尖閣問題の解決のしかた

中国人船長の勾留問題で、日中関係がきしんでいる。

中国では政府も市民も反日感情をあらわにしている。「人民日報」の国際版とでもいえる「環球時報」の世論調査では、98%の人が尖閣諸島に軍艦を派遣すべきだと回答しており驚かされる。この数字は信憑性に欠けるとしても、短期的に日中関係はすでに悪化している。

日本はもちろん尖閣諸島を古来から日本の施政下にある島と判断し、中国は釣魚島と呼んで中国の領地であるとしている。欧米の報道をみると、どちらに寄り添うわけでもなく、ロイター、AP、CNNなど、みな尖閣と釣魚島の両方を並列して客観報道のスタンスを貫いている。

昨日、話をしたドイツとフランスの記者はそれぞれ「尖閣を含めた領土問題が簡単に解決するはずがない。ずっと続くよ」、「尖閣の領有権が国際法などで決められているわけがない。両国は今後も自分たちの理由で領有権を主張しつづけるだろう」と平然としている。領土問題で経験の豊富なヨーロッパ人はかなり冷静である。

今回は中国船による公務執行妨害が争点だが、それは日本側からの話であり、根幹には当然のこととして領土問題がある。国際的に「尖閣は日本の領土」、または「釣魚島は中国の領地」といった取り決めはないので、これまで平行線を辿り、今後も簡単には解決しない。今月14日、国務省の報道官クローリーは「日中両国が平和的対話の中で解決することを願っている」とコメントしている。

私も日本人であるので、心情的には「尖閣は日本のもの」とする立場でいたいが、この事案については一歩引いて論じたい。メディアはほとんどすべて「日本の領地」としての立場だし、仮に他国と戦争をした場合、メディアはほぼ100%自国の立場を擁護するはずだ。けれども、そうした時期にこそブログの存在意義として、盲目的に自国の擁護論に寄り添わず、本当に両国の間で何が起きているのかを客観的に報道し、洞察すべきだろうと考える。

尖閣問題を客観的にみると、両国の主張は同列であり、深度もほぼ同じである。

日本側の根拠は1895年1月、政府が非公式の閣議で尖閣諸島を沖縄県に編入することを決めたところにある。だが清国(当時)には伝えられていない。当時から無人島だったが、20世紀初頭に日本人が入植し、鰹節製造が行われていたこともある。

中国側としては、15世紀の中国文献にすでに「釣魚台」が登場し、16世紀、17世紀から中国人は漁を行っていた経緯がある。ただそれは日本が鰹節を作っていたという主張と同じレベルで、両国は自己宣告しているに過ぎず、それで近隣諸国が納得していればいいが、そうではない。当時から「この岩山は我々のものですからね」といった一方的な宣言で領有権を主張しているに過ぎない。

沖縄がアメリカから返還された時に尖閣諸島も日本に戻ったとする解釈もあるが、それは国際的に通用しておらず、「自分たちの主張」の域をでていない。 爆破させて海に沈めるという手法もよく耳にするが現実的ではない。

1970年以降、中国は尖閣諸島付近の天然資源に触発されて、積極的に「昔からこの島は中国のものだった」と主張しはじめるが、こちらもこじつけ的な要素が充満している。日本国内でも40年くらい前までほとんど誰も尖閣という名前すら聞いたことがなく、日本側の利害が浮上したのも時期は重なる。

それでも尖閣周辺では日中の漁船が操業をしている。それが日中間の了解である。海上保安庁は今回、中国側の漁船が激突してきたために船長を勾留したとしているが、ビデオを早くメディアに公開して国際的に事件の原因究明を急ぐべきである。証拠の公開は例外というが、こういう時こそ例外を認めるべきである。

日本国内では中国が過剰反応をしていると思っているが、他国では微妙に違う。日本はむやみに中国の反日攻勢に乗じて、過激に対応してはいけない。

都知事の石原のような挑発発言で事態が解決するならいいが、効果はまったくの逆である。「ふざけるな。あそこは日本の領地だ」といったトーンは気分的には楽だが、問題の解決にならない。事態の収拾は地味だが現実的な対話による収拾しかないのである。(敬称略)

