お年寄りの国へ:日本

日本の総人口は2024年1月1日の概算値で1億2409万人。前年同月比で66万人の減少で、近年、日本の人口が少しずつ減ってきているということは、すでに多くの方がご承知かと思う。

人口減少率にすると、0.53%という小さい数字であるが、いくつか指摘したいことがある。最初は年齢別の人口減少で、15歳未満は減少率が2.22%であるのに対し、65歳以上は0.08%である点だ。つまり、子どもが少なくなり、老人はほとんど減らないということである。75歳以上の数字に目をやると、逆に73万7000人(増加率3.83%)も増えており、日本が「老人国家」と言われる理由がよくわかる。

私も66歳なので、りっぱな老人(高齢者)と言っていいが、総務省が発表した数字では65歳以上の人口は現在3622万8000人。総人口に占める割合は29.1%という高い数字で、極論を述べれば、右を向いても左を向いても「ジジババばかり」と言っていいかもしれない。

そんな時、朝日新聞が4月6日朝刊の一面で「身寄りなき老後」という記事を組んだ。高齢者が増えている中で、頼れる身寄りがいないまま老後を迎える人が増えているというのだ。

誰にも迷惑をかけずに死にたいと思っている人は多いが、高齢者の一人暮らしは20年前のおよそ2倍。病院や介護施設に入る時の保証人や金銭の管理、さらに火葬や葬儀、遺品の整理などを果たせる人がいないという問題が浮上してきている。

これは結婚していないとか、自分には子どもがいないということと同時に、兄弟や親戚がいても積極的に面倒をみてくれる人が少なくなっているためだ。金銭的な負担が大きいため、「身内」であってもリスクを取りたがらない人が増えているのだ。自助、公助という言葉があるが、安心して天国へいける社会制度をつくっていかなくてはいけないと思うことしきりである。

さくらという花

近くから眺めても、距離をおいて望見しても、この春花はいつも人の心を穏やかにしてくれる。

仕事場の近くに咲いていたこの桜は誇示しているようでいて控えめで、寂寥感を漂わせていた。

トランプ:元側近たちの本音

ドナルド・トランプ前大統領(以下トランプ)は大統領選で共和党の代表候補になることがすでに決まっているが、米メディアにはかつての側近から反トランプの意見が数多く出されている。

共和党内での支持率は依然として82%(Morning consult調べ)という高い数字を維持しているが、トランプの「本当の顔」を知っている人たちからは厳しい声が聴こえてきている。

トランプ政権時代に副大統領を務めたマイク・ペンス氏はフォックス・ニュースとのインタビューで、「トランプを支持しない」と発言。4年間、従順な副大統領だった同氏は、トランプはいまは違う人になってしまったという。

「(前政権で)私たちが追求してきて保守的な案件とは相反するものを彼は求めている。それが明確になってきた」

またトランプ政権時代の国防長官を務めたマーク・エスパー氏も「トランプに投票することはあり得ない」と反旗を翻す。自分自身を何よりも優先するトランプは大統領にふさわしくないと言い切る。

ケーブルTVのMSNBC に出演した時、「選挙で選ばれる人はいくつかの基本的基準を満たさないといけない。それは自分よりも国家を優先させられるかということ。さらに党派を超えて国をまとめ上げられなくてはいけない」と述べ、トランプはその要件を満たしていないとした。

さらに、トランプ政権の司法長官だったウィリアム・バー氏は今年2月、米メディアに「トランプに投票するということはロシアンルーレットで遊ぶことと同じ」と発言し、トランプ指名に強く反対した。

トランプが横暴で、人の話を聴かず、独善的な判断をくだすという話は今にはじまったことではない。トランプを個人的に知っている人たちの声は米有権者にどこまで届いているのだろうか。

君にタッチ

東京都千代田区丸の内仲通りにお目見えしたStatue。

仲通りで美術作品を展示するプロジェクト「丸の内ストリートギャラリー」が50周年を迎え、 多くの作品が展示されている。彫刻家、名和晃平氏の現代アート 「Trans-Double Yana(Mirror)」 。

健大高崎:初めての選抜優勝

センバツ高校野球で31日、 群馬の健大高崎(高崎健康福祉大高崎高校)が 初優勝を果たした。全国のトップに立つことがいかに大変であるかを本当に理解しているのは、たぶん当事者だけなのだろうと思う。

創部22年で全国優勝を果たした青柳博文監督(51)は 「スケールの大きな選手を育てたい」と述べていて、打撃に力をいれてきた。自身も高校時代に選抜大会に出場しているが、優勝は初めてのことだ。

監督を引き受けた直後は、野球場どころか練習場所にもこと欠くありさまだった。10人ほどの野球部員とテニスコートほどの広さの場所で練習を続け、ときどき部員たちをマイクロバスに乗せて、近くの球場に連れていった。専用グラウンドが完成したのが2007年。いまでは部員数は100名近くになった。

地道に少しずつ階段を登るようにして力をつけ、2012年に初めて甲子園に足を踏み入れた。今回、群馬県勢としては初めての優勝で、監督だけでなく選手たちも心の底から嬉しさを噛みしめていることだろう。

Congratulations!