暗と明

本当であれば明暗という順序なのだろうが、正月早々、私がやらかしたのはまず「暗」。そして「明」が次にくる。どういうことなのか。

年明けすぐにやらかしたのは、財布をなくしたことだった。今月8日のことである。妻と近所のスーパーに買い物に行く直前、コートのポケットに財布をいれた。買い物中は自分の財布をまったく使わず、そのまま家にもどる。財布を取りだそうとしてポケットに手を入れると財布は消えていた。

お茶も飲まなかったので、財布をポケットから取りだすことはなかったし、どこかに置き忘れたわけでもない。コートのポケットなので深さがある。となると、誰かにスラレタ、、、か。思い返すと、スーパーのレジのそばで、30代と思われる男性にドンと体当たりされた。「すみません」と大きな声で謝罪をしたので、そのまま気にとめなかった。スラレタとしたら、その男が最も怪しい。

いずれにしても、無くしたことは事実なので、すぐに銀行のカードやクレジットカードを止めるために必要な電話をしてカードを使用不可にした。そして警察にも届けた。現金も入っていたので、「出てこないだろうな。正月早々、ついてないな」と思っていた。

やっかいなのは現金の紛失だけではない。クレジットカードや運転免許証、健康保険証の再発行をしなくてはいけないことだった。さらに他のカード類も入っていたので、本当に「正月早々、、、」と思っていた。

財布のことをほとんど諦めていると、翌9日午後になって警察から電話があり、財布がでてきたという。しかも現金やカード類はそのまま手付かずだという。親切な方が財布を拾って警察に届けてくれたのだ。今日(10日)午前、警察署にいって財布を受け取ってきた。何も抜き取られていなかった。

ただ解せないのは、その方が拾ったのは路上だというのだ。いったいどういうことなのか。さすがに私も、路上でコートから財布をだして路上に落とすようなことはしていない。盗った輩が足がつくのを恐れて、路上に捨てて逃げたのか。真相は10日現在、わかっていないが、「明」があとからきてホッとできたことはなによりである。

それにしても、いったい何が起きたのか。

米国で取り沙汰される「プーチン斬首作戦」の危険度

ロシアがウクライナに軍事侵攻してから来月で1年を迎える。

ロシア軍は病院や学校、住宅などへの攻撃も行っており、ウクライナ側に多数の死傷者が出ていることは周知の通りだ。

ロシア軍を率いるウラジーミル・プーチン大統領の非人道的な攻撃に対してはいま、許すべきではないとの見方が世界的に広がり、ウクライナだけでなく日米を含む西側諸国で、プーチン氏を政権の座から引き摺り下ろすべきとの論調が強まっている。

すでに政権からの「排除」という段階から「暗殺すべき」という声さえある。これまで米政府関係者が公共の場で「プーチン暗殺」を促すことはあまりなかった。しかし、昨年10月、ジョン・ボルトン元国家安全保障担当補佐官が英ラジオ局でプーチン暗殺を口にした。

実際には、「もしロシアがウクライナで核兵器を使ったとしたら、米国はプーチン氏を排除(暗殺)すべき」と言及したのだが、文脈から聴取者はその真意を理解し、メディアは「暗殺」という言葉を使った(続きは・・・米国で取り沙汰される「プーチン斬首作戦」の危険度)。

ウクライナ戦争、終結へ

今朝、私の仕事場である外国特派員協会に入り、ワークルームに向かって歩いていると、廊下で顔見知りの女性と出会った。「あけましておめでとうございます」という新年の挨拶のあと、その女性は「今年は戦争が終わるといいですね」と言った。

ウクライナでの戦争は来月で開始から1年を迎える。現時点でいえることは、すぐに戦争が集結するとは思えないことだ。戦況は今後、ウクライナが優勢となり、ロシアが降伏するという見方もあれば、戦争はこのまま泥沼化してすぐに終わらないという悲観的な見方までさまざまだ。実は明日、ネットメディアのジャパン・ビジネス・プレス(JBP)にこのあたりのことを書いた記事が掲載される。読んで頂ければ幸いである。

私はまだウクライナに行ったことがないので、ウクライナのことを書く時はどうしても地に足がついてない状態で書かざるを得ない。少なくともロシア側とウクライナ側の軍関係者に話を聴きたいところだが、いまはかなわない。

戦争という破壊行為が続く限り、そこに住む人たちが平穏な生活を送ることは無理である。米ソ間で前向きな和平交渉が進めばいいが、いま両者はそのテーブルに着こうとさえしない。こんな時は本当に人智を超えた、超絶的な力をもったスーパーマンのような人物が現れて、世界平和を実現してくれないかと思うのだが、、、、またため息である。

ヴァロットン展

1月2日、東京千代田区丸の内にある三菱一号館美術館で開かれているヴァロットン展に出向いた。フェリックス・ヴァロットンといえば知る人ぞ知る、「白と黒」を際立たせたアートを世界に提示したスイス出身の芸術家である。

スイスからパリに出て、19世紀末に活躍したナビ派のアーティストで、木版画で世界に名を馳せた人だ。展覧会に一歩足を踏み入れると、自分が100年以上前のパリに足を踏み入れたかのような錯覚に陥る。

今回は180点ほどの作品が展示されているが、黒と白だけでよくここまで人間の表情を、男と女の関係を、街の風景を描けたものだと感心してしまう。「新年に心に残るものを観た」との思いを抱いて帰路についた。

写真撮影が許可された1枚