研究者はクビでもいい

ホンモノのブレークスルーが必要だなあ―。日本の電機大手の赤字決算のニュースを読んで、思うのである。

日本経済新聞は4日の朝刊で、「電気産業 興亡の岐路」と書いた。大げさな見出しではあるが、ソニーやパナソニック、シャープ、NECといった世界的に名を馳せた家電の収益が大幅に悪化している。テレビが売れなくなったことが大きな原因だ。

昨年7月、地上デジタル放送への完全移行で薄型テレビは一時、売れに売れた。だが夏以降、買い換えが終わった人たちは、さすがに1年や2年で受像器の買い換えはしない。だが日本の家電メーカーの問題はそこにはない。

韓国メーカーに市場シェアを奪われている理由もあるが、それは本質的な問題ではない。勝手に言わせてもらえば、メーカートップは「先が読めなかった」、さらに「ブレークスルーを追求していない」の2点に尽きる。

いくら薄型テレビとはいえ、21世紀になってテレビ受像機を追求していてどうするのか、というのが私の主張である。アメリカの主だった家電メーカーがアメリカ国内でテレビを製造しなくなったのは15年以上前のことである。

世界市場で日本企業にシェアを奪われたという理由もあるが、テレビというローテクの家電をいさぎよく捨てた。ゼネラル・エレクトリック(GE)を始めとする大手メーカーは時代を見越したように、テレビ製造を止めていく。

携帯で名前が浸透しているモトローラも元々テレビを手掛けていたが、74年にテレビ部門を現在のパナソニックに売却した。唯一残っていたゼニスも95年に韓国企業に買収され、テレビを製造するアメリカ企業は消えた。日本では数年前、日立が自社生産の撤退をいち早く決めたため、今期の最終損益は黒字である。 

先進国がテレビを作る時代は終わっている。それにどうして気づかないのだろうか。いま日本の家電メーカーは付加価値をつけて、いくぶんか高性能の受像機を売り出すことに腐心している。大局的には赤字を続けるだけに見える。

日立は家電からすでにインフラ企業へと変貌と遂げつつあるが、それは時代の先端を走ることを辞めたことを示唆してもいる。新興国で原発を受け負うことが、未来への可能性を広げることだろうか。

アメリカは新進のIT企業が数多く起ち上がり、世界中の文化を変えるくらいの新製品を投げ続けている。日本を始めとする他国はiPhoneやiPadを受け止めるだけだ。ソニーのCEOストリンガーは何を創造したのだろうか。

新しいトップの平井は医療関連や携帯分野などで戦略的な事業を展開すると言っているが、なぜ家電業界で世界をリードするブレークスルーを生み出すと言わないのか。

来年や再来年ではない。5年先でいい。それは暫く目を見開いたまま静止してしまうくらいの驚嘆で迎え入れられる製品を創るということだ。世界中の人々の生活を一変させるモノである。歴史を振り返れば、テレビの発明やコンピューターの発明、電子レンジの開発といったブレークスルーである。

テレビ受像機を5センチから3センチに薄くしました、、、、という研究者はクビでもいい。(敬称略)

     

今日思うこと

最近、書く原稿の本数が増えている。毎月このブログを入れないで30本くらいだろうか。ありがたいことである。

ただインターネット時代に入り、紙の全盛時代より一般的に原稿の長さが短くなった。さらにネットの原稿料は新聞・雑誌の原稿料より安いので、数をこなさざるを得ない。

それでも私にとっては好きな仕事ができているのでいろいろな方に感謝するしかない。2月初旬にはアメリカのビジネスものの単行本も出る。

今日、ニューヨークに住む長年の友人が発行する『週刊NY生活』の1面で大統領選の記事を書いた。ご一読頂ければ幸いである。

鮨の舞台

こだわりの鮨屋に行った帰路はいつも笑みを携えている。

2年ほど前に書いたブログ(妥協したくないもの )で、 食べるもので唯一こだわっている鮨について記した。そこで銀座5丁目の鰤門(しもん)を紹介した。

日本橋店があいて1年。新妻賢二は変わらぬ手さばきで板場に立つ。

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日本全国に約3万5000の鮨屋があるという。銀座だけでも約150店。登り詰めた狭い領域に30店ほどの鮨屋がひしめく。その中にはミシュランの星が来たところもあるが、評価はあくまで自身の舌である。

