生き続けるハングリー精神

3日、ドナ・ブラジルという女性をインタビューした。ブラジル、、、といってもアメリカ人である。

長年、アメリカ民主党の選挙戦略やクリントン政権のアドバイザーを務めてきた女性である。現在は民主党全国委員会の副委員長だ。

彼女についてのもっとも鮮烈な記憶は、2000年の大統領選挙でアル・ゴアの選挙対策本部のトップとして選挙を率いた時である。ゴアは総得票数で54万票以上もブッシュに差をつけたが、選挙人制度という前時代的なシステムのせいで敗れた。

最終的にはフロリダ州での票差が決定打となり、ブッシュに同州を獲得される。票差は537。ゴア、ブッシュ両者とも同州で290万票以上も獲得しながら、下3ケタの勝負で敗れたのだ。ゴアが大統領になっていたら、ブラジルはもちろんホワイトハウスで補佐官になっていたはずだ。 

            

憤怒ともいえる思いが彼女の心中にあったに違いない。選挙システムへの怒りもあっただろう。数百億円の資金と数年におよぶ選挙期間のあとだけに、そのくやしさは計り知れない。

日本の衆院選が解散から投票日まで40日だったことを告げると、

「いいわね、それくらいが」

と素直にいった。カネがかかりすぎ、長すぎる大統領選挙に多くの人はウンザリしている。インタビュー中、彼女はつぶやいた。

「私はこれまでの人生、ずっと管理する立場にいたの」

この言葉の裏には彼女の人生がある。インタビューでは触れなかったが、幼少時代、貧しい境遇にいたことで、自らが前向きに働きかけていくという姿勢を確立した。

以前、彼女が次のようなことを発言したのを覚えている。

― いつも何か新しいことをやりたいの。何かを動かしたいの。どうしてかといえば、怖いからなのよ。また貧乏な生活に戻るなんていうのは絶対に、絶対に、絶対にいやだから。だから生きるために何かを動かしていくの ―

日本ではほとんど聞かれなくなった「ハングリー精神」がアメリカにはまだ生きている。(敬称略)            

So long, Bush!

8年間は実に長かった。

本来であれば大統領になるべき人物ではなかっただろうが、ブッシュ家の長男ということで共和党保守からの期待は大きく、2000年の選挙戦では資金が集まった。そして大統領に「当選してしまった」という表現が適切と思えるほど、アメリカという大国のリーダーには不釣合いな男だった。

最初から無理があった。

テキサス州知事時代、カレン・ヒューズというブッシュの右腕といわれた広報担当官から直接、ある話を聞いた。90年代後半、ブッシュの名前が共和党の大統領候補リストのトップに挙げられたとき、ブッシュは「なんだって!」と驚嘆したという。本人にも予想外のことだった。

父親が大統領で、二代目も大統領になるという慣習はアメリカにはない。ブッシュも自分が大統領になるという鉄をも溶かすほどの強い願望はなかった。けれども、大きな州の知事になると、次期大統領選挙の候補に必然と名前があがってくる。ブッシュは本来そこでとどまっていればよかった。

しかし2000年選挙では総得票数でゴアに負けていながら、選挙人数で勝ったために43代目の大統領に就任する。ここからがつまづきの連続だった。

9.11の同時多発テロを未然に防ぐことは難しかっただろうが、アフガニスタンへの侵攻からイラク戦争へ突入していく過程で、ブッシュはいくつもの判断ミスを犯す。今だから言えることではない。イラクに大量破壊兵器があったとしても、それによってアメリカ本土が被害を受ける確率はたいへん低かった。

イスラエルへの憂慮はあったが、それだけでイラクという国を壊滅させてしまう国際法的正当性は誰も持ちあわせていない。石油利権という理由は説得力がない。アメリカの軍事力をもってすれば、途上国など3日で滅んでしまう。

あるパーティで知り合ったアフリカの駐米大使は「国を建て直すには10年の歳月が必要」と言った。バクダッドが陥落してから今春で6年目を迎える。

アフガニスタンでのテロとの戦いもいまだに決着がついていない。オサマ・ビンラディンがどこに潜伏しているのかもわからず、アメリカの諜報機関の情報収集能力の限界をみた。

中東和平も実現できなかった。パレスチナ人とイスラエルとの抗争は感情レベルでの憎しみが強いだけに多難を極める。しかし、エジプトとヨルダンはすでにイスラエルと和平を実現しており、不可能ではないと思っている。オバマが積極的に関与し、地域に恒久平和をもたらせたらノーベル平和賞だろう。

ブッシュの経済面での汚点は詳述するまでもないだろう。クリントンがパパブッシュの25兆円規模の財政赤字を20兆円超の財政黒字に転嫁させたにもかかわらず、息子がまた大赤字にして09年度末には100兆円レベルに達する見込みだ。

