いまだにベストショットは撮れていない

今日、ネットである英文記事を読んでいると、感心させられるコメントに出会った。

「いまだにベストショットは撮れていない」

山に写真を撮りに行って「まだいい写真が撮れてない・・・」といったニュアンスではない。ティム・ペイジという元UPIの英写真家はいま76歳だが、50年以上のキャリアがありながら、いまだに人生のベストショットが撮れていないと呟くのだ。

ベトナム戦争もカバーしているペイジは、これまで約75万枚の写真を撮ってきた。それでもまだ自分が本当に満足できるショットは撮れていないという。

1965年、ベトナムにて。from Pinterest

彼の撮った写真は米首都にあるスミソニアン博物館などにも飾られているし、自分でも「私はかなりいい写真が撮れると思っている」と述べるが、同時に「もっといい写真が撮れるはずだ」との思いを抱き続けているという。

これこそが仕事をする人間のもつべき志であり、覚悟であり、矜持だろうと思う。

あけましておめでとうございます

2021年、丑年のイラストがワシントンから送られてきました

10代から20代にかけて、私は「どう生きるべきか」という問いに真剣に答えをだそうとしていた時期があった。だが明確な答えがでるわけもなく、考え続けながら生きていくしかないと思っていた。

それが社会人になって、経済活動に日々の生活の大部分が費やされるようになると、「どう生きるべきか」という哲学的な問いから「どう生活するか」という現実的なことにウェイトが乗るようになっていった。それは「思惟する」「思索する」といった、学生時代に好んだ精神活動からの離脱でもあった。自分としては「落ちた」という思いがあった。心の片隅にほのかな落胆を抱えたまま日々の仕事をこなし、気づいたらここまで来てしまったというのが実感である。

人生も後半戦に入って久しいいま、改めて「人はどう生きるべきか」という根源的な問いを投げてみたいと思っている。それが年頭の抱負である。

「桜を見る会」への思い

安倍前首相の「桜を見る会」のニュースを見聞きしていて、私はずっと「?」という思いをもっていた。

安倍氏の後援会は毎年、同会を開いてきたが、2015年から19年までの5年間は1人5000円の会費でも最終的な収支が合わなくなっていたという 。都内のホテルで夕食会をするので「足が出てしまい」、安倍氏側が900万円(5年分)を負担することになったのだ。

自分が主催するパーティに参加費をとって人を呼び、「お金が足りなくなったので自分が不足分を払いました」ということに文句を言う人がいるのだろうか。一般的な社会通念としては、当然の行為と思われる。足りない分を、参加者に対して「みなさん、足りなかったのであと1500円ずつ払ってください」というのは忍びない。主催者が黙って差額を支払うことは「大人の行為」のはずである。そこに違法行為は見えない。

from Pinterest

少なくとも「桜を見る会」の概要は上記のようなことだと認識している。ただ、安倍氏は政治家であり、前首相である。一般人と同じように花見の会をひらいて「足りない分は自分が負担をしました。ハイ、チャンチャン」では済まないらしい。というのも、政治家である以上、こうしたパーティでの収支は政治資金収支報告書に記さなければならず、それを怠っていたというのだ。

実際の記述は安倍氏の秘書が行うべきことで、同氏は知らなかったという。それで、安倍氏は不起訴になるようだが、一般常識から考えたら、自分がパーティの不足分を支払って逮捕されていてはたまったものではない。今回の件は政治資金規正法(第8条の2)に違反するということだが、参加費が多額で、あまったお金を自分の懐に入れていたら問題だが、今回は逆である。

個人的に安倍氏の支援者ではないが、ワタシにしてみるとこれは些末な問題でしかない。ところが国会は大騒ぎである。朝日新聞だけでなく産経新聞も社説で安倍氏を糾弾している。事実と異なる答弁があったことは確かだが、大手メディアは問題への光の当て方が間違っている。

子どもの心の扉

先日、『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書)という本を読んでいて、ハッとさせられる記述に出会った。

「子どもの心に扉があるとすれば、その取手は内側にしかついていない」

この一文ですでにピンときていらっしゃる方もいるだろう。『ケーキの切れない・・・』は少年院に収監されている少年たちについて書かれた本である。著者は立命館大学教授の宮口幸治さんという人で、児童精神科の医師でもあり、医療少年院に勤務した経験もある。

少年院に収監される少年たちは窃盗、恐喝、暴行・傷害、強制ワイセツ、放火、殺人まで、ありとあらゆる犯罪を行ってきている。そうした少年たちに説教と呼べるような高圧的な言い方をすると、ほとんどの場合、聞き入れられない。

というのも発達傷害や精神傷害を抱えている少年たちがいて、ドアは外側から無理に開けようとしても開かないのだ。内側から自分たちの意志で開けるしかない。それは本人の「やる気」と言い換えることもできる。

さらに本のタイトルにもあるように、心に病をもった少年に「丸いケーキを三等分してください」と言っても均等に切れないことがわかった。想像できないほどの形で切りわけてしまうのだ。

自分の経験も重ねて話すと、小学校の時に母親から「勉強しなさい」とよく言われていたが、親からやれと言われてやっているうちは本当に身につく学びとは言えない。本当に学びたいと自分から思った時にはじめて多くのモノを学べることに気づいたのは、ずっと後になってからのことである。

心の内側の取手・・・。

大親分に哀惜の意

小松政夫氏が亡くなった。78歳。昨年、肝細胞ガンが見つかり、入退院を繰り返していたという。昨年7月1日、私はラジオ番組でご一緒したのが最初で、最後だった。

スタジオでは終始淡々としたしゃべりで、デンセンマンやしらけ鳥音頭の思いが強かった私には「落ち着いたおじいちゃん」という印象であった。それでも私にとっての小松政夫氏はずっと「涸れない泉のように笑いが溢れ出てくる人」であり、天国に行ってもきっと笑顔を振りまいているのだろうと思う。

ご冥福をお祈りいたします。