ドラッジ・リポート

私は仕事柄、毎日さまざまなニュースサイトにアクセスしている。日本語と英語の両方で数多くのニュース記事を読んでいるが、その中で、 20年以上前から閲覧しているのがドラッジ・リポートというサイトだ。

ご存じの方も多いかと思うが、マット・ドラッジというジャーナリストが発行・運営しており、ネット上に出回っている硬派のニュースから柔らかい芸能ニュースまでをカバーしている。日本でいえば日本経済新聞と夕刊フジを一つのサイトにまとめあげたようなサイトである。

たとえば日本時間2月28日正午の同サイトのトップ記事は、「ドナルド・トランプ氏はフロリダ州のデサンティス知事に出し抜かれているか?」で、他のメディアでは一面にもってこない内容を置いている。そこがドラッジ・リポートらしさで、物事を前と後ろから眺めながら、さらに色メガネをつかって凝視しているので、そうした状況を理解してうえで同サイトを読むと、米国の新しい一面が見えたりする。

英語サイトだが、ご興味があればご覧くださいませ( DRUDGE REPORT 2023® )。

唖然とするものまね

数日前、テレビを観ていると信じられないほどモノマネのうまい男性が出てきて唖然とさせられた。何年も前からテレビに出演しているので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれない。単に「うまい!」というレベルを通り越して、本物と遜色ない領域に達している。久しぶりに口をあんぐりさせて聴き入ってしまった。

広島でボイストレーナーをされている方で、普段から歌をうたうことを職業としているのでうまいことは理解できるのだが、三上雅則さんのレベルは別次元といえるほどだ。

ユーチューブの動画をコピーしたので聴いていただければと思います。

F-16供与がウクライナ勝利のカギ、米陸軍大将発言の真意

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は2月21日、年次教書演説の中で、改めてウクライナでの軍事侵攻を正当化し、戦争を始めたのは西側だと断言してみせた。

この2時間弱の演説の中で、「彼らが戦場でロシアに勝つことは不可能だ」とも述べ、西側諸国は勝てないとする一方的な主張を繰り返した。そうした中、米国からは別な角度からの「勝利宣言」が発せられており、両者の言い分は明白な食い違いをみせている。

2月17日に当欄で、筆者はウクライナに戦車を供与してもロシアには勝てる見込みが少ないとする記事(「死に物狂いのロシア軍には欧米最新戦車だけでは勝てない」)を書いた。

その後、米陸軍大将が少数の米連邦議員に対して内密に、「ロシアの戦争マシンを崩壊させる手立て」を伝えていたことが分かった。陸軍大将というのは、欧州連合軍最高司令官を兼任するクリストファ―・カボリ氏で、先週ドイツで開かれたミュンヘン安全保障会議で、次のような主旨のことを議員たちに話している(続きは・・・F-16供与がウクライナ勝利のカギ、米陸軍大将発言の真意)。

日韓の英語力

今日(2月21日)の日本経済新聞朝刊に「韓国人の留学 日本の3倍」という記事が出ていた。岸田首相が1月に「日本人留学生の海外派遣の拡充や有望な留学生の受け入れを進める」という発言を受けて、留学生についての日韓比較を行ったのだ。

以前から指摘されていることだが、韓国の人口は日本のほぼ半分であっても、海外の大学・大学院への留学生は日本のほぼ3倍に達している。2019年、韓国では約21万3000人が留学したが、日本では約6万2000人に過ぎない。留学に対する考え方の違いもあるが、「英語熱」はどうやら日本よりも韓国の方がはるかに高いようだ。

いまに限ったことではない。私がアメリカに留学していた80年代初頭、すでに日本人よりも韓国人留学生の方が多かったと記憶している。英語力だけに限ってみても、TOEICの平均点(2019年)は韓国が679点で、日本よりも100点ほど高い。日本語にしても韓国語にしても、他国ではほとんど使用できない言語だけに、両国の学生はかなり時間をさいて勉強せざるを得ない。その中で、これだけの差がでている。

英語習得という点において、母国で勉強するより英語圏に留学した方がはるかに有利であることは明白だが、それよりも英語を身につけようという意識が昔も今も日本よりも韓国の方が上というのはどういうことなのか。

もちろん「日本人でもやればできる」のであって、あとは本人のやる気次第というのが私の考えである。

再び日記

10年ほど前にもこのブログで記したが、私は中学・高校の6年間、1日も欠かさず日記をつけていた。大学に入ってからはペースダウンしたが、社会人になってからも毎日ではないが、頻繁に日々の心象を記してきた。

書くという仕事をするようになったきっかけも、日記がベースにあったような気がする。ペンを持ち、その時に心のなかに浮かぶことを書きつけることは楽しみでもあった。しかもある時から、朝一番で書くようになった。そうすると、日記に書くような出来事が起きていない時間帯に、何か題材を探してこないといけない。それが私がモノ書きになったスタートだったように思う。

しかし過去数年、日記を書くペースがガクンと落ちていた。書かなくなったことはよくわかっていたが、怠惰になった自分にムチを打つことはしなかった。だが昨秋、久しぶりに日記を手にして「これではいかん」と思い、それからまた頻繁に記すようになった。

すると今度は、ペンを手にしてモノを書くことをしていないことと、年齢のせいなのか、漢字がでてこないのである。普段はパソコンでの自動変換に頼っているため、特に難しい漢字が出てこない、、、、。そしてまた「これではいかん」。

そこで再びペンを手にして日記を書くことにした。以前より字もヘタになっているので、綺麗に文字を書き、しかも漢字を確認しながら手書きの日記をしたためることはある意味で喜びでもある。

まあ、どこまで続くのか、との思いはあるが、、、。