金融バブルの崩壊について、ブッシュは「経済チームのアドバイスに従っただけ」と言って逃げたが、最終責任を国のトップがとらなくて誰が責務を果たすのか。

ただブッシュはお茶目で、ジョーク好きの明るい男である。硬派な話をせず、世間話だけであれば皆「いいやつ」と評する。ビールにたとえれば、ハイネケンではなくミラーライトの親しみやすさなのだ。

ホワイトハウスにいるスタッフにしろ、国務省や財務省にいる高官はアメリカのエリートである。それだからといって国は好転しない。過去8年で、国家の指導者の資質とリーダーシップがいかに重要であるかを改めて教えられた。

ブッシュへの失望が大きかっただけにオバマへの期待は大きい。

「So long, Bush!」(敬称略)

アメリカの行く末

年末にいくつかのメディアから「 2009年がどういう年になるか」という取材を受けた。明るい話題を探そうとしても、出てくるのは暗い話ばかりになる。

アメリカ発の経済危機は世界中を蝕んでおり、すでに不況というカテゴリーに入って久しい。ただ恐慌になるかといえば、そこまで悪化はしないかと思う。恐慌という言葉の定義は経済学者の間でもわかれるが、1930年代の大恐慌では失業率が25%に達し、銀行がばたばたと倒産した。25%という数字だからこそ恐慌の前に「大」がつくのだが、昨年11月のアメリカの失業率は6.7%、日本の完全失業率は3.9%で、失業者が町中に溢れかえるほどではない。

しかし、サブプライムの影響によってアメリカの投資銀行は姿を消してしまった。ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーは銀行持ち株会社に変わり、メリルリンチはバンク・オブ・アメリカに買収された。そしてリーマンブラザーズとベアー・スターンズは破たんの憂き目にあった。別の経済指標である製造業景況指数も12月は32.4で、32年半ぶりの低水準である。

金融機関の崩壊は、金融商品があまりに複雑化したことで政府の規制が追いつけなかったことが一因である。金融工学が尖鋭化し、走れるところまで走ってしまったため、取り締まる側が追いついていけなかった。人間が生み出すほとんどの技術はまず、開発の結果が先行して世の中に現れる。それに対する規制や擁護は後手になる。金融商品しかり、ミサイル防衛しかりである。

4月にロンドンで開かれる金融サミットでは金融強化の連携が図られようが、今後は逆に、規制が強すぎることで良質な金融商品が誕生しにくくなる懸念がある。金融は社会にカネを循環させるという意味で重要で、カネが回りにくくなることも問題である。

そんな中、二つの「シルバーライニング(希望の光)」があると、あるメディアには答えた。ひとつは株への投資である。

「これほど不安定で株価が低迷している時に株を買うんですか?」

まっとうな疑問である。11月中旬にウォールストリートも兜町も3番底を打ち、相変わらず株価は低迷している。だが、株価の安い時期だからこその「買い」である。専門家は皆わかっていることだが、なかなか手がでない。すでに株で損をした人が多いからだ。

ジョージ・ソロスと共に「クァンタム・ファンド」を立ちあげて荒稼ぎしたビル・ロジャーズに以前インタビューした時、彼はこう強調した。

「株価の低い時にこそ買う。株価がさらに低くなったらもっと買う。歴史的にみて、株価が急落した翌年は平均15%以上のリターンがある」

だが、具体的にどの企業に投資すべきかについては言わなかった。それは個々人に課せられた宿題である。

もうひとつの希望の光は言うまでもなくオバマ政権の誕生である。「ホープ」と「チェンジ」を掲げて当選した大統領だけに、そのポジティブな波及効果は全米、いや全世界に広がるに違いない。特に化石燃料に代わるグリーンエネルギーの開発に対する動きが、30年代のニューディール政策、60年代のアポロ計画、90年代のIT革命に匹敵するくらいにまで高まれば、かなりの期待はできる。

 しかし、しばらくは日米のどこを向いても企業業績は上向かないし、内需不振と失業率の上昇というマイナス面が顔をのぞかせている。

さらに、私が最も危惧する危機はオバマの暗殺である。

「確率は50%くらいはあると思います」。

ある雑誌に答えた。いつ「オバマ暗殺」というニュースが飛び込んできても、私は驚かない。暗殺そのもののインパクトも大きいが、希望を携えて当選した政治家だけに、精神的ショックは大きい。

近年で最悪の年と、後年呼ばれないように祈るだけである。(敬称略)

GMの終焉

アメリカ政府がビッグ3を救済するかしないかの議論が続いている。

フォードは自力回復できる可能性があるが、GMとクライスラーはすでに倒産したと思ってさしつかえない経営状況である。私が2年半前、デトロイトで取材した時点で、すでに現地の評論家は「GMはいつ破産法第11章を申請してもおかしくない」とはっきりと言った。その時の原稿には、「2008年末までにGMは破綻する」と書いた。いままさにその時期がきている。

