トップに立つ女性

フランス大統領選の決選投票でサルコジに負けたロワイヤル。敗れた理由は雇用や失業、移民といった国内問題でサルコジほど具体的な政策を提示できなかったためといわれるが、ヒトコトで言えば社会党が与党を打ち負かせなかったと解釈すべきである。

もちろん「女性だったから」という敗因はない。もはやそんな時代ではない。1960年、スリランカで世界初の女性首相バンダラナイケが誕生して以来、半世紀の間に実に多くの女性トップが現われた。

インドのインディラ・ガンジー、パキスタンのブット、アイスランドのフィンボガドッテル、インドネシアのメガワティ、イギリスのサッチャー、ドイツのメルケル、フィリピンのアキノとアロヨなど、数多くの首相・大統領が生まれた。

「女性が世界をリードすれば戦争は起きない」と言われるが、サッチャーはフォークランド戦争で強硬策をとっており、その俗説は見事に覆された。そのため女性がトップだからという理由で、実務面で大きく政治のあり方が変わるということは少ない。

ヒラリーがアメリカの最初の女性大統領になるかどうかは、現段階では45%という数字を出しておく。それほど厳しい。この数字は私の直感だけれども、いくつかの要因を考慮して導き出したものだ。

昨年から、アメリカの各種世論調査で、共和党ジュリアーニとヒラリーの一騎打ちになった時、ヒラリーは数%差で負けるという結果がでている。今度、ヒラリーに流れがくればジュリアーニとの戦いで勝つ可能性もあるが、接戦であると読む。

彼女にとっての最大のネックは中西部と南部に住むキリスト教保守派である。かなり嫌われている。それも彼らから「イヤな女だ」という発言を何度も聴いている。

いくらブッシュの支持率が28%にまで低下し、共和党の人間の中から「次の選挙では民主党候補に投票する」との声が出ていても、ヒラリーには圧倒的な勝利が約束されていない。この体たらくはいったい何なのだろうか。

すでに全米、いや全世界レベルで顔の売れたヒラリーが新たな票田を開拓していくという可能性は低い。さらにジュリアーニという人物もよく知られている。となると、今日、大統領選の投票を行っても1年半後に行っても結果はそう違わないのではないか。

ヒラリーに代わってオバマがくることもあろう。彼の急進性とカリスマ性は今後1年半で化ける可能性がある。

またしてもアメリカは女性のトップを選べないのかもしれない。(敬称略)

文明の衝突

ワシントンから東京に戻ってそろそろ2カ月がたとうとしている。

25年間のアメリカ生活がわたしの細胞の隅々にまで沁みこんでいる気がするので、そう簡単に東京の住環境には慣れない。一昔前、商社の人たちがよく口にしたのは、「海外に1年いると元に戻るまでに1カ月かかる」ということだ。5年だと5カ月。25年だと約2年半だろうか。

しかし、自分のなかの何かが四半世紀の間に確実にアメリカ化したので、元の日本人には戻れないと思っている。ある意味で、日本では仲間はずれにされるタイプの人間として舞い戻ったような気がする。

突然だが、話をサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」に移したい。わたしの経験が「文明の衝突」に直接関係あるわけではない。今週、アメリカの論壇界で「文明の衝突」に関連するコラムが話題になったからである。

ハンチントンの「文明の衝突」が発表されたのは1993年のことである。ハーバード大学の教授は、21世紀はそれまでの国家間の対立に代わって民族や宗教が要因となって世界各地で衝突が起こると説いた。国家という枠組みが崩れるという内容である。

論文が発表されたあと、世界中で賛否両論が巻き起こった。それは現在も続いている。ニューヨーク・タイムズのコラムニストであるデイビッド・ブルックスは今週、「物語としての戦争」という題のコラムで、現在の中東紛争は「文明の衝突」ではなく、「文明の裂け目」のせいで起きていると説いた。

違う民族は本質的にコミュニケーションがとれず、共通の目標ももてず、物語を一緒に語れないという論点である。ところが中東の政治学者などから、その考え方は違うとの反発が起きている。

違う民族や宗教であっても十分にコミュニケーションはとれているし、近代国家として共通の目標をもっているというのだ。むしろブルックスのような否定的な態度こそが事態を悪化させていると反論した。

両者のどちらかが論争に勝利したところで、現在のイラク戦争やイスラエルを軸にした中東紛争が解決するわけではない。唯一いえることは、アメリカの中東政策の破綻によって「文明の衝突」がいま加速しているということだ。

何ごとにも突出しがちなアメリカの性向を日本に持ち込んでいるわたしは、周囲と混迷を深めることだけは避けようと思う。(敬称略)