国家を語ること

ある朝、テレビを観ていると久しぶりに元首相の中曽根が出ていた。

92歳にしてはあまりにシャープな物言いに驚かされる。彼の支持者ではないが、中曽根は英語でいうポリティシャン(politician)ではなくステイツマン(statesman)なのだろうと思う。その違いは、前者が単なる地元有権者の利害の代弁者であるなら、後者はもっと高い見識から国家を見据えて行動できる者といえる。

番組の中で言った。

「最近の政治家は国家を語らなくなった」

その通りである。首相の菅に足りないというより、ほとんど持ち合わせていないと思えるのが国家像である。それなくして首相はすべきではない。国家財政の数億円をどうするといった話は小役人に任せるておけばいい。いま国民が望んでいるのは、これからの日本がどういう方向に進むべきかのビジョンを明確に示すことである。

先週、ハーバード大学経営大学院(MBA)教授のリチャード・ヴィートーにインタビューした。 ビジネス書で今売れている『ハーバードの世界を動かす授業』の「主人公」である。

     

                             

彼の場合、一国の国家像というより世界中の国をかなりの深度でくまなく解析しているので世界像といえるが、近未来の日本やアメリカ、中国、インド、ヨーロッパの進む方向を大局的にも局所的にも論じており、目を見張らされた。

マクロ経済のプロとしての立場だけでなく、各国の政治や社会、文化にいたるまで縦横無尽に語れる人物として、これまで私がインタビューした数千人の中でもトップ5に入る人物だ。その彼は、いまの日本についてかなり悲観的である。政治システムが機能していないので、大きな変革が必須との指摘だ。

詳細は週刊誌にゆずるが、菅が第2次改造内閣を打ち出したところで、すでに国民は現状に大差がないことを熟知している。民主党は13日に千葉市で党大会をひらいたが、人事問題を中心にした内輪揉めに終始し、いまの日本が置かれた深刻な状況を打破しようとの心意気は見られない。

国家像どころか党内の人間関係に終始する始末で、ポリティシャンにもいたらない輩が増えたという思いが強まるだけである。(敬称略)

リーダーになる準備期間

菅が首相になって7ヵ月がたとうとしている。

6月初旬に首相の座についた直後、鳩山のふがいなさの反動と期待で支持率は60%を超えた。それが日を追うごとに下がり、今では20%台である。

アメリカのオバマも2009年1月の就任直後がもっとも支持率が高く、ギャラップ調査では68%だった。その数字もジリジリと下がり、今では40%台である。だが過去1年、大きな変化はない。

40%台後半の支持率というのは、アメリカ社会が08年のオバマ旋風から、リベラルと保守でほぼ二分されている本来の政治的均衡に戻ったことを示すもので、別段驚くことではない。それよりも菅の20%台の方が危機的な状況だ。

ここで指摘したい点はリーダーになる準備期間の違いである。

菅は鳩山が突然辞任した後、1週間もたたないうちに首相になっている。勝手に「ヤーメタ」と首相の座を降りた鳩山の無責任さもさることながら、すぐに1億2000万人のトップの座につかざるを得ない菅に、国民は期待した。だが首相になるための用意周到な助走時間はなかった。

「いずれ俺が首相になる日が来るだろう」くらいのことは脳裏にあっただろう。けれども、日本という国家をどう建て直すかのブループリントを携えてはいなかった。もし、具体的な日本再建計画を持っていたら、過去半年の体たらくはない。菅政権はまったく別モノとして機能したはずだ。

新聞やテレビは閣僚人事を大きく取り上げるが、問題は閣僚人事などではない。首相が自身の描くビジョンを国民に示し、それを実行できるかにある。菅は頭の悪い人ではないが、準備期間があまりになさすぎた。

これは今後の首相にもいえることで、この点で日本は政治システムを変える必要がある。政治的空白を出さないようにしながら、国のトップを決めるプロセスにはもっと時間をかけなくてはいけない。なによりも、首相候補が少なくとも数十人のブレインを持ちながら、最低でも数カ月をかけて今後の日本という国家のあり方、改革の指針を策定しなくてはいけない。

この点において、アメリカの大統領制はよくできていると思う。むしろ選挙期間が長すぎ、カネがかかり過ぎる欠陥が顕著だ。それでも来年早々に、サラ・ペイリンやミット・ロムニーといった共和党候補が12年の大統領選挙にむけて名乗りをあげてくるはずだ。

    

                            

彼らにはリーダーになる前に2年という準備期間がある。

日本の首相候補には最低でも半年ほどの足固めの時間を与えないと、今後も同じ体たらくが連綿と繰り返されることになる。(敬称略)

グレーホワイトの世界

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何十年かぶりに訪れた諏訪湖は、思っていた以上に小さく見えた。

