菅氏の世界観

安倍首相が職を辞して、菅氏が日本のトップの座につこうとしている。

菅氏は沈着冷静で、いつ何どきでも慌てず騒がずという心持ちでいることはよくわかるが、本当に国民はこの人が次期首相になることに納得しているのだろうか。与党である自民党の国会議員で、各派閥が推すことで初めて首相になれるという旧態依然としたシステムを誰も破壊しようとしない。

首相の公選制も以前から議論されてはいるが、実現にはほど遠いし、モノを変えることに自民党も官僚も前向きではない。

from twitter

だから「菅氏のような」と言っては失礼だが、日本という国家を代表する顔としてふさわしくない政治家が首相になってしまう。「無難なところというレベルで本当にいいのか」と菅氏を推す自民党議員たち全員の両肩を揺さぶりながら訊いてみたいくらいだ。

私が残念に思うのは、菅氏のようなタイプの首相は前向きな外交政策を展開しない可能性が高いことだ。ましてや「他国に民主主義を広めていきたい」等の言説はまったく期待できない。たとえばオバマ大統領は2009年1月に大統領に就任した直後、こう述べている。

「言論の自由や宗教の自由、また自分の夢を追い求められる自由など、政府によって強制されない民主的な活動の自由と価値をアメリカは実践してきているし、それが他国にもひろく受け入れられると信じる。ただ、それぞれの国には違う価値観や文化、歴史があるので、単に民主主義を広めるためだけの話はしない。その代わり、民主主義というものがどう機能しているのかを示すことはできるかと思う」

これほど大局的に世界を捉えているリーダーもいるのである。なぜここで民主主義について述べたかというと、ある政治学者がつぎのようなことを述べたからである。

「歴史的に民主主義国家どうしの戦争や紛争はほとんどないのです。独裁国家や専制国家がゴタゴタに関与してきやすい。これは歴史が教える事実です。ですから、『民主主義の流布』という陳腐にも聞こえる行為は、戦争回避の特効薬なのです」

北朝鮮や中国がなぜ日本やアメリカと対立するかの根本的な理由はここにある。そのため、仮に日本が北朝鮮と中国を民主主義国家に転化できれば、東アジアはいまよりもずっと安定化する。

今晩、菅氏は「安倍路線の継承」を口にしたが、世界観がどんなものか聴いてみたいものである。

やはり政府はウソをつく

国会では真実が明かされないーー。

それが率直な思いである。森友・加計学園問題での安倍を含めた政府側の答弁は、「決して真実は申しません」という固い決意を感じられるほどで、憤怒を覚える。

野党議員が突っ込んで質問しても「記憶にない」、「答弁は差し控える」という常套句で逃げてしまう。朝日新聞が愛媛県職員が作成した文書を公表しても、「政府としてはコメントすることを控える」と後ろをむき、正面をむかない。

ほとんどの国民は安倍が真実を語っていないと感じているだろうが、証拠の文書がでてきても安倍は無視を決め込む。国会の委員会ではこれ以上の追及はできない。

証人喚問という場であれば、ウソは偽証罪になるので期待ができるが、3月27日の佐川の証人喚問では答弁拒否によってすり抜けられてしまった。

こんなことが許されていいのか!というのが率直な気持ちである。

アメリカであれば特別検察官がウソを暴きにかかり、責任者の違法性を糾弾し、手にお縄をかけにいく。それでもトランプのウソを暴くまでに時間がかかっているし、できるかどうかはわからない。

以前から当欄で書いているが、日本の官憲の力は弱すぎるし刑罰も甘すぎる。(敬称略)

学園ものドラマ

過去数カ月、「学園ものドラマ」がメディアを騒がせている。

森友と加計のゴタゴタは国家存亡の危機などではなく、単なる政治家の口利きが責任問題につながった事件であって、私に言わせれば本当に「学園ものドラマ」のレベルでしかない。

北朝鮮のミサイル問題や一般市民が体現できる日本経済の実質成長といった問題の方が何倍も重要である。国家にとっての重要案件の優先順位が間違っている。

学園ものドラマのポイントは安倍の口利きがあったか、なかったかである。政治家が知人・友人の口利きをすることは誰もが知る行為であって、地方議員から国会議員にいたるまで、それなくして日本の政治家の存在意義を語れないほど普通の行為のはずだ。

