やはり政府はウソをつく

国会では真実が明かされないーー。

それが率直な思いである。森友・加計学園問題での安倍を含めた政府側の答弁は、「決して真実は申しません」という固い決意を感じられるほどで、憤怒を覚える。

野党議員が突っ込んで質問しても「記憶にない」、「答弁は差し控える」という常套句で逃げてしまう。朝日新聞が愛媛県職員が作成した文書を公表しても、「政府としてはコメントすることを控える」と後ろをむき、正面をむかない。

ほとんどの国民は安倍が真実を語っていないと感じているだろうが、証拠の文書がでてきても安倍は無視を決め込む。国会の委員会ではこれ以上の追及はできない。

証人喚問という場であれば、ウソは偽証罪になるので期待ができるが、3月27日の佐川の証人喚問では答弁拒否によってすり抜けられてしまった。

こんなことが許されていいのか!というのが率直な気持ちである。

アメリカであれば特別検察官がウソを暴きにかかり、責任者の違法性を糾弾し、手にお縄をかけにいく。それでもトランプのウソを暴くまでに時間がかかっているし、できるかどうかはわからない。

以前から当欄で書いているが、日本の官憲の力は弱すぎるし刑罰も甘すぎる。(敬称略)

学園ものドラマ

過去数カ月、「学園ものドラマ」がメディアを騒がせている。

森友と加計のゴタゴタは国家存亡の危機などではなく、単なる政治家の口利きが責任問題につながった事件であって、私に言わせれば本当に「学園ものドラマ」のレベルでしかない。

北朝鮮のミサイル問題や一般市民が体現できる日本経済の実質成長といった問題の方が何倍も重要である。国家にとっての重要案件の優先順位が間違っている。

学園ものドラマのポイントは安倍の口利きがあったか、なかったかである。政治家が知人・友人の口利きをすることは誰もが知る行為であって、地方議員から国会議員にいたるまで、それなくして日本の政治家の存在意義を語れないほど普通の行為のはずだ。

だから今さら安倍が獣医学部を新設することに「口利きをしたしない」で日本中が大騒ぎをすることではない。メディアは騒ぎすぎである。

ここでの問題はむしろ、10日に行われた文科省の前事務次官、前川喜平の国会証言と政府側の意見の食い違いだろう。どちらかがウソをついている。または両者がウソをついている。

責任のなすり合いである。ただ昨日の言説を聴くかぎり、前川の話の方に信憑性がありそうだ。安倍が「初めから加計学園に決まるようプロセスを進めてきたようにみえる」という見方がもっとも妥当だろう。

ただ前川もまったくのシロではない。審議官時代に天下りの斡旋をした人物であり、調査をあざむくために口裏合わせや想定問答集まで用意していたしたたかさがある。だから、文科省を辞めたいまだから100%本当のことを言っているとは限らない。

本当にドラマを観ているようで、驚かされるのだ。(敬称略)

関心の低い民進党代表選

民進党の不人気が続いている。そんな中で、民進党代表選挙が今月15日に行われる。

参議院議員の蓮舫が有力だが、国民の関心は低い。ヤフーのニュースランキング(国内)では20位にも入ってきていない。TBSラジオのニュースランキングでは項目として民進党代表選を挙げているが、ダントツの最下位。

一般有権者が投票しないことも関心の薄さに関係している。投票するのは全国の党員とサポーター、約24万人である。それにしても、野党第一党の代表選挙に大きな関心が払われないというのはどうしてなのか。

2009年に鳩山政権が誕生したとき、日本にも2大政党制が訪れると期待された時期があった。だが、12年に野田政権が終焉を迎えたときには、民主党は解党といっていいほどちりぢりになってしまった。