「日本中どこにいっても」という言葉が誇張でないほど温泉が湧きだしているので、湖畔にも湯水が流れる。

けれども地方の町は、温泉の熱とは対照的に冷たく、暗く沈んでいる。端麗な雪景色が世界を包んでいるが、寂しさが漂っていた。

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北方領土への愛憎

有楽町にある外国特派員協会のワークルームで仕事をしていると、ドイツ人記者が昼食の誘いにきた。

一人で食事をするのが嫌いな男なので、知り合いがいれば誰かれかまわず声をかける。会話は気づいたら領土問題になり、最後まで領土問題から外れることはなかった。

尖閣諸島について、日本政府は「領有権問題はない」としているが、北方領土は依然としてロシアに実効支配されている。日本政府は「我が国固有の領土」との判断だが、現実的な返還はきわめて厳しい。

時間がたてばたつほど困難の度合いは増す。 沖縄のように、アメリカによって占領されていた時も日本人が住んでいれば話は別である。現在北方4島に住んでいるのはロシア人である。しかも戦後65年もたっている。

    

                                 

「俺の祖父の時代から住んでいる島だ。昔は日本人が住んでいたかもしれない。でもいまはロシアの領土だ」

島民はそう考えている。当たり前である。半世紀以上住み続けた土地を簡単に譲り渡すはずもない。天然資源と豊かな漁場もある。

仮にロシアの占領があと100年続いたら、ここはもうロシアの領土という認識である。日本固有の島などという話はおとぎ話でしかなくなる。

世界の領土は南極などを除いて20世紀中にほとんど特定国家に帰属した。その奪い合いは今でもあるが、その手法は極めて野蛮だった。戦争による奪取が日常なのである。戦勝国が策定した条約内容によって、土地は切り刻まれ、好きなように併合された。ドイツ人が言う。

「ヨーロッパではポーランドが可哀そうだった。ドイツとロシアに挟まれ、勝手に国境を変えられた。日本人にはわからない感情だろうと思う」

フランスとドイツの国境にアルザス・ロレーヌという土地がある。現在はフランス領で、ストラスブールが中心都市だ。世界史の教科書に出てくるので、覚えておられる方も多いだろう。この地方は元々ドイツ文化圏で、ドイツ語の方言の一つアルザス語が今でも話されている。

1648年、三十年戦争の終結(ウェストファリア条約)で、神聖ローマ帝国からフランスに割譲される。

その後、どうなったか簡単に記したい。1870年の普仏戦争でプロイセンがフランスを破って今度はドイツ領に戻される。1919年、第一世界大戦でドイツが敗れると今度はフランス領に逆戻り。1940年にナチス・ドイツが再度奪い返したが、ドイツが第二次世界大戦で敗れたのを機にフランス領となるのである。

「もともとドイツ領なんでしょう。返還しろという機運は生まれないわけ?」。私が訊くと、ドイツ人は「もうないね」。

国際法上は国家間の土地の売買は可能だが、21世紀の現在、安全保障問題などからほとんど無理と言っていい。アルゼンチン沖に浮かぶフォークランド諸島も、つい20数年前にイギリスが勝ったこと実効支配が続いている。

北方領土は地道な交渉によって返還させるのが正道。アメとムチを使った返還交渉は不可能ではない。武力で奪い返すのも一手。この場合、国際社会が黙っていないが、「ここは日本固有の領土だから」と突っ張り、血を流しても構わないと思えるのならアリかもしれない。

だが周囲を見渡すと、それだけの気概をもった人たちはいない。現実的な北方領土返還は極めて低いのである。

刀をつくる

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先日、ある職人の世界を垣間見た。刀工の現場である。

「えっ、いまだに日本刀を作っている人がいるの?」

そういう疑問が発せられても当然である。ほとんど世に流布していなので、知る人は少ない。現在、日本刀を作っている刀鍛冶は全国、いや世界中に200人いるかどうかである。

実は文化庁が毎年行っている美術刀剣刀匠という試験に合格した者だけが、刀を作れる資格をもっている。その一人、群馬県富岡市に工房を構える石田國壽を訪ねた。

刀の材料となるゴツゴツした玉鋼(たまはがね)から、指を置いただけで切れてしまいそうな鋭い作品に仕上がるまでの全工程を、一人だけで丹念にこなす。鉄を収斂させていく初期過程では、1360度にまで鉄を熱する。オレンジからイエローに近い色になったところで叩いて伸ばし、切れ目をいれて折り返す。それを何度か繰り返す。

「穴があいても構わない服装で来てください」

叩いた時に火花が四方八方に散る。刀工の見せ場でもある。赤松の炭がボウボウと燃え、工房の中は冬場でも30度近くになる。

「刀ヒトフリを作るために12キロ入りの炭を20俵から30俵は使います」

精緻と豪放を同居させながら、1カ月にヒトフリ、フタフリを仕上げるのがせいぜいである。800年ほど前から日本刀が作られ、古刀の人気は今も高いが、21世紀になっても刀は生まれ出ている。

作品を手にすると、ひたすら寡黙にさせられる。それほどの威力が宿っている。石田の作品は160万から180万円ほどだが、鎌倉時代の名刀には数千万の値がつくものもある。

また新しい世界が眼の前に広がった。(敬称略)

            

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                                               Photos by 萩原美寛