だから今さら安倍が獣医学部を新設することに「口利きをしたしない」で日本中が大騒ぎをすることではない。メディアは騒ぎすぎである。

ここでの問題はむしろ、10日に行われた文科省の前事務次官、前川喜平の国会証言と政府側の意見の食い違いだろう。どちらかがウソをついている。または両者がウソをついている。

責任のなすり合いである。ただ昨日の言説を聴くかぎり、前川の話の方に信憑性がありそうだ。安倍が「初めから加計学園に決まるようプロセスを進めてきたようにみえる」という見方がもっとも妥当だろう。

ただ前川もまったくのシロではない。審議官時代に天下りの斡旋をした人物であり、調査をあざむくために口裏合わせや想定問答集まで用意していたしたたかさがある。だから、文科省を辞めたいまだから100%本当のことを言っているとは限らない。

本当にドラマを観ているようで、驚かされるのだ。(敬称略)

関心の低い民進党代表選

民進党の不人気が続いている。そんな中で、民進党代表選挙が今月15日に行われる。

参議院議員の蓮舫が有力だが、国民の関心は低い。ヤフーのニュースランキング(国内)では20位にも入ってきていない。TBSラジオのニュースランキングでは項目として民進党代表選を挙げているが、ダントツの最下位。

一般有権者が投票しないことも関心の薄さに関係している。投票するのは全国の党員とサポーター、約24万人である。それにしても、野党第一党の代表選挙に大きな関心が払われないというのはどうしてなのか。

2009年に鳩山政権が誕生したとき、日本にも2大政党制が訪れると期待された時期があった。だが、12年に野田政権が終焉を迎えたときには、民主党は解党といっていいほどちりぢりになってしまった。

民進党が不人気の理由は、こんど政権を担ったら具体的に「こうなります」という図が有権者の方で描けていないからだろう。

描けないのは、民進党が確固としたものを示していないからに他ならない。

「私が代表になることで民進党のイメージを思いっきり変えたい」と蓮舫は言ったが、イメージだけで本体の政党が大きく変わるかは不明だ。

これまでの民進党というのは、「組合(連合)」プラス「風頼み」の票を期待するしかなかったとの印象がある。連合が変わらない限り、民進党も大きく変わらないのではないか。

「解党的な出直し」という言葉を掲げても、国民の無関心は変わらず、民進党が浮上できるキッカケさえつかめていない。

どうすべきなのか、いまの私には読めない。

小池都知事

小池百合子が大方の予想通り、都知事選に圧勝した。

東京は有権者の多くが無党派なので、左寄りの候補に票が集まることもあれば、右寄りの候補が大勝することもある。

選挙結果には、有権者ひとりひとりの思いが反映される。アメリカでも同じである。「ハンサムだから」が一票のきっかけになる。「女性だから」もしかりである。

小池は主要3候補のなかでは未来図への期待がもっとも高かった。自民党を「形だけでも」出て、敵に回して戦ったところに都民は潔さを見いだしたのだろう。

増田は自民・公明の言いなり的な言動が目立ったし、鳥越は行政の長になるスタートラインにも立てていない印象があった。ジャーナリストとしてのかつての爽やかな語り口は失せていた。

3候補とも個人的に多少かかわりがある人たちだったが、知人と呼べるほど親しくはない。

今回の選挙でもっとも驚いたのは、自民党都連が「推薦候補以外を支援した議員(親族等含む)は除名等の処分の対象にする」とした点だ。

自民党の議員が推薦候補に一票を入れることは理解できる。しかし親族は別である。子どもや親は自民党支持者でないこともあるし、違うことを認めないというのは基本的人権の侵害である。

親族だからとの理由で投票行動を強制すること自体に矛盾を感じないといけない。「こんな不条理なことを強制してくる政党の議員には票を入れない」と思うべきである。

気になるのは小池が自民党を「出た」とはいえ、選挙中に「新しい歴史教科書をつくる会」という右翼団体の支援をうけていたことだ。いま話題の右翼団体「日本会議」とも関係が深く、一時的に自民党と表面的な対立の構図を見せても、本質的に右派である点に何ら変化はないということだ。

できれば4,5年先の東京を見据えるだけでなく、50年後、100年後の東京の姿を想起して都知事を務めてほしいと思う。理想論だが、偉大な政治家になろうとしたら、大局的にモノを見なくてはいけないはずである。(敬称略)