連邦上院は11日、ビッグ3救済法案を廃案にした。死に向かいつつある特定企業に多額の税金を割くべきではないという考えだ。妥当である。ところが、ホワイトハウスは何らかの救済措置を取るかもしれないという。私はGMの延命措置は無駄だろうと考えている。1兆円や2兆円くらいのカネの注入であの企業は改革できない。

モルヒネを何本か打つだけで、病魔は消えない。経営陣は10年以上前に抜本的な改革をすべきだったのだが、手をこまねいていただけだった。90年代半ばであれば救えただろう。だが、過去10年で彼らがやってきたのは工場閉鎖とレイオフを繰り返し、体重を落とすことくらいだった。内側からの本質的な改革には手をつけなかった。

全米自動車労組(UAW)との長年の契約で、「レガシー・コスト」と呼ばれる退職者の年金に多額の カネを割かざるを得ないという状況はよく理解している。だがGM内部の人間に話をきくと、「凍結した中間管理職」という言葉に代表されるように、あまりにも肥大化した官僚的組織の中で中間層が動かないという内部批判もある。さらに古い製造ラインがあまりにも多く、簡単に斬新なデザインの新車種に切り替えてゆけない。

GMの倒産による経済的打撃は大きいし、メディアはアメリカ製造業の終焉とさえ書くだろう。だが、破産法第11章の申請は、ある意味で本当のGMの改革の出発点となると考える。

まず経営陣をすべて一掃できる。現在のCEOワゴナーはGMの生え抜きである。GMの手あかのついた人間にはすべてお引き取り願って、外から人をいれる。そしてGMを車種ブランドごとに切り売りしたり、再建させる。日本でGM車を乗っている方は少数派だが、アメリカには根強いファンがいないことはない。

 「キャディラック」「ブュイック」「シボレー」「ポンティアック」「オールズモービル」といった車種ブランドの名前を聞けば、「ああ」と思われる方も多いと思う。大型車である「ハマー」もGMである。採算のとれそうなブランドだけを残し、あとは閉鎖である。長期的な改革計画を練って良質の車を製造してゆけば、復興は十分にあるだろうと考えるが、莫大な設備投資をしても構わないという買い手がどれだけいるか。

私は一刻も早く破産法第11章を申請すべきだと思っている。(敬称略)

ニューヨークの裁きの現場

取材でニューヨークにきている。普段あまり足を向けないアメリカの裁判所での取材である。内容は後日雑誌に掲載されるので、このブログでは雑誌には書けない「おもわずクスッ」という話をつづろうと思う。

マンハッタンのダウンタウンにある地方裁判所に朝から入った。前日に電話をすると「午前9時半から開廷するから、それ以後であればいつ来ても結構です」という。

裁判所の受付で持ち物の検査をする。カメラと録音機器は法廷内に持ち込めないので受付にあずけ、1階の一番奥の法廷にはいった。広報課の係官から「あの法廷が面白い」と勧められたからである。

その法廷では前日に軽犯罪を犯した容疑者が裁かれていた。傍聴席からみて正面左のドアから容疑者たちが5人くらいずつ入ってくる。

手錠をかけられている者はいないが、多くの容疑者の顔には一晩拘置所で過ごした疲れがでている。その中に身長160センチほどのダークヘアの男がいた。傍聴席からでも髭が濃いのがわかる。顔の下半分は黒ごまがまぶされたかのようだ。

その男は法廷内に入る時、ピョンピョンと飛び跳ねていた。歩幅が狭いのである。さらに両手が下腹部にある。最初は足かせと手錠をかけられているのかと思った。が、違った。

まず、スニーカーが大きいのだ。かかと部分は5センチほどの隙間があいている。さらに下半身は裸で、ブルーシートが巻きつけられていた。 

前日ニューヨーク市警に拘束された時、(たぶん)靴を失い、下半身はむき出しになっていたのだ。そのままでは入廷できないので、当局が靴とブルーシートを与えたと思われる。

名前を呼ばれて判事の前にくる時、縛り上げるようにしてビニールシートをもち、ピョンピョンとコミカルな動きをみせる。国選弁護士が横にたって判事の方を向いた男は判事の質問に答えている。その声はみょうに甲高く、元気な小学1年生のような受け答えである。

やり取りの内容は傍聴席まで聴こえなかったので、どういった罪で拘束されたかはわからない。泥酔して下半身をむき出しにして捕まったのかもしれない。

軽犯罪なので、容疑者の中にはその場で釈放されて傍聴席から退廷する者もいる。「ピョンピョン」も2分ほど判事とやりとりをした後、うしろから出ていった。

私はそれからしばらく傍聴席にいて、一人の検察官と話をしたあと退廷した。裁判所の外にでると、なんと「ピョンピョン」が歩道を歩いている。ビニールシートとスニーカーはつけておらず、下半身が涼しげだ。

うしろから見ると、シャツがぎりぎり局部を覆っており、超ミニのスカートを着ているようだ。その時である。前から歩いてきた警察官に「ピョンピョン」が甲高い声で言った。

「Have a good one, sir(ごきげんよう)」

おもわずクスッ、である。