人間の限界はすでにきてしまったのか

米オレゴン州で開催されている世界陸上。先日、男子走り幅跳びの跳躍をテレビで観たが、記録的にはエキサイティングなものではなかった。私の期待が高すぎたのかもしれないが、優勝した中国の王嘉男選手の記録は8メートル36センチで、「金メダルの数字ではないだろう」と一人で呟いていた。

というのも、いまの世界記録は1991年に米マイク・パウエル選手が飛んだ8メートル95センチであり、30年以上も前に達成した記録だ。以後、誰もその記録を破るどころか近づいてさえもいない。

その前は1968年のメキシコ五輪で、ボブ・ビーモン選手が8メートル90センチを飛び、その時にアナウンサーが「この記録は今後1世紀は破られないかもしれません」と言ったのを今でも鮮烈に覚えている。私がまだ小学生の時だ。それでも23年後に破られるのだが、このところは人間の限界を超えられないという印象が強い。

人間が人間である以上、いずれはスポーツの記録には限界がきてしまう可能性が高いが、とんでもない跳躍力の持ち主が現れて、9メートルの大台を記録するジャンプを見たいとずっと思い続けている。

米国のバイデン大統領、1期4年限りで勇退か

「彼が高齢であることは誰もが知っていること。けれども、周囲にいる人間は彼を怒らせることを恐れて、年齢については話したがらない」

過日、ワシントンにいる知人と連絡をとっている時に出た話だ。ジョー・バイデン大統領は今年11月に80歳を迎える。2024年の大統領選で再選された場合、任期終了時には86歳になる。

もちろん米政治史上、最高齢の大統領である。現時点では、バイデン氏は再選に前向きな姿勢でいると言われる。だが米民主党内では「ちょっと待った」との思いを抱いている関係者が少なくない。

本人は2期目に向けて大統領選に挑もうとしていても、党内部では若いリーダーを擁立すべきとの声が高まってきている。米月刊誌「アトランティック」のマーク・レイボビッチ氏は単刀直入にこう述べる。

「ジョー・バイデン氏は2024年の大統領選に出馬すべきではない。歳をとり過ぎている」(続きは・・・米国のバイデン大統領、1期4年限りで勇退か

自分への満足度

最新号のAERA(アエラ)に「願望との乖離「現実」に悩む」という興味深い記事がでていた。記事の内容は、若い世代を中心に孤独感を覚える人が増えているというもので、SNSの利用時間が長いとより孤独感を感じやすいという。

携帯やパソコンを操る人が増えたことで、いつでも誰とでも「つながれる」はずなのだが、孤独感がつのるというのは、端的に言えば物理的にスマホを使っている時は1人であり、SNSで多くの人とつながっているように思えても、スマホを切ると1人でいる自分に改めて気づき、自己内省的な感覚に陥るのだ。この傾向は若者に顕著であると記事に記されていたが、年代を越えて同じことが言えるのではないか。

さらに記事では、自己肯定感についての言及もある。内閣府が日本や欧米諸国など7カ国の若者の意識調査をしたところ(各国約1000人)、自分に満足していますかという質問に「そう思う」と回答した人は米国が最多の57.9%であったのに対し、日本は10.4%でもっとも低かった。

孤独感がつのり、さらに自分自身に対しても自信が持てないということは情緒不安定な精神状態になりやすいということで、そうした状況下ではいい仕事も期待できない。

私は究極的には「愛の欠落」にあるのではないかと思っている。人との関わりがなければ愛情を抱けず、愛されもしない。もっといろいろな人と交流をもって愛情を抱く。しかも無理にではなく、自然に心の底から湧き上がる愛を期待したいと思うのだが、、、、難しいだろうか。

悲劇のあとの選挙

7月8日に安倍元首相が射殺され、政界関係者の間には重い空気が漂っている。

犯人の山上徹也容疑者は、母親が宗教団体にのめり込み破産しており、その宗教団体と安倍氏が深い関係にあったことで「安倍暗殺」へと動いたと言われる。ただ母親の破産と安倍氏の関与は明らかではなく、山上容疑者はほとんど自分勝手な思い込みで犯行に走る。これほど迷惑で、無責任な犯罪はない。極刑になる可能性は十分にあるだろう。

こうした暗いムードの中で今日、参議院議員選挙が行われた。私は今だからこそ一票を投じなくてはいけないと思い、選挙に行ってきた。

安倍氏が殺害された直後、多くのメディアは選挙の時期だけに「安倍氏の言論を封殺する行為は決して許されることではない」と記した。だが先にも触れたが、犯人は安倍氏の言論を封殺するために殺人に及んだのではない。母親の経済的困窮の原因が宗教団体にあり、その団体と安倍氏の関係が密だったと考えて、事実関係が不確かなまま怨念を抱いて犯行にいたるのだ。

その意味で、安倍氏の死は本当に痛惜の念に堪えない。