水原一平:終身刑でもいい?

お騒がせの通訳、水原一平被告(以下水原)が米時間4日、有罪答弁を行い、銀行詐欺と虚偽の納税申告の罪を認めたが、私はどうも釈然としない。

なにしろずっとそばにいた大谷氏の口座から26億円超の大金を借金返済目的で引き出したのだ。いくら大谷氏が超のつく億万長者であっても26億円という金額はとてつもない額である。しかも「大谷のお金を使うことしか思いつかなかった」としゃあしゃあと発言し、普通では考えられないほどの醜悪さを見せつけている。もはや単なる詐欺師というより「極悪の犯罪者」と呼んだほうがいいだろう。

水原は「有罪です」と起訴内容を認め、すでに司法取引に応じているため、量刑は5~6年になると言われている。 本来であれば量刑は33年の拘禁刑になってもおかしくなかった。だが米国では、量刑がガイドラインにそって数値化されているので、初犯で、しかも控訴しないという条件下ではそれくらいの期間になるという。

しかし、である。これだけ世間を騒がせ、自身の雇い主だった大谷氏から26億円もの巨費を盗み、発覚するまで平然としていた悪鬼である。個人的には「こいつはもうシャバに出してはいけない。終身刑くらいがちょうどいい」と思うのだが、皆さまはいかがお考えだろうか。

あらためて村上春樹

自宅の本棚を眺めていると、まだ読んでいない本が目にとまった。

本はまとめて数冊買うこともあるし、1冊だけ買いたいものを手にとることもある。その本は昨年出版された村上春樹氏の文庫本で、どうしたわけか本棚の奥にひそんでいて読んでいなかった。

村上氏は私の大学の先輩で、あまりにも人気がある書き手なので、長い間敬遠していた。だがある時から読み始め、「やはり面白い。読者をストーリーの中に引き摺り込む術を心得ている」と思ってからはよく読むようになった。

その本は昨年、文藝春秋社から出た『一人称単数』という文庫本で、8本の短編がまとめられている。さっそく今朝(25日)、『石のまくらに』という最初の小説を読んだ。主人公は大学2年の青年で、バイト先でであった歳上の女性と一晩を共にする話なのだが、相変わらず読みやすい筆致でどんどん進む。

いまさら私が村上氏の作品の良さを説明することほど野暮なことはないだろうが、今朝、あらためて思ったことをいくつか記したいと思う。ひとつ目は誰にでも起こりうることを題材にしていながら、その題材を正面や裏面だけでなく、多角的に眺めながらさりげなく書いている点である。さらに読者が疑問を抱くことをよく理解しているので、その答えを自然に物語の中に配置して読者の満足感を高めている。

さらに心に残るセリフはずっと後まで残るほどで、やはりモノ書きとしてのセンスの良さを感じざるを得ない。たとえば、文中で「人を好きになるというのはね、医療保険のきかない精神の病にかかったみないなものなの」というセリフを主人公に言わせる。これは村上氏らしい表現で、ウウウと唸ってしまった。

またしばらく村上熱が蘇りそうだ。

民主主義は本当に機能しているのか

英エコノミスト誌(5月18日号)に「米国は独裁者を阻めるのか」という大変興味深い記事が掲載され、あらためて民主主義の重要性を考えさせられた。

英文のタイトルは「Is America dictator-proof?」で、ある意味で大上段に構えた内容だが、金融危機や地域戦争などを経て、アメリカの民主主義はいま存亡の危機に瀕しているのではないかという根源的な疑問を投げかけている。米国は1776年に独立してからほぼ250年ほど、これまで独裁者に国家を乗っ取られたことはなく、民主主義体制を維持してきている。

米軍の力が強大だったという点もあるが、記事の中ではそれ以上にアメリカ市民や裁判所、政府が民主主義に対して強い信念を持ちつづけてきた結果であるとしている。

しかし、問題がなかったわけではない。記事によれば、最近アメリカでは民主主義のあり方に満足している市民は4人に1人に過ぎないという。情報調査をするシンクタンク、ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center)が最近行った調査では、不満足と答えた人は66%で満足の33%を大きく上回っている。

政治に不満がある市民は選挙を使って訴えることができたが、同記事では「政治家はいま市民からの要求に応えていない」と民主主義の屋台骨が揺らいでいると記した。これはたぶん日本でも同じで、ピュー・リサーチ・センターの数字では日本も満足が35%、不満足が63%という惨憺たる結果である。

たとえばスウェーデンなどは自国の民主主義に対する信頼感が高く、満足が75%、不満足は25%という数字だ。日本は政治不信といわれて久しいが、この流れを逆転させることはできるのだろうか。

凄烈:井上尚弥のパンチ

6日夜、東京ドームで行われた4団体統一スーパーバンタム級タイトルマッチをネット上で観た。久しぶりにボクシングの試合を観ながら手を握りしめ、熱くなっている自分がいるのがわかった。こうした気持ちになったのは何年ぶりのことだろう。

地上波では放映していなかったが、ネット上で視聴できたので興奮しながら観た。普通のボクシングの試合であれば観ることはなかったと思うが、井上尚弥が4団体統一王者であることと、素人であっても彼のパンチの鋭さと激烈さがよくわかったので、パソコンの前に座った。

昨日の相手は元世界2階級制覇王者のWBC世界同級1位ルイス・ネリという手強い相手であることは知っていたが、井上の方が優っているだろとの希望的観測から、いつ倒すのか楽しみにその瞬間を待った。ただ1回、これまで一度もダウンを喫したことがなかった井上がネリの左フックを受けて倒れる。

「これはヤバイ」。今日は勝てないかもしれないと思ったが、2回2分過ぎに今度は井上がネリにパンチを浴びせてダウンを奪った。そして6回、井上が連打を繰り出してネリをTKOにしとめた。

観ていて思ったのは、井上のパンチの速さと嬌激さである。いくらプロのボクサーとはいえ、あのパンチが顔面にヒットしたらマットに沈むしかない。どれほどの衝撃があるのかは考えたくもないほどで、ボクシングの熾烈さをあらためて思い知らされた試合だった。

「常に不満足でいることが前に進むための原動力になる」

皆さんは以前にどこかで聴いたことのある諺や格言を耳にして、ハッとさせられたことはないだろうか。

今日の午後、東京FMを聴きながら仕事をしていると、番組のパーソナリティーである山下達郎氏が、「常に不満足でいることが前に進むための原動力になる」と述べ、ハッとした。

これは山下氏が普段から心がけていることで、仕事をする上で完成した作品に満足しないことが次につながる力になると話していた。いま71歳の山下氏は1970年代から自分のアルバムをリリースしてきたが、締め切りまで粘って作品を良くしていく努力はするが、時間的にこれ以上は延長できないところまで力を尽くしても本当に満足できたことはほとんどなかったと述懐していた。特に若い頃はそうだったという。

不満足でいるということはいたたまれない心情ではあるが、その思いこそが「次こそもっといい作品を」という思いになり、前進していけると話した。

こうした気持ちはある意味で真理かもしれない。もちろん不満足といっても、山下氏のレベルであればすでにかなりの作品に仕上がっているはずで、もっと先に進むために自分自身にダメ出しをする同氏の一途さには感心させられた。