空飛ぶクルマ

Photo courtesy of Top Gear

8月に入り、「空飛ぶクルマ」についての記事が新聞各紙に掲載されている。

というのも、東京都が空飛ぶクルマの社会実装を目指すプログラムを提案して公募したところ、三菱地所と日本航空、兼松による3社のプロジェクトが採用されたからだ。実証事業は今年度から3年がかりで行うもので、空を見上げれば車が飛んでいる風景が日常になる可能性は十分にある。

都心のオフィスビルの屋上にヘリポートを設置して、誰でも普通に空を飛べるようになれば、地上での交通渋滞が緩和されるだけでなく、最も速くて快適な交通手段を手に入れられることになる。

実はスロバキアなどでは、すでに実用化に向けた試みがなされている。スロバキア運輸局は 70時間の飛行テストと200回以上の離着陸を終えた「エアカー」に、正式な「耐空証明書」を発行したほどで、空飛ぶクルマの実現がすぐそこまできている。

2人乗りの「エアカー」はBMWのエンジンを搭載しており、時速118キロで飛行できるという。開発者は「中距離の移動を永久に変える能力を最終的に確認した」と述べており、本当に空を見上げればクルマが飛んでいる光景が日常になるかもしれない。

台湾有事、米国の戦略国際問題研究所が徹底シミュレーション

中国は本当に台湾を軍事侵攻するつもりなのか――。

台湾問題で米中の緊張が高まるなか、米首都ワシントンにあるシンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)がいま、中国が台湾に軍事侵攻した時の戦争シミュレーションを行なっている。

こうした戦争シミュレーションはこれまでも複数の研究機関で実施されてきた。今回CSISは、2026年に中国が台湾に大規模攻撃をしかけたと仮定し、その対応を様々な角度から研究している。

ホワイトハウスからほど近いビルの5階で、同研究所の研究員だけでなく、退役将校や国防総省の元高官らが、今年9月までシミュレーションを続ける予定だ。

シミュレーションは計22回も行われることになっており、これまで18回が実施され、今年12月に結果が公開される見込みである(続きは・・・台湾有事、米国の戦略国際問題研究所が徹底シミュレーション)。

アー、また忘れた!

最近、以前にもまして物忘れが加速してきているようで怖くなる時がある。人の名前やテレビで観たドラマのストーリーなどを、気持ちいいくらいに忘れていることがある。しばらくしてから思い出すこともあるが、以前よりも時間がかかるようになった。

先月、仕事場の日本外国特派員協会(FCCJ)のワークルームでフランスから来たばかりの記者Dさんと知り合った。彼は毎日ワークルームで仕事をするわけではないので、たまにしか姿を見せない。私も週に3回くらいのペースなので、行くたびに顔を合わせる訳ではない。

昨日、ワークルームに行くと、その彼がすでにデスクに座って仕事をしていた。うしろ姿からすぐに彼であるとわかったので声をかけたが、名前がすぐに出てこない。私はまず名前を言ってから「おはよう。元気?」と言いたかったのだが、名前が咄嗟に出てこなかったので、「おはよう。元気?」だけになってしまった。

雑談をしてから仕事を始めたが、名前を思い出せなかったやるせなさがズーンと胸にきた。仕事をしながら、10分くらい名前を思いだそうと試みてからようやく思いだした。しばらくしてから彼の名前を呼んでまた話をしたが、「いやあ、さっき名前が思い出せなくて」とは言えなかったので、何事もなかったかのように振るまった。

「記憶力日本選挙権大会」の優勝者である池田義博氏によると、記憶力を保つには3つのことが重要だという。1つは「覚える意志」で、なんとしても覚えていえるんだという意欲を失ってはいけないという。

2つ目は「回数」。何度も復習することで記憶は確かにものになっていく。何も新しいことではない。子どもの頃から先生に言われてきたことだが、65歳になると、なかなか意欲を持って復習するという作業ができなくなる。

そして3つ目は「感情」、つまり感受性が大切なのだという。というのも、記憶をつかさどる海馬の隣に扁桃体がある。扁桃体は喜怒哀楽に反応するので、何らかの感情が動くと脳内で隣に位置する海馬が刺激を受けて、記憶が強化される仕組みになっているという。

思い返してみても、歳とともに感受性が鈍くなり、覚える意志は弱まり、さらには忘れないように復習することもなくなっているので、これではモノ忘れが激しくなるのは当たり前である。池田氏によれば、何歳からでも遅くないということなので、腕まくりをしてこれから頑張ってみたいと思っている。

ゲルハルト・リヒター展

東京国立近代美術館で開催中のゲルハルト・リヒター展に足を運んだ。抽象画だけでなく具象画やフォトペインティングなど、多彩な表現方法をつかって自己表現をしているドイツの芸術家は、立ち止まることを嫌うかのようだ。

天才ここにあり!との思いを抱いた。