文明の衝突

ワシントンから東京に戻ってそろそろ2カ月がたとうとしている。

25年間のアメリカ生活がわたしの細胞の隅々にまで沁みこんでいる気がするので、そう簡単に東京の住環境には慣れない。一昔前、商社の人たちがよく口にしたのは、「海外に1年いると元に戻るまでに1カ月かかる」ということだ。5年だと5カ月。25年だと約2年半だろうか。

しかし、自分のなかの何かが四半世紀の間に確実にアメリカ化したので、元の日本人には戻れないと思っている。ある意味で、日本では仲間はずれにされるタイプの人間として舞い戻ったような気がする。

突然だが、話をサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」に移したい。わたしの経験が「文明の衝突」に直接関係あるわけではない。今週、アメリカの論壇界で「文明の衝突」に関連するコラムが話題になったからである。

ハンチントンの「文明の衝突」が発表されたのは1993年のことである。ハーバード大学の教授は、21世紀はそれまでの国家間の対立に代わって民族や宗教が要因となって世界各地で衝突が起こると説いた。国家という枠組みが崩れるという内容である。

論文が発表されたあと、世界中で賛否両論が巻き起こった。それは現在も続いている。ニューヨーク・タイムズのコラムニストであるデイビッド・ブルックスは今週、「物語としての戦争」という題のコラムで、現在の中東紛争は「文明の衝突」ではなく、「文明の裂け目」のせいで起きていると説いた。

違う民族は本質的にコミュニケーションがとれず、共通の目標ももてず、物語を一緒に語れないという論点である。ところが中東の政治学者などから、その考え方は違うとの反発が起きている。

違う民族や宗教であっても十分にコミュニケーションはとれているし、近代国家として共通の目標をもっているというのだ。むしろブルックスのような否定的な態度こそが事態を悪化させていると反論した。

両者のどちらかが論争に勝利したところで、現在のイラク戦争やイスラエルを軸にした中東紛争が解決するわけではない。唯一いえることは、アメリカの中東政策の破綻によって「文明の衝突」がいま加速しているということだ。

何ごとにも突出しがちなアメリカの性向を日本に持ち込んでいるわたしは、周囲と混迷を深めることだけは避けようと思う。(敬称略)