報復の精神性

中東情勢が緊迫している。今月1日にはイランがイスラエルに向けて180発以上の弾道ミサイルを発射し、両国の対立が新たに高まっている。イランはイスラエルがイスラム教シーア派組織ヒズボラの最高指導者ナスララ師を殺害したことへの報復としているが、すぐに収束に向かうとは思えない。

そこには「やられたからやり返す」という報復の意識があり、人類が長年断ち切ることができない他者への攻撃性がみて取れる。それは一個人であっても国家でも大差なく、報復の連鎖という戦争につながる行為となってあらわれる。

こうした攻撃性というのは、人間の歴史の中で遺伝情報としてDNAに刷り込まれていると説明する人もいる。復讐という行為を「正義」という言葉で正当化することで、殺し合いが繰り返されてしまう。

この点で、科学技術が発展し、世の中は日々進化しているように思えても、人間が戦争をするという愚かな行為はなくならず、地球のどこかで今日も殺し合いがつづいている。

国家間の争いにおいてはまず、国のトップにたつ人間が報復の連鎖を止めなくてはいけない。それが本当の勇気というものだろう。

激化するウクライナ戦争

今日付け(9月27日)のニューヨーク・タイムズ国際版の一面トップに、「ウクライナ、東部戦線の維持に苦戦(Ukraine struggles to hold its eastern front)」という記事が掲載された。内容はロシア軍が多大な死傷者を出しながらも、ウクライナ東部ドネツク州で攻勢をしかけており、戦況はロシアに有利な展開になりつつあるというものだ。

ロシア軍は装甲攻撃をしかけながら、兵士は徒歩、バイク、全地形型車両などでウクライナに攻め入り、北部チャシブヤールから南部ウフレダルまでを制圧しようとしているという。

そんな中、ウクライナのゼレンスキー大統領は米メディアに対し、「戦争は終結に近づいている」と発言。「私たちが考えているよりも和平に近づいている」と述べ、戦地から伝わる状況や兵士らの発言とはいささかかけ離れたコメントをしており、言葉の意図が今ひとつはっきりしない。

さらに、同大統領は26日にホワイトハウスでバイデン大統領と会談し、 ウクライナが作成している「勝利計画」について説明。「どのように計画を強化し、確実に実行していくのか、詳細を協議したい」 として前向きな姿勢をしめした。バイデン氏もそれを受けるように、戦争終結には戦地で優位にたつことが必須として、あらたに総額80億ドル(約1兆1000億円)の軍事支援を約束した。そして、 「ロシアは戦争に勝てない。ウクライナが勝つ。われわれはウクライナ側に立ち続ける」 と発言し、あらためてウクライナの味方であることを強調した。

現場の戦況とバイデン・ゼレンスキー両氏の見立てが違うように思えてならないのだが、、、、。

衝撃のポケベル爆発:だが計算違いだった?

中東レバノンで17日に起きたポケベル爆破事件は衝撃的だった。すでに多くのメディアが詳細を伝えているので、事実関係には深く踏み込まないが、最初の爆発で12人が死亡し、3000人近くが負傷したという。そして翌18日には次なる攻撃が起き、あらたに20人が死亡し、約450人が負傷している。

イスラエルによる攻撃であることはほぼ間違いないが、イスラエル政府も対外諜報機関モサドも、ここまで沈黙を貫いている。ポケベルに爆発物が埋め込まれていたことによる爆発だが、イスラエル側は長期間にわたって計画し、爆弾を仕込んだことは間違いない。ヒズボラが発注した通信機器は5000台で、レバノンに到着するまえに爆弾が仕組まれたという。

今後、イスラエル政府が背後にあることが証明された時、一国家による殺戮行為としては最悪の部類に入ることになるだろう。ただ私が思うのは、今回の攻撃はイスラエル側にしてみると「計算違い」だったのではないかということだ。

というのも、映像で見る限り、かなり鮮烈な爆発が起きているが、最初の爆発でなくなった方は12人。負傷者は3000人という数字で、イスラエル側にしてみると死亡者が予想よりもかなり少なかったのではないか。つまり、攻撃側は1000人単位でヒズボラメンバーを殺戮したかったが、実際はそこまでいかなかったというのが真相なのではないか。そう思えてならない。

これは今後、イスラエルとヒズボラの抗争がずっと継続されることを意味するし、攻撃がより過激になっていく可能性が高い。日本はいったい何ができるだろうか。

ロシアのいないパリ五輪

パリ五輪が始まり、連日テレビでは各種競技が放映されて盛り上がっている。だが、私は何かもの足りないものを感じている。それが何かといえば、ロシアが参加していないことである。

特に体操などは伝統的にロシアが好成績を残してきただけに、ロシア不参加の五輪というのは準主役を欠いたミュージカルのようで、一抹のつまらなさを感じてしまう。体操という競技は、ロシア人選手と競い合ってメダルを獲ることで本当の意味での世界一になれる気がする。

ロシアは2022年2月にウクライナに軍事侵攻。今年3月、オリンピック委員会(IOC)は同件によりロシア 人選手の参加禁止を決めた。パリ五輪の大会5日目の各国のメダル獲得数をみると、日本が上位にきているのは結構なことだが、ロシアの名前がないのが何かもの足りない。ただ、10数人のロシア人選手がパリに入っている。ロシアの国旗が付いたユニフォームを身に着けることはできないが、「中立選手」という立場で競技には参加できる。

本来であれば政治とスポーツはベツモノとして判断し、ロシアも五輪に参加してほしかった。というのも、IOCが制裁としてロシアの不参加を強いても、それでロシアがウクライナでの戦争を止めるわけではないからだ。五輪不参加の制裁は、実質的な効力を持たず、名目的な意味合いだけでしかなかった。

人間の愚かさ

いきなり表題に「人間の愚かさ」と記したので、何のことかと思われるかもしれない。世界を見渡すと相変わらず無益な戦争が継続されており、「人殺し=戦争」の愚かさがあらためて浮き彫りになっている。

日本はいま、他国と軍事的な戦争をしている状況にないので、多くの人が殺害されるという現実を実感しにくい。ただ過去数日だけでも、ウクライナではロシアから数十発のミサイル攻撃を受けて30人以上が死亡しているし、パレスチナ自治区ガザではイスラエル軍の空爆により少なくとも16人が亡くなっている。

世の中は21世紀に入ってから四半世紀が経とうとしているが、いまだに戦争を止められずにいる。私が学生だった頃、「あと何十年かしたら、人間は戦争の悲惨さを知り、愚かな戦争を繰り返さなくなるかもしれない」と思ったものだが、いまのところそうした展開にはなっていない。

過去5000年の人類史をひも解いても、「戦争の歴史」と述べても過言ではないほど繰り返し戦争が行われてきた。いつかはなくなる日がくるのではないかとの希望的な観測もあるが、いまのところ絶えるようには思えない。それは人間が本当の意味で賢くなっていないからなのかもしれないし、人間が人間である以上、争いごとを止めることはできないからなのかもしれない。皆さまはどうお考えだろうか―。