ツイッターの威力

ツイッターやフェイスブックといったSNSの力をこれまでさまざまなメディアで紹介してきた。

私自身、フェイスブックは2009年8月から、ツイッターは10年4月からスタートしたが、最近はたまにしか更新しなくなってしまった。そればかりに気をとられることに恐れおののいたからだ。SNSの威力をさかんに吹聴していたにもかかわらず、である。

けれども、自分の書いたコラムの反応を見て、あらためてSNSの強さを思い知らされている。

コーポレートランドの衝撃   もはや国家は企業を支配できない

先月末の原稿である。それに対してツイッターには10月4日現在、約220本のコメントが寄せられている。フェイスブックへの転送は約330本だ。

http://twitter.com/#!/search/httpJBpress

賛否両論が渦をまく。私の手元から離れたところで多くの方が感想を述べている。これこそが21世紀型のコミュニケーションである。

デザインを軽視する企業のゆく末

アメリカ企業で最近、小さな論争が起きている。それは今をときめかすIT企業のアップルやグーグルで、その発端を見いだすことができる。

両社はIT企業というくくりだけでなく、21世紀型の企業の代表格として成功を収めているが、製品デザインについては両極といえるほど議論が分かれている。通説にはあまり耳を傾けたくないが、次のような論じられ方をしている。

               

       

                          

「アップルはコンピューター技術者がいるデザイン企業だが、グーグルはデザイナーがいるコンピューター企業」

両社にはそれほどの違いがあるという。IT業界のデザイン担当者と話をすると、「グーグルはデザインという点ではまあまあだと思います。アップルはかなりいい線いっていますよ」

という答えが返ってきた。しかも両社のデザインの決定プロセスには大きな違いがあった、、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。

B級グルメの敵

多くの方は政治や経済の話よりも食べ物に興味がある。テレビを観れば連日のようにグルメ番組がオンエアされている。

観るだけではもちろんつまらない。いろいろな店に出入りする。広々とした個室に入ると三味線が聞こえてくるような店にも行けば、ビール箱の上に板を乗せただけの店もある。「守備範囲が広い」という表現があるが、誇張を許してもらえるならば、キャッチャーから外野席の上までといったところだ。

先日、幼少の頃からの友人Mと久しぶりに会い、焼き鳥屋にはいった。テーブルはビール箱ではなく、普通のカウンターだった。鶏づくしの店で、先付けから焼き物、揚げ物、すべて鶏肉である。B級グルメとしては82点という印象で、けっして悪くない。 

「毎朝、鶏をさばくところからスタートします」

こうした張り紙もある。塩梅もいい。心地よいベッドの上に横になるような快感ではないが、座り心地のいい椅子にきちんと腰掛けたときに味わえる満足感に似たものがあった。

ビールからレモンハイに移ってしばらくした時、横に座った客が紫煙をくゆらせ始めた。

                               

スコーンといきなり椅子の脚を払われた感じがした。床に投げ出され、それまで味わったトリがすべて廃棄処分にされてしまったかのようである。

ただ友人も私も何も言わなかった。店を出たあともタバコについて話をすることはなかった。数日たってから、タバコは「B級グルメの敵」というメールが彼から届いた。「その通り」と返送。

いわゆる高級店では禁煙が多くなってきているが、B級グルメにその波が訪れるまでにはまだしばらくかかりそうである。紫煙から逃れてずっと居心地のいい椅子に座っていたいが、いまの日本の飲食業の状況が許さない。

また一つため息である。

日本人になるドナルド・キーン

ドナルド・キーンが先週、外国特派員協会の会見に姿をみせた。

89歳。ニューヨーク生まれの日本文学研究者は小さな人だった。年老いて背が縮んだことを考慮しても、アメリカ人にしてはかなり小柄である。だが、口調は60歳といってもいいくらい快活で、明瞭である。

