文化が違うということ

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日本に届いた『ブルームバーグ・ビジネスウィーク』誌の最新号を手にして、ハッとさせられた。

お馴染みのウィリアム王子とキャサリン妃が、アメリカン・カジュアルの代表ブランドJ.Crew(J.クルー)の服に身を包み、カメラの前に立っている。イギリス王室が特定ブランド、しかもアメリカのブランドに加担するような行動をとったのか?

よくできた写真なので、最初はそう思った。だがページをめくり、合成写真であることがわかる。

ここでJ.クルーの宣伝をするつもりはないが、11月1日にイギリス初の旗艦店をロンドンにオープンさせた。さらに2カ所の小売拠点を市内に開くとも発表。そこではイギリス王室御用達のシャツメーカー、トーマス・メイソンのシャツも取り扱われるという。

ただ王子と妃が合成写真の使用を認めたとは書かれていない。もちろん無断で彼らの顔をモデルの体に貼り付けたのだ。

日本で皇太子と雅子妃に同じことをすると、日本中からひんしゅくを買うだろう。だがイギリスをはじめ、ヨーロッパでは合成写真を大手メディアが掲載することは普通である。

すぐ横で仕事をしているスイス人記者に写真を見せて訊いた。

「普通のことでしょう。王室の人間だって、大統領だって対象になってしまう。それで何か問題でも?」

日本で同じことをするガッツのある雑誌も新聞もない。ガッツというより、皇室に対する心持ちが欧米と日本では大きく違うことが今回の合成写真の一件でよくわかる。

雑誌発売後すでに1週間がたつが、キャサリン妃から「いい加減にしてよね」といった話は出ていないし、英王室からのクレームもないらしい。

オバマの耳はスパイの耳?

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by Build (ビルト:ドイツで最大の発行部数を誇るタブロイド紙)

友人のドイツ人記者が送ってくれた『ビルト』の1面にでた合成写真。アメリカのスパイ活動は長年、世界中に及んでいる。ヨーロッパらしいパロディー写真。

またしても「なんとかならないか」

30年ぶりのソウルは、唖然とさせられることの連続だった。

都市人口はすでに1000万人に達し、町の煩雑ぐあいは東京と違いがない。高いビルもあるが、ニューヨークや上海ほど高層ビルが乱立しているわけでもない。

30年前、町を上から見下ろすと茶色い瓦屋根が並んでいて、山々に囲まれた城下町のような風情があった。だが現在、その面影はない。建築物に統一感はなく、町に新しい建物が少しずつ付け足されていっている。

勝手気ままに好きなように建てるという文化は日本を含めたアジアの特質と呼んでいいかもしれない。和合の民と思われるアジア人だが、建築物については周囲の色調に合わせるとか環境を配慮してという意識がいまだに低い。

ただ食についてはそれぞれの国や地域が独自の色をもつ。それは他では真似できない強靱さで迫ってくる。焼き肉を含めた韓国料理は、日本ではもう食べない方がいいと思えるほどの力強さだ。

今回、ソウル在住の友人に案内されたこともあり、あらためて隣国でありながら日本の韓国料理が「こうも違うか」と思わされる店の数々、料理の数々で参ってしまった。

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これは以前のコラム(フォーリンフード )でも書いたとおりで、本国を越える食べ物は他国では食せないということだ。

どの国でも大多数の顧客を満足させることでレストランの経営が成り立っているので、「本場の品」でなくとも構わない。いや、日本では日本人の味覚に合ったメニューでないと経営は成り立たない。

それはよく承知しているつもりだが、「なんとかならないのか」という思いがまたしても募るのである。

なぜ日本は後手に回るのか

これは日本だけに限ったことではない。アメリカ以外のすべての国と述べた方がいいだろう。

日本を含めた世界中の人からアメリカほど嫌悪感をもたれる国はないが、同時に潜在的羨望を抱かれる国もない。IT業界だけでなく医療から音楽にいたるまで、じつに多くの分野でアメリカは主導的立場を維持している。これは紛れもない事実である。

日本でも近年、30歳前後の起業家がITを使った新ビジネスや生き方を提唱してメディアから注目されているが、アメリカを越えていない。申し訳ないが「その程度ですか」といったところだ。

なにしろ彼らはヨーロッパや中南米の国々に影響をおよぼしていない。もちろんアメリカの特定市場を席巻するような新進企業にも個人にも成長していない。

これは書くことを生業とする私も同様なので、他人を責めてばかりはいられない。英語で書かれた本が何万部も売れているわけではない。以前、英語でエッセイや評論を書いていたこともあるが、英語市場では敗者といっていい。

言うまでもないが、タブレットもアメリカに先を越されている。2003年にソニーや松下電器(現パナソニック)がタブレット市場に本格参入していたことはよく知られるが、その先見性はアメリカを始めとする世界のユーザーをつかみきれず、08年に撤退した。

アップルやアマゾンはその後を受け継ぐようにして成功を収めた。日本は結局、後手に回ったのである。

なにが違うのか。企業のマーケティング戦略よりは、一言でいえば個人がもつ世界観の違いだろう。地球を懐におさめてビジネスをするかどうか、生きているかどうかの違いであろうと思う。

一部企業は日本よりも世界市場に力点を置いているが、地球を意識している人はどれだけいるだろうか。

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メディアができること

インターネットの「日常化」によって、一般的な情報だけでなく世界中のニュースがとめどなく入ってくる。

テレビや新聞のニュースには時間と紙面に大きな制約があるので、印象としては世界のニュースの30分の1くらいしか大手メディアでは報道されていない。

たとえば昨日だけでも、イラクではアルカイダの新たな攻撃で106人が死亡し、シリアの内戦では77人が犠牲になった。そしてメキシコでは麻薬マフィアの抗争によって49人が殺害されている。

3国では人が殺害されることがあまりにも日常的になってしまったので、計200名以上が亡くなっても日米では大きく取り上げられもしない。それよりもアメリカのコロラド州銃乱射事件で12人が亡くなったニュースの方が扱いが大きい。

しかし、イラクやシリア、メキシコでの被害者の背後には家族や友人・知人がおり、人が他界するという憂事において、その悲嘆のレベルは日本と同じである。ニュースが伝えるのは悲劇という事実だけだ。

報道機関の中には、そこから何かできるとの意識を抱えるところもある。しかしそれはほとんどの場合、幻想に過ぎない。

メディアは世の中を変えはしない。今起きていることを報道することで、次へのステップを呼び起こすお囃子の役割を担っているに過ぎない。

世の中を変えるのはただ実践あるのみである。