夢から醒めて・・

「アー、夢だったかあ。現実じゃなくてよかった」

朝6時前に目を醒ました。高校時代の夢をみていた。この歳になっても10代の頃の夢をみたことに驚いた。

日本史の期末試験のための勉強をしている夢で、徳川15代将軍をすべて覚えなくていけない状況だった。夜中まで勉強をし、寝る前までにいちおう初代家康から15代目の慶喜までを覚えた。忘れないように、耳から将軍の名前がすべて出てしまわないように耳栓をして寝ていた。

朝起きると、ベッドの上に耳栓の1つが落ちていた。試しに15人の名前を言ってみると、家康以外でてこない。2代目の秀忠以降は誰もでてこない。耳から名前がベッドの上にこぼれてしまい、拾おうとしたが集められずに焦っているという夢だった。

なぜ徳川15代将軍についての夢をみたかといえば、数日前にネットで15人のリストを眺めたからだと思う。

嗚呼、オソロシヤ・・・。

久しぶりのエアメール

ニューヨークにいる友人のジャーナリストM氏からのエアメールが郵便受けにあった。

彼は毎年、クリスマスカードを封筒に入れて送ってくれる。というのも、カードとは別にいつも手紙を添えてくれるからだ。心温まるカードと文面に一瞬心が溶けるような嬉しさがこみあげた。

近年、メールやラインなどでの挨拶が増えており、海外からの封書を受け取ることも少なくなった。久しぶりにみる赤と青のストライプは懐かしさと同時に喜びを運んでくれた。

安倍とトランプの共通点

「桜を見る会」の問題がいまだに尾を引いている。ホテルニューオータニでの前夜祭で首相夫妻が5000円を支払わなかったという問題から、招待者名簿の廃棄問題まで、首相側は政府内でつじつまを合わせて真実を語ろうとしない。

常識を働かせれば、招待者名簿はデータとして残しておいた方が今後のために役立つと誰しもが思う。印刷された文書はともかく、データであれば1万数千人であってもセーブしておくことは常識であり何の支障もないはずだ。

それを廃棄してしまった。野党から資料請求があったから廃棄したのではないと説明したまま安倍は当件を終わらせようとしている。政府内部に真実を知るものがきっといるはずで、内部告発をしてほしいが職を失うことになるので、自分の将来をかけてまで安倍を糾弾するガッツある公務員はでてこない。

ただ招待者名簿の問題以上に、実はニューオータニでの前夜祭での利益供与の方が重要で、公選法違反にあたる可能性が高い。しかし安倍は違法行為はなにもしていないという態度で、2日の参院本会議の答弁で「逃げ切った」と思いこんでいるようだ。

これはトランプがいま直面しているウクライナ疑惑に酷似している。トランプは同国大統領のゼレンスキーを脅迫、強要して民主党バイデンの周辺を調査させたことが関係者の証言ですでに明らかだが、トランプは弾劾調査(上院では弾劾裁判)で生き残るはずである。ウソをついても、違法行為をしても、絶大な権力者として命脈を保つのである。

トランプの場合、トランプに指名された大使が彼を裏切るかたちで議会証言をしたが、それでも事態がひっくり返ることはない。

これが先進国といわれる日米両国のいまの政治の姿である。(敬称略)

あの日の思い出

昨日、ニュースサイトのネットサーフィンをしていると、俳優ロバート・レッドフォード(83)についての記事がでていた。

今年、映画『さらば愛しきアウトロー』をもって俳優を引退すると宣言していたが、10月20日から始まった米HBOのドラマ『ウォッチメン』に大統領役として出演していることがわかった。以前、レッドフォードは80歳で引退すると言っていたが、80歳直前の作品に納得がいかず、結局『さらば・・・』までやることになったと述べていた。

そして今、劇場用の映画ではないが俳優を続けており、演じる仕事を断ち切れないのだなあと思う。それは制作サイドからの出演依頼が絶えず来ているということでもあるし、本人も継続したいとの気持ちがあるからなのだろう。

80歳を過ぎて顔には多くの皺が刻まれているが、いまでも男の色気を漂わせ、立っているだけで絵になる数少ない俳優である。

実はレッドフォードには2004年、ニューヨークのホテルのスィートルームでインタビューしたことがある。まだ私がワシントンに住んでいた時のことだ。『モーターサイクル・ダイアリーズ』という映画のエクゼクティブ・プロデューサーだったレッドフォードは、日本のメディアのインタビューにも応えてくれたのだ。

あの時、私にはカメラマンも助手もおらず、1人で乗り込んでいったのを覚えている。レッドフォードの方は数人の取り巻きがいたが、インタビューが始まると部屋からでていったので、数十分間は2人だけで話をした。

私はそれまでに数多くの人にインタビューをして慣れているつもりだったが、レッドフォードという存在に胸が高鳴り、何をどう話したのかよく覚えていない。私にはとにかく『明日に向かって撃て』の『華麗なるギャッツビー』の『追憶』のレッドフォードだったので、目の前にいるだけで夢ごごちだった。

彼はアカデミー賞を2度獲っているが、監督賞と名誉賞であって主演男優賞ではない。どれほど男優賞を欲しかったことか。いま思うとインタビュー時、獲れていない悔しさのようなことを訊きたかったが、訊けなかった。

いまでも演じることにこだわっているのは、その宿望があるからなのか、、とも思っている。

いつの間にか・・・

いつの間にか、人生の折り返し点を過ぎてからずいぶん時間が経った。歳をとることに恐怖も羞恥もないが、どうしても若い人たちとの間に考え方やライフスタイルに違いができる。

これは当たり前のことだが、違いがあることに腹を立てないようにしている。たとえば電車に乗ると、ざっと見渡すかぎりで8割くらいの人がスマホをいじっている。ラインやゲームをしたり、ネットニュースを読んだり、音楽を聴いたりと自由自在だ。

私もスマホを見ているので不満があるわけではない。ただ本を読む人をほとんど見かけないので、「本をもっと読もうよ」と心のなかで叫ぶことがある。もちろんネット書籍をダウンロードして読んでいる人もいるので、「読んでますよ」と反論されるかもしれないが、それでも以前よりは減っている。

最近、わたしはまた小林秀雄の文庫本を読んでいる。2年前の当欄で「小林秀雄の言葉」というブログを書いた、あの小林である。

浅薄な事象があふれている世の中で、時代を越えて閃光をはなつ思索や表現が次から次へと表出する。私も長い間モノを書いているが、いつも小林の文章を読むと脱帽してしまう。

本の中で次のような指摘があって、おもわず線を引いてしまった。

「弱い作家というのはみな生活の方が進んでいるのです・・・もっと平凡な言葉でいうと、だいたい作家に会ってみると、その作品よりも人間の方が面白い。これは普通のことですけれども、作品を読んだら本人にはもう会いたくないところまでくると、これは大作家です。(会ったことはないけれども)ドストエフスキーはもう会ったって何にもなりません。「カラマゾフの兄弟」のような大表現を日常生活ではしていないはずです」

これほど納得させられた私見を最近、お目にかかっていない。これは作家以外の芸術家や表現者にもいえることで、作品が秀逸すぎて世の中から圧倒的なまでに突き出していたら、作者はその下に位置することになる。

いまの時代ではいったい誰になるだろうかー。