海上輸送に劇的変化、先端技術駆使した帆船が主役に?

世界貿易はこれまで、ほぼ全面的と呼べるほど海上輸送に依存してきた。運ばれる商品は半導体からスニーカー、電動式搾乳機に至るまで、世界貿易量の約9割を海上輸送に頼ってきているといわれる。

ただ近年、大型のタンカーやコンテナ船が使用する「バンカー燃料」と呼ばれる汚泥のような燃料が問題になってきている(バンカー燃料とは主に船舶用の燃料として用いられるA重油、B重油、C重油の総称で、A重油は不純物が少なく軽油に近い、B、C重油は硫黄などの不純物が多く含まれ粘度も高い)。

環境に配慮したビジネス慣行がなかば常識化している昨今、バンカー燃料は時代遅れと捉えられているのだ。というのも、バンカー燃料には硫黄分が多く含まれているため、燃やすと一酸化炭素、窒素化合物、二酸化硫黄を発生させるのだ。

それでも海運業界がすぐに大型タンカーを捨てられない理由がある。それは輸送量が航空機などと比較すると圧倒的に優っているためだ。

例えば、全長400メートルの巨大コンテナ船には約2万個のコンテナを積載できるため、すぐに他の輸送法に切り替えられない(続きは・・・海上輸送に劇的変化、先端技術駆使した帆船が主役に?)。

安倍氏の国葬について

凶弾に倒れた安倍氏を国葬にすべきかどうかの議論が依然としてつづいている。

すでに政府は9月27日に国葬を執りおこなうとしており、国内外から約6400人が参列する予定だ。政府の決定事項なので、いまさら私がここで何を言ったところで物事が変わるわけではないが、国葬への考えを少しばかり述べておきたい。

端的にモノをいうと、私は国葬には反対である。安倍氏が不慮の死をとげたことは残念至極であるし、心よりお悔やみ申し上げたいが、国葬にすべきかと問われれば「ノー」である。

まず、なぜ安倍氏の国葬が浮上してきたかを考える必要がある。最大の理由は安倍氏が不慮の死を遂げたからである。銃撃されておらず、人生をまっとうする形で亡くなられた場合、安倍氏は国葬に価する人物だっただろうか。たぶんこちらの答えも「ノー」である。劇的と呼べる形で絶命したことが、国葬への道につながったと考えるのが自然である。

さらに長きに渡って首相の座にいたが、森友家計問題や桜を見る会問題など、決して手本となるような首相であったとは言い難い。何十年かたったあと、安倍氏の業績と人間性を振り返ったときに、爛然と輝くような首相であったかといえば疑わしい。

あと国葬には約2億5000万円ほどの国費がかかると言われているが、それについてはそれほど大きな違和感はない。というのも、これまでも首相が亡くなった時には内閣・自民党合同葬が行われており、国費が使われてきた。2億5000万円まではいかないが、中曽根首相の時は1億9300万円といわれており、予備費から捻出されている。

国葬というものに法的根拠がないこともあるが、曖昧なまま、突然亡くなったので国葬に、という流れでは納得がいかない。

誰もが一度は感染?:新型コロナ(57)

このところ新型コロナについてのブログが滞っているが、以前から書いているように、私は累計のコロナ感染者数に注目している。1ヵ月前のブログ(7月22日)で、都内のコロナ感染者総数が184万人を超えたと記した。

今春の国勢調査によれば都内の人口は1399万人なので、コロナが発生して以来、7月22日時点で7.6人に1人が感染した計算だった。過去1ヵ月でこの数字はどう変化したのか。

東京都が発表した8月22日現在の感染者数は、累計で275万人。先月から91万人も増えている。単純計算であるが、これまで都民5.08人に1人が感染してきたことになる。4月27日時点での感染者数は142万で、都民9.8人に1人の感染だった。

米国ではすでに3人に1人という数字が出てきているので、東京もいまの流れが止まらなければさらに感染者が増えていくと思われる。そうなると、いずれはほとんどの人が1度は感染する宿命にあるのか、といった危惧が頭をもたげてくる。あとは1人ひとりが十分に感染に気をつけて感染対策をしていく以外にない。

皆さま、くれぐれも気をつけてくださいませ!

心の痛みのごまかし方

今日(8月22日)の朝日新聞朝刊に作家の金原ひとみ氏(39)の記事がでている。一人称で自分が書いたのか、インタビューした内容を記者が一人称でまとめたのかはわからないが、気取ったところがなく、ありのままの自分をストレートに出している。

まず金原氏は、幼稚園の時から休みがちの子どもで、小学校4年の頃にはもう学校にいかなくなったという。そして中学校の時にリストカットをし、20代では摂食障害と、「問題児」がよくやることをすべて経験してきたかのような子どもだったようだ。そして小説を書くことが自分にとっての対症療法だったと述べる。そしてこう書く。

「学校に行くのがつらかったり、集団生活になじめなかったりしているならば、とにかく自分が息のしやすい場所を大切にしてほしい。ゲーム、漫画、小説、何でもいいです」

そして現実的なアドバイスとしてこうも述べる。

「生きる苦痛の根本的な解決など誰にもできなくて、皆、それなりに生きているものなのかもしれません」

この言葉に救われる人は多いかもしれない。