30の中には鮨の味はいいが、通夜のような静けさと緊張感の中で食べて帰ってこざるを得ないところもある。だが、新妻は「そうはさせない」。

30は甲乙つけがたい。サービスに文句があろうはずもない。しゃりが差し替えられ、あがりは黙っていても何度となく注される。ネタにこだわりを持たない店はない。鰤門のわさびは御殿場であり、のりは有明海といった具合だ。

あとは自分との相性となる。

日本とアメリカの間には数えられないモノが行き来するが、日本産でアメリカで興隆しているモノの一つが鮨だ。ほとんどはスシに変わっているが、30は伝統的な日本の鮨のまま世界の頂点に凛然と輝く。超然としたまま動じない。写真の男がその1人である。(敬称略)

セクハラという敵

セクハラは大変繊細で、かつ無視できない問題である。アメリカではケイン大統領候補のように命取りになることも少なくない。企業としても防止努力が求められている。

米雇用機会均等委員会(EEOC)によると、1997年から2010年にかけて、アメリカのセクハラ訴訟件数は1万5889件から1万1717件に減少したという。

だが少し調べると、公表されたセクハラ件数が減ったのは実質総数が下がったからではなかった。仲裁が入ったり示談で済ますケースが増えて訴訟に至らないだけで、セクハラそのものは減っていないことがわかった。後述するが、実際ははるかに多い。

ケイン候補をセクハラで糾弾している4人目の女性の弁護士グロリア・オーレッドさんは、タイガー・ウッズさんやアーノルド・シュワルツネッガーさんに対する訴訟を担当した人物である、、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。

新たな旅

これまでもこのブログで旅について書いてきた。「世界の街角から」という写真の不定期連載も続けている。

世界中のさまざまな土地にいく機会も少なくないが、友人のK氏としばらく前から都内の「居酒屋の旅」というぶらり旅を続けている。

東京に住んでいても、用事がなければ行かない場所は多い。新しい町のレストランや飲み屋に行くことはあっても、それは人から聞いたりインターネットで調べたあとでの行動である。

月に1度、どちらかと言えば小さめの駅に2人で降り立つ。それまでまったく行ったことのない駅は、たとえ東京であっても新鮮である。行き来する人さえフレッシュに見えることがある。

事前のリサーチはわざとしない。その日その場で決めていく。

日本テレビで土曜朝に放映している「ぶらり途中下車の旅」は、カメラを回す何日も前にロケハンをし、用意周到な準備をする。番組制作なので当然である。だが、われわれのは本当のブラリである。

JRにしろ私鉄にしろ、駅周辺に飲み屋がないということはほとんどない。いつもは3軒ハシゴして帰宅する。その日は午前様である。

積極的に知らない駅に降りて、予約なしで居酒屋に入る。それは新たな旅といえる。

今月は京浜急行電鉄の青物横丁という駅だった。住所は東京都品川区南品川。駅前の通りは、ジュネーブ平和通りという名前がついている。品川区がジュネーブと友好都市提携を結んでいるからだという。もちろん知らなかった。

すべて初めての飲み屋である。中にはすりガラスで外から店内が見えない飲み屋もある。そんな時はジャンケンをして負けた方がドアをあける。

引き戸をあけて「アッ、失礼しました」と締めてくることもある。今月も1軒あった。

3軒目に入った「えいちゃん」という店は渋かった。夫婦二人で切り盛りしている。モツ鍋もあれば、おでんもある。「焼きそば!」と言えば作ってくれる。それでも再度その店に行くことは、たぶん、ないだろう。

それが新鮮である。そして思うのである。人生は旅、、、、、であると。