票はカネで買うもの?

ここであらためて記す必要はないのかもしれない。

21世紀になってからずいぶん時間がたつが、いまだに選挙前にカネを配るという違法行為が行なわれている。本来であれば、金権選挙は何年も前に淘汰されていてしかるべきだが、水面下ではいまでもカネを配って票を買うという行為が繰り返されている。

2019年7月の参院選前、元法相の河井克行被告が広島県内の地方議員ら約100人に計2870万円を渡したとして、今月18日、東京地裁は懲役3年の実刑判決を言い渡した。執行猶予はつかず、同被告は塀のなかで生活しなくてはいけなくなったが、判決後すぐに控訴した。

カネを受け取った地方議員たち50人が証人として証言してもなお、河井被告は罪から逃れようと悪あがきを続けている。こんな男が安倍内閣の法務大臣を務めていたのだ。呆れてしまう。裁判官は執行猶予をつけないという大変まっとうな判断を下したが、実刑3年では足りないのではないか。

しかも当時の安倍首相や菅官房長官が河井被告の行状を知らなかったとは思えない。カネ絡みの政治を浄化できずにいるのが今の自民党の姿であり、管政権の実態なのではないか。

日本の政治が停滞しつづける理由

1月25日から始まった衆議院予算委員会で、菅首相のふがいなさが際立っている。予算委員会での愚鈍とした態度と覇気のない答弁を目にすると、「先進国のトップとして、もう少し何とかならないのか」と思ってしまう。

もちろんお歳でもあり、もともとテキパキと動かれる方ではないことはわかるのだが、首相の一挙手一投足は国民に晒され、国民の潜在的な心理にも影響を与えるので、申し訳ないが「菅氏は官房長官が適役だった」と言わざるを得ない。昨年9月、当ブログで菅氏について書いたが(2020年9月2日)、いま読み返してみて、全く同じ思いが胸に去来した。

そんな時、文芸評論家の小林秀雄と横光利一の対談を読んだ。もちろん2人とも他界しているが、対談が行われたのは2人がまだ40代だった時で、時代を辛辣に斬っている。しかも政治についての語り口も鋭い。

小林はこう述べている。

「新鮮な政治がでてくれば必ず青年を動かし文学運動になる。いま日本に政治を反映した文学運動がないということは、今の政治に新しい思想がないということからきている」

時代が違っても、政治に対する不甲斐なさを感じる人は大勢いたのだ。この対談が行われたのは1947年1月で、当時の首相は吉田茂である。当時から日本の政治には新鮮さがないという印象があったわけだが、70年以上がたったいまも大きな変化はないというだ。どうりで「政治活動に入ります」という若者が少ないわけである。

「桜を見る会」への思い

安倍前首相の「桜を見る会」のニュースを見聞きしていて、私はずっと「?」という思いをもっていた。

安倍氏の後援会は毎年、同会を開いてきたが、2015年から19年までの5年間は1人5000円の会費でも最終的な収支が合わなくなっていたという 。都内のホテルで夕食会をするので「足が出てしまい」、安倍氏側が900万円(5年分)を負担することになったのだ。

自分が主催するパーティに参加費をとって人を呼び、「お金が足りなくなったので自分が不足分を払いました」ということに文句を言う人がいるのだろうか。一般的な社会通念としては、当然の行為と思われる。足りない分を、参加者に対して「みなさん、足りなかったのであと1500円ずつ払ってください」というのは忍びない。主催者が黙って差額を支払うことは「大人の行為」のはずである。そこに違法行為は見えない。

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少なくとも「桜を見る会」の概要は上記のようなことだと認識している。ただ、安倍氏は政治家であり、前首相である。一般人と同じように花見の会をひらいて「足りない分は自分が負担をしました。ハイ、チャンチャン」では済まないらしい。というのも、政治家である以上、こうしたパーティでの収支は政治資金収支報告書に記さなければならず、それを怠っていたというのだ。

