「中国封じ」のTPPが「米国封じ」に変質し始めた

「中国がアジア太平洋地域で主導権を握るのを、ジョー・バイデン大統領は黙って見ていてはいけない」

「だからバイデン政権はCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的かつ進歩的な協定=Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership)に再び加盟して、リーダー的役割を担わなくてはいけない」

米首都ワシントンのシンクタンク研究員は筆者にはっきりした口調で、米国のCPTPPへの加盟の必要性を述べた。

再び議論が活発化してきたTPP(環太平洋パートナーシップ)問題。冒頭の発言内容を少し補足させていただくところから当稿を始めたい(続きは・・・「中国封じ」のTPPが「米国封じ」に変質し始めた)。

ガッツリ系の町中華

今日のランチは有楽町駅から徒歩1分のところにある町中華「宝龍」の五目焼きそば。濃いめの味付けで、からしが添えられているところに昭和感がでている。

ある日の思い出

今朝、突然にして小学校5年時のある光景が脳裏に蘇ってきた。全校生徒が校庭に集まった朝礼の時間で、皆は整列して校長先生の話を聴いている。

私は眠気が残っていたため、校長先生の話をほとんど聴かずにただボーッと立っていた。その時、校長先生が私の名前を呼んだのだ。私はなぜ自分の名前が呼ばれたのか理解できず、キョトンとしていた。すると、担任の先生が私のところまでやってきて「堀田君、すぐに前へ出なさい」といって、全校生徒の前にでるように促した。

皆の前で説教されるのかと思い、肩をすぼませながら校長先生の前に歩を進めた。すると、校長先生は「表彰状、、、」と言って賞状を読み始めたのだ。私は合点がいかなかったが、明らかに何らかの賞状を受け取る流れだった。すぐに、授業で読書感想文を書く時間があり、担任の先生が私の感想文をコンクールに送ってくれ、それが賞を獲ったことがわかった。

それまで賞状など貰ったことがなかったので、想定外のことだった。その日のうちに、担任の先生が「堀田君が書いた図鑑の感想文が面白かったのでコンクールに送りました」と聞かされた。

私は大学時代、同人誌に文章を書いていたし、大学院を卒業してからは仕事で記事を書くようになった。1990年にフリーランスのジャーナリストとして独立して今にいたるが、物書きの原風景は小学5年時のあの読書感想文なのだろうと思う。いろいろな思いを辿っていくと、いまから50年前のあの図鑑の感想文に辿りつける気がしている。

眼に見えないクサリ

新型コロナウイルスが世界中に蔓延しはじめて、すでに1年半以上がたつ。いまだに収束する気配はないし、多くの人の心には眼に見えないクサリが巻きついたまま、何らかの制約を受けているかに思える。私も例外ではない。

コロナ前のような「100%の全開」というのものが、精神的にも肉体的にも与えられていないような、捉えようのない縛りがある気がしている。それはコロナが人間を変えたというより、個人が自分たちの考えと行動を矮小化させたことの結果なのかもしれない。

もちろん誰もが感染したくないと思っているので、他者との外食を控え、大勢で集まることも控え、手洗いや消毒に気をくばっている。こうした動きは多くの方にとってはすでに「日常」になっているだろうが、ブレークスルー感染とは逆の意味での「日常」をブレークスルーして、以前のような何の拘束もない生活を実践したいという欲望がないことはない。

ただそうした欲求が強くなっても、マスクを外して人ごみに入り込み、酒場を何軒もハシゴするわけではない。ある意味で冒険ができなくなっている自分がいることに気づくし、そうした自己制御が少しずつ心を小さくしているようにも感じる。コロナウイルスへの危機感もあるが、中長期的にはこうした心の矮小化の方が根が深いようにも思う。