ビンラディン殺害のあと

5月2日昼過ぎ、仕事場のある有楽町を歩いていると「号外です」という声が耳にはいった。すぐに一部を手に取ると、朝日新聞の号外で「ビンラディン容疑者死亡か」との大見出しが打たれている。

「来るときが来たか」

仕事場に戻ってインターネットで欧米メディアのニュースを読むと、祭りのような騒ぎになっていた。

今回の殺害作戦はCIAと米海軍の特殊部隊SEAL’sによるもので、最初から拘束ではなく急襲による殺害が目的だったようだ。

ビンラディンは10年前の9.11以降、パキスタンかアフガニスタンに潜伏していると言われていたが、可能性として高いのはパキスタン山間部の村だった。だが、首都イスラマバード郊外にある要塞のような民家に潜伏していた。その場所にいるとの情報は、米軍が拘束したアルカイダ・メンバーへの尋問から得られたものだった。

場所が特定されていたわけではない。ビンラディンの介添え役の男のニックネームが尋問によって判明したのである。そして本名を割り出す。それが2007年のことだと言われる。そこから潜伏場所を特定するのにさらに2、3年かかっている。ということは過去何年もビンラディンは同じ場所にいたということになる。

今後の問題は、ビンラディンの死によってアメリカ人が過去10年抱えてきた目的は達成されても、アメリカと中東諸国の双方がかかえる被害者意識は消えず、国際テロの危険性が失せたわけではないということだ。

パキスタンやアフガニスタンでは、ビンラディンの名前はすでに象徴になってテロ集団としてのアルカイダは脆弱化していた。だが、北アフリカやイラク、世界の他地域でアルカイダの冠を掲げた組織が個別に活動しており、今後も反米主義の流れが弱まるとは思えない。

通常の組織であれば「大将」の首がとられると、部下は意気消沈して瓦解することすらあるが、その可能性はなさそうだ。アメリカ国民が諸手を挙げて歓喜する気持ちはわからなくはないが、テロとの戦いは今後も終わらない。

ただ希望がもてるのは、ジャスミン革命による独裁政権国家での民主化の波が本格化して、中東諸国で思想と行動の自由が保証される流れができつつあることだ。歴史の真理として、民主国家同士の戦争や紛争は極めて少ない。これは青臭い希望などではなく、すべての国家で実現されるべき現実的な希求である。

  

              By the White House

2枚の写真

これまでずいぶん多くの国を旅してきた。

先日、あたらめて訪れた国を数えると40ヵ国だった。多いようにも思えるが、世界の国のおそよ5分の1でしかない。仕事がら外国に出向いてその国の社会情勢や人物を取材をすることが多いが、仕事で行ったのは40ヵ国のうち3分の1で、あとは個人の旅である。

新しい土地に出向いた時に3つのことをするようにしている。市場(マーケット)を見ること、タクシーに乗ること、低所得者と富裕層が住む地域を訪れることの3点だ。

マーケットにいけばそこの人たちが何を食べているかがわかるし、タクシーの運転手と話をすると市民の不満が理解できる。最後の住宅比較はその国の経済事情を知る上で格好の材料となる。

先進国でも貧富の差はもちろんあるが、途上国の格差は幅がありすぎて唖然とさせられることが多い。国によっては400万人が住むスラム街があるかと思えば、四国とほぼ同じ面積の私有地をもつ富豪がいたりと、日本とでは桁が違う。

先日までカリブ海のジャマイカにいた。20年ほど前に一度訪れているが、貧富の格差は当時とまったくといっていいほど変化がなく、イギリス人が築いたプランテーションの名残を誇示する一方で、ブロックを積み上げた簡素な家に住んでいる人も多い。

観光業が外貨獲得の稼ぎ頭で、ブルーマウンテン・コーヒーやボーキサイトの輸出もさかんだが、カナダやアメリカ、イギリスからバケーションでやってくるツーリストが落とす金に体重の半分を乗せているのがジャマイカの現実である。

自国経済は相変わらずローギアのままで加速できておらず、政府の経済政策と同時に教育の重要性を痛感する。

2枚の写真は、西側の資本が入って開発された部分と島の山間部の住宅。

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彼の国へ

「今度、北朝鮮に行くんです」

こう口にすると、ほぼ全員が「大丈夫ですか」「危なくないですか」と返してきた。私も相手の立場にいたら、たぶん同じ反応をしていただろう。

平壌に着いて数日たつと、いかに北朝鮮の内情が日本で歪められて報道されていたかがわかった。北朝鮮政府が繰りだすプロパガンダもさることながら、アメリカや韓国、日本による過剰報道によって北朝鮮への恐怖心と警戒心が必要以上に増長されていたことを知った。やはり現地に赴かないとわからないことがある。

もちろん拉致問題は解決していない。軍事的挑発行動もある。しかし、それだから「北朝鮮は危険」という図式はあまりにも単純である。外務省のホームページにも北朝鮮は「渡航を自粛してください」とある。

ただホームページの自粛理由は、「北朝鮮のミサイル開発と併せ、(核実験の実施で)我が国の安全保障に対する脅威が倍加した」、そして「北朝鮮が拉致問題に対しても何ら誠意ある対応を見せていない」、「国連安保理において国際社会全体として厳しい対応をとる」という3点につきる。

それは国交も結んでいない国であり、制裁としての意味合いからも行くべきではないという判断による。けれども治安についての記述はない。むしろラオスのビエンチャン周辺には「渡航の是非を検討してくさだい」という勧告がでており、置き引きや侵入盗、ひったくりが多発しているとある。

