暮らしだ。子どもはいない。コロナの前はひとり暮らしを満喫し、自分の時間を自由に使える気楽さに喜びを感じていた。ところがコロナによって人との接触が減り、夜間ひとりでいる時にどうしようもない孤独感に苛まされるようになった。

「笑顔でいる日もありますが、クッションを抱きかかえて、この状態が長く続いたらメンタル的にもつだろうか、あと1年、いや数ヶ月いけるだろうか」

いまアメリカ人でひとり暮らしをしている人は3570万ほどいる。また「孤独感を以前よりも感じていますか」という質問に「ハイ」と答えた人は61%にのぼっている。アメリカ人の一般的な印象は「おしゃべり好き」で「陽気」で「快活」というものかもしれないが、実は以前から孤独に悩む人は少なくなかった。内面は意外に脆く、精神科医にかかっている人も多い。

1971年に桐島洋子氏が「淋しいアメリカ人」を著して大宅壮一ノンフィクション賞を獲った時代から、実は孤独な人が多いことは知られていた。ただ過去数カ月、コロナによって孤独感を募らせている人が増えたことは事実のようだ。

タイムの記事では最後に、コロナを利用して孤独というものをもっとオープンに語れるようになればいいと結んでいたが、孤独というものを理知的に理解しても本質的な孤独感は解消できないだろう。それよりも、実質的な人との触れ合いの時間をもつことこそが重要で、これはほとんどの方がすでに承知していることでもある。あとは本人がどう動くかにかかっている。