普通の状態へ

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日本ではほとんどと言っていいほど関心が寄せられていない11月2日のアメリカ中間選挙。

上院100名のうち37名と下院の全議員(435名)が改選となる。現在は両院とも民主党が過半数の議席を確保しているが、今年の選挙では共和党が下院の過半数を奪いそうである。

中間選挙は歴史的に政権党とは違う政党が議席をのばす。過去100年をみても、中間選挙で政権党が勝ったことは1934年、1998年、2002年の3回しかない。

理由は大きく2つある。

一つはコートテール(便乗人気)理論に基づく考え方である。2年前、オバマ人気に乗じて多くの民主党議員が連邦議会で議席を獲得したが、2年たつと大統領の人気も下がり、同時に議席も失うというものだ。小泉チルドレンが後になってほとんど落選したことに似ている。 

オバマの支持率は2008年1月末、68%だったが、ギャラップ社の最新調査では45%にまで落ちている。2年たつと、有権者は「ちょっと待てよ。本当にこれでいいのか」と、我に返るのだ。

二つめは、行政府であるホワイトハウスと立法府の連邦議会が違う政党である方が政治的に健全という考え方が働くためだ。コートテール理論につながりもするが、一般市民のバランス感覚が中間選挙では特に働くため、政権党とは違う政党の支持が高まる。

現在下院では民主党が255議席を維持し、178議席の共和党を大きく引き離している。これだけの大差がありながら、今秋は民主党が39議席を失って少数党になる可能性が大きい。

歴史的な要因だけでなく、高い失業率、遠のく景気回復、財政赤字の拡大、国民皆保険への不満など、負ける要素が充満している。

ただ、ホワイトハウスと議会が違う政党である「ねじれ」は過去、いくらでもあった。その時に重要法案が成立した経緯もあるので、ワシントンが「普通の状態」に戻るとの解釈もできる。(敬称略)

大局と局所

    

by the White House        

                                         

普天間基地の移設先が名護市辺野古に落ち着きそうである。 

今さら鳩山のふがいなさと安全保障問題での意識の低さを語るつもりはない。

結果的に、アメリカ側の主張に負けたということである。最初から辺野古しかないことは、この問題を追ってきた人であればわかっていた。

相撲でいえば、鳩山は立ちあい後まず右にかわり、けたぐりを試みたが相手はまったくたじろがず、そのあと前みつをとって頭をつけて内無双を打ったがそれも効かず、最後は左四つがっぷりに組まれ、横綱(アメリカ)万全の体勢のまま寄り切られたということである。

23日に再び沖縄を訪れた鳩山は知事の仲井真に詫びをいれた。

日米で普天間基地移設に合意ができた1996年の日米特別合同委員会(SACO)からすでに14年。自民党のできないことが民主党では可能、と期待されたが無理だった。

すでにいろいろなメディアで書いたり発言しているが、普天間はいまでも「瑣末な問題」であって、本来ならば首相が出ていくような案件ではない。アメリカで言えば国務・国防両省の次官補レベルで解決すべき問題である。

ブッシュ政権時代の日米交渉担当者が以前、私にこう述べた。

「日本は一坪いくらだとか、滑走路を数メートルずらすとどうなるとか、局所的な議論に終始しがちだ。なぜもっと大局的に基地問題を捉えられないのか」

この指摘は鳩山の思考回路にも見事に適用できる。首相は日米だけでなく、東アジアの近隣諸国にも日本の安全保障政策のビジョンを示せなくていけない。

リーダーとして当然持つべき高い見識があれば、普天間の移設など自民党時代もふくめて10年前にコトが片付いていなくてはいけない。

いまでもオバマは普天間などほとんど気にかけていないはずである。何しろいまでもイラクとアフガニスタンで戦争をしているのだ。自国の兵士が死傷しているのである。それはそれでアメリカの大きな問題ではあるが、スケールの違いは歴然としている。

