新しい英語(5)

How are you doing, chuck?

この英文の最後の「chuck(チャック)」がどういう意味だかわかる方は、かなりイマの英語をご存知のはずである。

chuckという単語は動詞としては「吐く」「投げる」の他、「追い出す」「放棄する」という意味がある。

しかし上の文章では名詞として使われている。意味は簡単、「友達」である。

冒頭の文章は「元気ですか」という意味だが、日本語では「元気ですか、友達?」とは言わないので、chuckは訳しようがない。

そこが言語のもつおもしろさである。 でも「Chuck」は覚えておいてもいいかもしれない。

それからHow are you doing? という表現はHow are you?よりも多用される。

ただ、この発音が難しい。カタカナ表記は好きではないが、記すとすれば「ハーヨ、ドゥーイン」。

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新しい英語(4)

最初は聞き間違えかと思った。

というより英単語が子音で終わる場合、最後が聞き取れないことがある。

たとえばShot(ショット)やLevel(レベル)といった単語は、文章の中で発音されると、「ト」や「ル」の音がほとんど聞こえないことがある。

Is that coo with you?(それ、かっこよくない)

この文章のcooは本来はcoolである。だがcooと聞こえた。私が聞き取れていないのかと思っていた。

だが、省略形があった。最新のスラング辞典にはでていた。

「L」が抜け落ちているのだ。実はこの「L」という文字はなかなかのくせもので、舌を上あごにつけるので日本人にとってはなかなか発音しにくい。

「クール」よりも「クー」、、、なのである。

新しい英語(3)

また新しい英語をご紹介したい。

これは私も知らないという意味である。

grit(グリット)という単語がある。

数年前、『トゥルー・グリット(True Grit)』というジェフ・ブリッジス主演のハリウッド映画があった。ジョン・ウェインが主演した『勇気ある追跡』のリメイク版だ。

この映画タイトルのグリットは勇気、つまり「真の勇気」という意味である。他には「あら砂」という意味もある。

だが、先日出会ったグリットは形容詞で使われていた。

He is so grit!

「すごく勇気のある奴」という意味ではない。ここでは「スゲー嫌な奴」という意味だ。

言語は流転である。

新しい英語(2)

18世紀のイギリスにサミュエル・ジャクソンという文学者がいる。

彼は詩人であり脚本家、ジャーナリスト、そして辞書の編纂も手がけていた。彼が編纂した英語辞典はのちの英語に大きな影響を与えた。というのも、言葉の意味を再考し、実際にどう使われているかを探っただけでなく、正しい用法にも踏み込んだからだ。

日本語でも時代と共に新しい言葉がどんどん生まれる。また古くからある言葉に新しい使い方が加味されたりもする。歳をとると、新しいものに対する抵抗感が強くなって新語を使わない傾向があるが、私は相手に不快感を与えなければどんどん使うようにしている。

先週、英単語で「Blip(ブリップ)」 という言葉に出会った。

以前からある単語である。テレビやラジオ業界で不適切な言葉を削除した時に使う「ピー」という音のことである。他の意味としては、レーダーのスクリーンに現れる映像も指す。インターネットの英和辞典ではその2つがでている。

手元にある研究社の英和辞典を調べてみた。12万語が収録されている英和辞典には2番目のレーダースクリーンの映像という意味だけが出ていた。

だがアメリカでは近年、日常会話の中で上記の2つとは違う意味でよく使わる。

This problem is a temporary blip.

意訳すると「これはちょっとマズイんじゃないの」という感じである。「いつもとは違うこと」というニュアンスの単語として使われている。

これからも「新しい英語」に出会った時にはご紹介していきたい。

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新しい英語(1)

私はアメリカに25年も住んでいたので一応英語ができることになっている。ただ帰国して5年、どんどん忘れている。

なんでもない言葉が出てこない。よく考えると日本語でもすぐに出てこないことがあるので、老化というやつかもしれない。

自分のことはさておき、新しい英語表現や単語がぞくぞくと登場している。まあ、私が知らないだけというものもあるが、英和辞典をみても出ていない。

最近出会ったのはadorb。

adorbはadorableと同じで「かわいらしい」という意味の短縮形だ。先日、アメリカの空港で耳にした。

「You guys are adorbs!(あなたたち、カワイイのね)」

アメリカでも日本と同じように言葉を縮めることは日常的である。言語は言いやすい方に流れていく傾向があるので、言語学者がいくら文法的に間違っていると踏ん張っても100人中、その学者をのぞいて99人までが新しい表現を普通に選択していたら、それはもう新しい表現や文法として定義しなくてはいけないだろう。

日本語でも「見れる」や「出れる」という動詞は本来「見られる」と「出られる」という表現が正しいが、すでに過半数の日本人は「ら」抜き言葉を使っている。これからますます増えていくだろう。

ただモノを書いている人間として「ら」抜き言葉はいまだに間違いだと思っており、会話の中でも気をつけている。しかしこの上一段活用と下一段活用はあと20年くらいたつと、国民の9割が「ら」抜きで話をするようになるかもしれない。そうなると日本語文法を変える必要がある。

「ら」が入るか入らないかだけだが、入れない方が言いやすいので、やがては淘汰されることになりそうだ。

それが時代の流転である。