記者の質問にもすべて丁寧に答える。しかも実直に。心中にまったく蟠(わだかま)りを抱かないかのような純粋さがある。それは研究者としての生活が長かったからという理由だけではないだろう。

2時間近くもさまざまな話をすれば、本人の輪郭はみえてくる。キーン自身の篤実な人間性がそこに表出する。幾多の文学賞を受賞していることは結果でしかなく、彼の本質は文学にたいする「熱誠」だと感じた。

そんな彼が日本国籍を取得して日本人になると決めたのは今春である。

「ニューヨークでの生活よりも日本で暮らす方が魅力があると思ったから」

会見ではそう簡単に説明したが、たぶん一冊の本を書けるくらいの熟考があったはずである。コロンビア大学での教鞭を今夏で終えたことも理由の一つだ。

私は人生のほぼ半分をアメリカで暮らし、多くのアメリカ人と接したが、彼ほど日本に対して肯定的で前向きな考え方を持ち続けている人を他に知らない。アメリカにあっては例外中の例外だろう。

いやこれからは日本人だ。しかも自宅のご近所さんである。(敬称略)

トップを決める日米プロセスの差

どうもすっきりしない。

何がかと言えば、政治システムそのものにである。民主党代表選の告示から投票まで2日。それから5日もたたないうちに新内閣の顔ぶれが揃うという慌ただしさである。

これまで何度も同じような期日で新首相が決まり、大臣も選ばれてきたので別に驚くことではないらしいが、「あまりにも短いだろう」と言いたい。だが政治家もメディア関係者も慣らされていて大きな疑問を発しないようだ。

衆議院議員のNは先月の勉強会で、「代表選でちゃんと政権構想を用意できていたのは小沢(鋭仁)さんだけ」と言った。人間的にも能力的にもたいへん秀でた人だが、最終的な代表選では外されてしまった。

小沢(一郎)陣営から海江田と小沢鋭仁が立ったが、鳩山が「今回は鋭(さき)さんには遠慮していただいて、、、」と言われて、海江田に一本化されるのである。

昨年、あれほど惨めで情けない辞め方をした鳩山が、いまだに政治家を続けていること自体が信じられない。いまだに政治力をもっていることに唖然とさせられる。自民党の安倍晋三も同様で、いまだに政治記者はありがたがってコメントを取りに行っているが、完全に無理していい政治家の一人だろうと思う。

一般の人であれば矛盾を感じることが、永田町や霞ヶ関では慣らされることで不自然さを感じなくなり、さらに改正すべきとも思わなくなる。

いつもアメリカを例にあげて恐縮だが、来年11月の大統領選挙にむけてすでに共和党候補たちは全米を駆け回っている。文字通り全身全霊をこめてキャンペーンを行っている。その間にカネを集め、政策を練り込んでいく。足の先から頭の上までチェックされ続け、ようやく一国のトップに登りつめられる。むしろ時間をかけ過ぎているくらいだ。

閣僚人選にしても、アメリカでは当選後に選考委員会を作って2ヵ月ほどかけ、人材を選別していく。それでもハズレはある。

だが、民主党代表選は300人弱の国会議員の直接投票できまった。これはまさに高校、いや中学の生徒会長を決めるプロセルに似ている。議員は確かに有権者によって選ばれた代表者だろうが、今回の選挙で背後に有権者のコンセンサスや意識は見えない。

それよりも、次の選挙で自身の政治家としての命がどうなるのか、小沢一郎を排するためには誰に票を入れるべきかといった政治力学が見て取れる。その結果として野田が選ばれている。

本当にこの男がいまの日本のトップとして最良の選択なのか。外交を知らない玄葉を外相に、国防の素人である一川を防衛相にすることが国益に適っているのか。

答えはもちろんノーである。

政治プロセスとシステムの抜本改革が必須なはずだが、そうは感じない人がいるので、この問題は今後も解決しないままである。(敬称略)