政治システムに完璧なし

このところ、崩れゆく資本主義の行き先について考えている。

シンガポールに来て、ひとつのヒントがここにあると思ったが、シンガポール人10名ほどと話をすると次から次へと不満が口をついてでる。どこの国でも現政権に対する批判はあるが、人口も増え、経済成長もいちじるしく、生活水準も高いこの国でも求めるものはつきないことがわかる。

                            

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1965年の独立以来、現在の首相リー・シェンロンで3人目のリーダーである。政治的には人民行動党の一党独裁で、国家資本主義を推進している。

市民は普通にカネ儲けに走ることができるが、車1台買うのに所有許可証を数百万円はらって取得しなくてはならず、制約は少なくない。

政治的にモノ事を進めるときに、「緩やかな独裁」は日本とは比較にならないくらいのスピード感で決断できるが、首相の年俸は数億円で、一部の富裕層は何台もの車を所有し、一般市民との間に格差がひろがっている。

それでも憤懣が表出しているわけではない。「独裁者」を打ち倒そうという運動は起きないのか問うと、「ないない。平穏は保たれているから」とリビアのような独裁者とは違うと言う。

人口約520万。4割弱は移民である。母国語はマレー語だが、コンビニの店員もタクシーの運転手も英語を話す。淡路島とほぼ同じ面積のこの国は、気候も町のつくりもどことなくフロリダに似ている。

若い国だからこそ高い効率を追求した国家が建設できたのか、それとも緩やかな独裁だからなのか、はたまた中国人を中心にした混成チームによる国民性のあらわれなのか。

日本国内にシンガポールに似たモデル都市を作っても面白い。

    

反格差デモの本質

前回のブログの冒頭で、「もしかすると資本主義は機能しないかもしれない」と書いた。ウォールストリートで起きているデモの根源的な原因はそこにたどり着くかもしれない。

15日午前、日テレのナマ番組に出演機会があったので同じことを述べたが、テレビでは時間が少な過ぎて説明する時間がなかった。本当にテレビは「瞬間芸」で勝負する媒体だと再認識する。デモについての私見は、某出版社のH氏からも要望があったので、このブログで少し述べることにする。

社会格差は資本主義社会である以上、いつの時代にもあった。アメリカでは初代大統領のジョージ・ワシントンがすでに一般労働者の1000倍の給料をとっていたことはアメリカではよく知られている。あとは程度の問題だ。

1930年代くらいまで、アメリカの大企業トップと一般社員の給与の差は30倍くらいに落ち着いていた。いまのような300倍を超える格差が問題視されはじめるのは90年代以降で、特にストック・オプションが企業役員の総合報酬制度(コンペンセーション)の中に組み込まれるようになって以降のことである。

社会格差というのは社内格差から始まっていて、それはリーマンショック後もほとんど改められていない。トップ1%がアメリカの富の40%を牛耳り、トップ4%では8割近くになるという不条理は、デモがあったところで変わらない。

これは究極的なエゴイズムの追求であり、他人も国家もどうなろうが構わないという意識が具現化された資本主義社会の末期的な兆候かもしれない。

さらに、数回前のブログで記したように、「コーポレートランド」の暗躍によって、大企業が小国家よりも強大な経済力を持つようになってきた現実を突きつけられている。いずれは市民の大きな反乱につながらないとも限らない。

奇しくも、19世紀後半、マルクス・エンゲルスはこうした資本主義の邪悪性を看破し、その上の段階として共産主義を唱えていたが、共産主義の幻想もまた実証されていて、社会がどういった方向に進むのか、いまはわからないとしか答えられない。

                                   

   
 

新国家主義への道筋

「もしかすると資本主義は機能しないかもしれない」

この仮説を耳にしたのは今春、ハーバード大学経営大学院の教授と会った時のことである。

仮説の段階に過ぎないが、世界の経済・金融情勢を眺めると仮説を十分に実証できるほどの危機感を携えている。話の後半、「資本主義危機論」は教授一人の考えではなく、世界中の政治家や企業家、学者の多くが共有する憂慮であることを知った。

すでに資本主義は機能不全を起こして、世界各地でその症状が出ていると理解して間違いない。しかし学究的な論考が積み重ねられるのはこれからである。
 
そんな時、『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌が9月号で「世界資本主義の危機:どう対処するのか」という特集記事を組んだ。ハーバード・ビジネス・スクールにいる3教授による共著で、内容はまさに私が小さな衝撃を受けた資本主義危機論だった、、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。

ツイッターの威力

ツイッターやフェイスブックといったSNSの力をこれまでさまざまなメディアで紹介してきた。

私自身、フェイスブックは2009年8月から、ツイッターは10年4月からスタートしたが、最近はたまにしか更新しなくなってしまった。そればかりに気をとられることに恐れおののいたからだ。SNSの威力をさかんに吹聴していたにもかかわらず、である。

けれども、自分の書いたコラムの反応を見て、あらためてSNSの強さを思い知らされている。

コーポレートランドの衝撃   もはや国家は企業を支配できない

先月末の原稿である。それに対してツイッターには10月4日現在、約220本のコメントが寄せられている。フェイスブックへの転送は約330本だ。

http://twitter.com/#!/search/httpJBpress

賛否両論が渦をまく。私の手元から離れたところで多くの方が感想を述べている。これこそが21世紀型のコミュニケーションである。

デザインを軽視する企業のゆく末

アメリカ企業で最近、小さな論争が起きている。それは今をときめかすIT企業のアップルやグーグルで、その発端を見いだすことができる。

両社はIT企業というくくりだけでなく、21世紀型の企業の代表格として成功を収めているが、製品デザインについては両極といえるほど議論が分かれている。通説にはあまり耳を傾けたくないが、次のような論じられ方をしている。

               

       

                          

「アップルはコンピューター技術者がいるデザイン企業だが、グーグルはデザイナーがいるコンピューター企業」

両社にはそれほどの違いがあるという。IT業界のデザイン担当者と話をすると、「グーグルはデザインという点ではまあまあだと思います。アップルはかなりいい線いっていますよ」

という答えが返ってきた。しかも両社のデザインの決定プロセスには大きな違いがあった、、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。