町を歩くという意味では、後者の方が警戒を要する。事実、平壌においても地方の農村においても、人々の対応は日本となんら変わらなかった。襲われるという可能性は極めて低い。

むしろ、アフリカや南米の途上国に赴くと、車を降りたとたんに物乞いをする子供たちが集まることがあり、振り返ると5人くらいの子供を引き連れて歩いている。しかも衣服が汚れ、裸足であったりする。

だが北朝鮮ではそれがない。北東部や中朝国境へは足を向けていないが、平壌市内はもちろん、私が訪れたいくつもの農村でもそれがない。現地で見聞きした限り、飢えていないのだ。

                          

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「10年ほど前は確かに厳しかったが、いま飢餓で苦しむ人はいない」

現地の人間はこう言った。

だが、帰国して北朝鮮のニュースを読むと、最高人民会議の議長である崔泰福(チュ・テボク)がイギリスに食糧支援を要請したとある。他国への食糧要請はカモフラージュなのかと思えるほどだ。

一つだけ確実に言えることは、金正日をトップにした労働党と軍部のエリートたちにあの国の民は翻弄され続けているということだ。一般国民はある意味で大きな犠牲者であるが、それに気づいていない。

それどころが、「将軍様マンセー(万歳)」のかけ声が今日も響いているのである。(敬称略)

東京からの逃亡

東京にいる多くの外国人が逃避している。西日本に逃げた者もいるし、本国に一時帰国した者もいる。 

福島県の避難指示がでている地域であれば話はわかるが、ほぼ200キロ離れた東京にいても不安なのだという。「大使館からの避難勧告が出た」と言って、東京を脱出したヨーロッパ出身の記者が何人もいる。

被爆国に住む日本人の方がはるかに放射能に冷静でいられるというのは皮肉だ。なぜ彼らは放射線に対して過剰に反応するのだろうか。

いくつも理由がある。一つは今回の福島原発事故を見る限り、日本のメディア報道より欧米メディアの方が正確さを欠いていおり、読者や視聴者を煽った内容が多いことだ。通常、同じ事象を扱う記事でも日米の報道内容には差違があるが、今回、アメリカ側のあまりの情緒的な報道内容にはあきれてしまう。

なにしろ、アメリカ西海岸に放射線が届いているという記事から福島原発事故で人が死ぬ?という大見出しまで、日本は悪魔の住む箱を爆発させてしまったような慌てようである。

二つ目は多くの外国人が日本政府の発表する数字を信用していない傾向が強いことだ。放射線量は福島原発を起点に、さまざまな場所で定期的に計測されている。政府の公式発表もあるが、研究所や個人のガイガーカウンターの数値もあり、東京付近の数値は一様に低く、慌てふためくことはない。彼らは日本政府の発表する数字は信用できないと言う。

東日本大震災・放射性物質監視サイト 

実は多くの外国人は異国で生活すると、外国人同士による情報交換が多くなり、主にその情報に頼らざるを得なくなる。もちろん日本のテレビや新聞の報道内容を正確に理解する人もいるが、それができるのは少数派と言っていい。彼らが頼るのは英語メディアの情報であり、それは今回「いかがなものか」といった内容が多いだけに、より一層恐怖心を煽られることになっている。 

三つ目は、外国で暮らす場合、その土地にどれだけのこだわりがあるかで行動様式が違ってくるということだ。極端な例では、1ヶ月の予定で東京に滞在しているイギリス人が事故後も東京に留まる理由は薄い。予定を早めて本国に戻るだろう。十分に理解できる。

数年の滞在者しかりである。だが、日本を安住の地と定めたような外国人が易々と帰国するだろうか。もちろん人にもよるが、東京で家を買い、長年住み続けている外国人は冷静に状況の推移を見守っている。少なくとも私の周囲の外国人はそうである。

「けれども最悪の事態が起こらないとも限らないでしょう?」

東京から逃げ出した知人は言った。

関東一円に高いレベルの放射線が降り注ぐような最悪のシナリオに至らないとは断言できない。だが、限りなく低い。あとはこう言い放つだけである。

「逃げたければどうぞ」

今すべきこと

まず東日本大震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、救助を待たれている方が一刻も早く救出されることを願ってやみません。

                           

現場に足を踏み入れていないので、津波の惨劇は映像で観る範囲内でしか感知しえないが、数日たって確実にいえることはメディアが惨劇を伝えれば伝えるほど、被災者を救うことができない虚しさが増長するということだ。少なくとも私はそう感じる。

日本の近代史において、最悪の惨事だろう。自然災害では本来、「自助、共助、公助」という順で、まず自身や家族の安全は自らが守り、次に近隣住民や仲間が互いを助け、最後に地方自治体や中央政府が助けるという姿勢が望ましい。

だがこの地震ではその言葉も虚しく聞こえる。なにしろ市役所や町役場が根こそぎ津波にもっていかれ、村長も行方不明という話を聞くにおよぶと、あとは中央政府が危機管理体制を最大限に発揮するしかないからだ。

いま何よりもしなくてはいけないことは、被災者を助けることである。それに尽きる。行方不明者の捜索も重要だが、中央政府はすぐにでも超法規的な行政力を行使して、被災者の救済に力をつくさなくてはいけない。

そして被災者以外の日本人が協力しあうということだ。ボランティア活動、寄付金、物品の無償提供等、すべての国民が寄与するくらいの心意気が必要だろう。

本当にすべての被災者に適切な手がさしのべられることを祈るばかりである。

                        

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