実際の記述は安倍氏の秘書が行うべきことで、同氏は知らなかったという。それで、安倍氏は不起訴になるようだが、一般常識から考えたら、自分がパーティの不足分を支払って逮捕されていてはたまったものではない。今回の件は政治資金規正法(第8条の2)に違反するということだが、参加費が多額で、あまったお金を自分の懐に入れていたら問題だが、今回は逆である。

個人的に安倍氏の支援者ではないが、ワタシにしてみるとこれは些末な問題でしかない。ところが国会は大騒ぎである。朝日新聞だけでなく産経新聞も社説で安倍氏を糾弾している。事実と異なる答弁があったことは確かだが、大手メディアは問題への光の当て方が間違っている。

菅氏の世界観

安倍首相が職を辞して、菅氏が日本のトップの座につこうとしている。

菅氏は沈着冷静で、いつ何どきでも慌てず騒がずという心持ちでいることはよくわかるが、本当に国民はこの人が次期首相になることに納得しているのだろうか。与党である自民党の国会議員で、各派閥が推すことで初めて首相になれるという旧態依然としたシステムを誰も破壊しようとしない。

首相の公選制も以前から議論されてはいるが、実現にはほど遠いし、モノを変えることに自民党も官僚も前向きではない。

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だから「菅氏のような」と言っては失礼だが、日本という国家を代表する顔としてふさわしくない政治家が首相になってしまう。「無難なところというレベルで本当にいいのか」と菅氏を推す自民党議員たち全員の両肩を揺さぶりながら訊いてみたいくらいだ。

私が残念に思うのは、菅氏のようなタイプの首相は前向きな外交政策を展開しない可能性が高いことだ。ましてや「他国に民主主義を広めていきたい」等の言説はまったく期待できない。たとえばオバマ大統領は2009年1月に大統領に就任した直後、こう述べている。

「言論の自由や宗教の自由、また自分の夢を追い求められる自由など、政府によって強制されない民主的な活動の自由と価値をアメリカは実践してきているし、それが他国にもひろく受け入れられると信じる。ただ、それぞれの国には違う価値観や文化、歴史があるので、単に民主主義を広めるためだけの話はしない。その代わり、民主主義というものがどう機能しているのかを示すことはできるかと思う」

これほど大局的に世界を捉えているリーダーもいるのである。なぜここで民主主義について述べたかというと、ある政治学者がつぎのようなことを述べたからである。

「歴史的に民主主義国家どうしの戦争や紛争はほとんどないのです。独裁国家や専制国家がゴタゴタに関与してきやすい。これは歴史が教える事実です。ですから、『民主主義の流布』という陳腐にも聞こえる行為は、戦争回避の特効薬なのです」

北朝鮮や中国がなぜ日本やアメリカと対立するかの根本的な理由はここにある。そのため、仮に日本が北朝鮮と中国を民主主義国家に転化できれば、東アジアはいまよりもずっと安定化する。

今晩、菅氏は「安倍路線の継承」を口にしたが、世界観がどんなものか聴いてみたいものである。

やはり政府はウソをつく

国会では真実が明かされないーー。

それが率直な思いである。森友・加計学園問題での安倍を含めた政府側の答弁は、「決して真実は申しません」という固い決意を感じられるほどで、憤怒を覚える。

野党議員が突っ込んで質問しても「記憶にない」、「答弁は差し控える」という常套句で逃げてしまう。朝日新聞が愛媛県職員が作成した文書を公表しても、「政府としてはコメントすることを控える」と後ろをむき、正面をむかない。

ほとんどの国民は安倍が真実を語っていないと感じているだろうが、証拠の文書がでてきても安倍は無視を決め込む。国会の委員会ではこれ以上の追及はできない。

証人喚問という場であれば、ウソは偽証罪になるので期待ができるが、3月27日の佐川の証人喚問では答弁拒否によってすり抜けられてしまった。

こんなことが許されていいのか!というのが率直な気持ちである。

アメリカであれば特別検察官がウソを暴きにかかり、責任者の違法性を糾弾し、手にお縄をかけにいく。それでもトランプのウソを暴くまでに時間がかかっているし、できるかどうかはわからない。

以前から当欄で書いているが、日本の官憲の力は弱すぎるし刑罰も甘すぎる。(敬称略)