鳩山が沖縄を訪れて仲井真にコウベを垂れた日、オバマはニューヨーク州ウェストポイント(陸軍士官学校)に足を運び、新しい安全保障ドクトリンを近く発表すると述べた。一国の指導者として、やるべきことをやっているという印象である。

大統領や首相になる政治家は安全保障問題と経済問題だけは精通していなくてはいけない。これはMUSTである。(敬称略)

ガスマスク配布開始

タイトルだけを読まれると、何のことかと思われるだろう。

日本の大手メディアがほとんど報道していないニュースなので致し方ない。

イスラエル政府は7日から、全国民に対してガスマスクの配布を始めた。国民全員に行きわたるように800万個を用意し、2013年までに配布を終わらせるという。これはもちろんイランからの生物・化学兵器の攻撃に備えてのことである。 

実は、イスラエル政府は1月5日にガスマスクの配布を決めていた。すでにテルアビブ市民などには配っていたが、いよいよ国民全員への支給を始めたのだ。日本人からするとただ事ではないが、イスラエルでは20年前の湾岸戦争時にもあったことで、日本人ほど驚いていない。

オバマ政権が7日発表した「核体制の見直し」(全49頁)には、イランと北朝鮮への核攻撃オプションも含まれており、アメリカとその盟友がイランをジワジワと追い詰めている現実がある。ガスマスク配布というのは社会に浮上した因果関係の一つに過ぎない。

私はオバマが昨年4月に宣言した核兵器廃棄という考えを全面的に支持している。しかし、アメリカには今回の「核体制の見直し」を手ぬるいとし、核兵器の全廃に反対する者も少なくない。

ピューリッツァー賞を受賞したコラムニストのマイケル・グッドウィルはその一人だ。ニューヨーク・ポストで書いている。

「核兵器を廃棄するという考えは右寄り左寄りといった政治哲学の問題ではない。アメリカ社会の健全さを脅かす子供じみた空想にすぎない」

もちろん彼の考えは、核兵器のある強いアメリカこそが世界の平和を死守できるというものだ。けれども、オバマらしさというのは理想主義の追求であり、それをを少しずつ現実の世界へ引き入れていくところに彼の政治的価値がある。そこが失せたらオバマではなくなる。

イランに対する核兵器使用のオプションというシグナルは、イラン人にとってもイスラエル人にとっても脅威であるが、私は「核体制の見直し」の結びにあった次の言葉に思いを託す。

「2010年版の核体制見直しの特徴というのは、全世界から核兵器を全廃するという究極的な目標にむけて活動することです。そればかりか、世界中で核不拡散体制を強化し、テロリストに核兵器や核燃料を入手させない手だてを図り、国際的な安全保障体制を強化していくことです」

イスラエルのガスマスクが無用の長物でおわることを祈りたい。(敬称略)

            

日米両国が軽視してきたこと

火曜夜(16日)、アメリカ大使館主催の勉強会に招かれ、出席してきた。不定期で開かれる会合のテーマはまちまちで、アメリカの大学教授が講師として話をすすめる。

今回のテーマは「パブリック・ディプロマシー(Public Diplomacy)」。いわゆる広報外交である。日本ではあまり使われない言葉だが、オバマ政権下では「スマートパワー」という言葉に置きかえられもする。

軍事力や経済制裁といったハードパワーではなく、広報活動によって他国に影響を与える外交力である。ただ普天間問題において、パブリック・ディプロマシーはほとんど機能していない。

少なくとも大多数の国民は、日米両政府から発せられる普天間に関する広報活動に気づいていない。あったとしても、影響を受けていない。両政府は広報という点において失敗し、軽視してきた言われてもしかたがない。

勉強会の講師は言った。

「政府はプレスリリースを出すだけで満足していてはいけない。政府が何を考えているかをもっと公開し、市民参加型のフォーラムを開催すべきだ。いまからでも決して遅くない」

単に基地移設問題の収拾だけでなく、多くの国民が東アジアの安全保障という観点から積極的に基地の重要性を認めれば、移設反対の大合唱には発展していなかったかもしれない。

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