今週号の「週刊文春」の漫画「沢村さん家のこんな毎日」の中に、「字幕なしで英語の映画見られるようになりたい」というセリフがあった。
多くの方がそう願っていることは知っているし、このセリフがそうした方々の気持ちを代弁していることも知っている。俳優の口から速すぎると思えるほどのスピードで英語が繰り出されると、単語がところどころ聴き取れればいい方かもしれない。
私はアメリカに25年も住んでいたので、イチオウ普通に理解できるのだが、「アメリカ人と普通に会話ができるようになった」と思えたのは渡米してから2年ほどたった頃である。私は留学という形でアメリカに行ったので、渡米前にTOEFLを受けたが、テストでそれなりの点を取ることと、あらゆる局面で英語を使いこなすこととは大きな違いがあり、本当に英語を使えるようになるまでには時間がかかった。
以前、仲のよかったスウェーデン人と英語学習について話をしたことがある。彼はアメリカに来た時点で、ほとんど「アメリカ人ですか」といいたいくらいのレベルの英語を操っていた。話を聞くと、彼が特別なわけではなく、多くのスウェーデン人が彼と同じレベルの英語を話すと言った。
理由は「小学校2年から英語をやる」ということだった。しかも英語でモノを考えることが重要であると指摘した。日本の文科省も同じように小学校2年くらいから英語でモノを考える時間を作り、日本語に訳さないで会話をする授業をすれば、高校卒業するくらいには多くの人が普通に話ができるようになるのではないか。
もちろん万単位で外国人の教師を雇用することになると思うが、無駄遣いと思えるようなところに国家予算を使うのであれば、惜しくないはずだ。やってできないことではないと思っている。