民進党が不人気の理由は、こんど政権を担ったら具体的に「こうなります」という図が有権者の方で描けていないからだろう。

描けないのは、民進党が確固としたものを示していないからに他ならない。

「私が代表になることで民進党のイメージを思いっきり変えたい」と蓮舫は言ったが、イメージだけで本体の政党が大きく変わるかは不明だ。

これまでの民進党というのは、「組合(連合)」プラス「風頼み」の票を期待するしかなかったとの印象がある。連合が変わらない限り、民進党も大きく変わらないのではないか。

「解党的な出直し」という言葉を掲げても、国民の無関心は変わらず、民進党が浮上できるキッカケさえつかめていない。

どうすべきなのか、いまの私には読めない。

小池都知事

小池百合子が大方の予想通り、都知事選に圧勝した。

東京は有権者の多くが無党派なので、左寄りの候補に票が集まることもあれば、右寄りの候補が大勝することもある。

選挙結果には、有権者ひとりひとりの思いが反映される。アメリカでも同じである。「ハンサムだから」が一票のきっかけになる。「女性だから」もしかりである。

小池は主要3候補のなかでは未来図への期待がもっとも高かった。自民党を「形だけでも」出て、敵に回して戦ったところに都民は潔さを見いだしたのだろう。

増田は自民・公明の言いなり的な言動が目立ったし、鳥越は行政の長になるスタートラインにも立てていない印象があった。ジャーナリストとしてのかつての爽やかな語り口は失せていた。

3候補とも個人的に多少かかわりがある人たちだったが、知人と呼べるほど親しくはない。

今回の選挙でもっとも驚いたのは、自民党都連が「推薦候補以外を支援した議員(親族等含む)は除名等の処分の対象にする」とした点だ。

自民党の議員が推薦候補に一票を入れることは理解できる。しかし親族は別である。子どもや親は自民党支持者でないこともあるし、違うことを認めないというのは基本的人権の侵害である。

親族だからとの理由で投票行動を強制すること自体に矛盾を感じないといけない。「こんな不条理なことを強制してくる政党の議員には票を入れない」と思うべきである。

気になるのは小池が自民党を「出た」とはいえ、選挙中に「新しい歴史教科書をつくる会」という右翼団体の支援をうけていたことだ。いま話題の右翼団体「日本会議」とも関係が深く、一時的に自民党と表面的な対立の構図を見せても、本質的に右派である点に何ら変化はないということだ。

できれば4,5年先の東京を見据えるだけでなく、50年後、100年後の東京の姿を想起して都知事を務めてほしいと思う。理想論だが、偉大な政治家になろうとしたら、大局的にモノを見なくてはいけないはずである。(敬称略)

公職選挙法の改正へ

参議院選挙が終わり、今日(14日)は都知事選の公示日。

宇都宮健児が鳥越俊太郎に道を譲ったことで、野党勢力は鳥越で1本化された。ジャーナリストとしてというよりも、人間として信頼できそうな候補だが、知事として適任かと言えば大きな疑問符がつく。

都知事には間違いなく、小国の大統領並の資質と指導力、そしてなによりも行政力が求められる。小池百合子と増田寛也にしても、知事になるための準備期間があまりに短かすぎる。

それは法律の問題である。いまから法改正する時間はないが、近い将来、公職選挙法第5章の「選挙期日」の条項を改正する必要があると考える。

米大統領選は選挙期間が定められていないため長すぎるので、米国と日本の中間として3カ月の選挙期間を設けるというのはいかがだろう。

さらに選挙期間の前に、2カ月の準備期間を設定して選挙対策本部で汗を流す人材の確保や政策を練り込む必要がある。選挙資金も集めなくてはいけない。

先週あたりからメディアに現れた小池、増田、鳥越はどうみても準備不足。というより、舛添要一が辞めてからの時間が短かすぎる。特に鳥越は思いついて手を挙げましたといった風情なので、アップアップしている。

それは資質の問題というよりシステムに欠陥があるからに他ならない。現職の知事が辞職した場合、副知事に5カ月間代行してもらい、5カ月後に投票日を設定する新条項を公職選挙法に加えるべきである。(敬称略)