眼に見えないクサリ

新型コロナウイルスが世界中に蔓延しはじめて、すでに1年半以上がたつ。いまだに収束する気配はないし、多くの人の心には眼に見えないクサリが巻きついたまま、何らかの制約を受けているかに思える。私も例外ではない。

コロナ前のような「100%の全開」というのものが、精神的にも肉体的にも与えられていないような、捉えようのない縛りがある気がしている。それはコロナが人間を変えたというより、個人が自分たちの考えと行動を矮小化させたことの結果なのかもしれない。

もちろん誰もが感染したくないと思っているので、他者との外食を控え、大勢で集まることも控え、手洗いや消毒に気をくばっている。こうした動きは多くの方にとってはすでに「日常」になっているだろうが、ブレークスルー感染とは逆の意味での「日常」をブレークスルーして、以前のような何の拘束もない生活を実践したいという欲望がないことはない。

ただそうした欲求が強くなっても、マスクを外して人ごみに入り込み、酒場を何軒もハシゴするわけではない。ある意味で冒険ができなくなっている自分がいることに気づくし、そうした自己制御が少しずつ心を小さくしているようにも感じる。コロナウイルスへの危機感もあるが、中長期的にはこうした心の矮小化の方が根が深いようにも思う。