都知事選と大統領選

現職石原に軍配が上がった。

横暴な物言いの石原対左翼崩れの浅野という二者択一の選挙だったが、戦いにならなかった。数週間前、少人数の勉強会に出席したとき、メンバーの衆議院議員が「浅野が圧勝する。賭けてもいい」と明言したが、大ハズレだった。

知事選は首相の選出方法とちがい、有権者の直接投票で決まるのでよくアメリカ大統領選と比較される。しかも東京は人口と予算規模から小国の大統領に等しい。

そうなると、わたしがライフワークとして追う大統領選の諸要因をみることでさまざまなことが見えてくる。大統領選とではカネの集まり方と選挙期間、さらにTV広告の自由さの3点で大きな違いはあるが、敗因は似てくる。それは経済である。

過去50年のアメリカ大統領選挙をみてもそうである。もちろん他の要素もあるが、好況にわく経済をバックにして、トップを引きずり降ろす国民はいない。ワシントンから東京にもどってまだ1カ月余だが、「景気は確実に上向いている」という話をいたるところで聞く。

石原がいくら公金を個人的に使途していても、既存メディアは糾弾しきれていない。しかも2月の完全失業率は4%で保たれ、町に失業者があふれているわけではない。企業業績も株価も上向きである。東京の町から火が消えたような状態であったなら浅野に軍配が上がったかもしれない。だが、そうではなかった。

さらに浅野には政治家としてのカリスマ性が無さすぎた。それは選挙直前に出版された浅野の単行本の売れ行きの悪さにも表れていた。出版担当者は「売れてない」とはっきりと言った。

大統領選の黒人候補オバマの自伝はベストセラーである。大きな違いだ。石原の再選はすでにはるか前から決まっていたのである。(敬称略)