バイデン勝利の信憑性は:2020年大統領選(44)

米大統領選挙の投開票日(11月3日)までおよそ1カ月となった。選挙関連の報道が増える中で、いくつもの世論調査を実施する団体が独自の数字を発表している。ここでは8団体(9月27日時点)の予測を取り上げて、選挙を考察してみたい。

最初に結論を述べると、2020年の大統領選の勝者としてジョー・バイデン候補(77)を挙げたのは8団体中7つだった。まず現職ドナルド・トランプ大統領(74)の再選を示唆している団体から話を始めたい。

米ニューズウィーク誌は9月26日付の記事の見出しにこう打っている。

「2016年選挙と同じように、トランプ氏は一般投票では負けるかもしれないが、選挙人では勝つ」

大統領選は総得票数ではなく、全米に割り振られた選挙人の合計で競う。選挙人は計538人で、過半数の270人を獲得した候補が次期大統領となる。ヒラリー・クリントン氏(72)が味わった悔恨をバイデン氏も経験するかもしれないというのだ(続きは・・・米大統領選徹底予測:バイデン勝利の信憑性は)。

Media appearance

明日の放送メディア出演予定:

・9月28日(月)9:00am 文化放送AMラジオ(出演は11:30am過ぎ)『くにまるジャパン 極 

いまニューヨークでは国連総会が開かれていて、先週、トランプ大統領が7分間の演説を行いました。中国を仮想敵国のように扱ったことで、習近平国家主席は反発。両国のいがみ合いがこれからも続きそうです。このあたりのことをお話しする予定です。

「Go To Travel」はトホホな英語

「旅行に行く」という日常的に使われる言葉をそのまま英語にした「Go To Travel」という言い回しは、残念ながらトホホな英語である。英米人が耳にすると「?」ということになる。

「Go To Travel」は観光庁が力を入れているキャンペーンであることはよくわかるし、意味もわかる。

しかし、日常的な英語表現に直すと「go on a trip」というべきで、「go to travel」どころか「 go on a travel」とも言わない。これはあまりにも決まりきった言い回しなので、英米人であれば間違う人はいない。

少し説明させていただくと、travelという単語は漠然とした「旅」という意味で、特定の「2泊3日の熱海温泉旅行」という時にはtripか journeyを使う。だからtravelという単語を使いたければ、「you can travel」というべきである。逆に「you can trip」とは言わない。

これは生活の中に入った表現なので、英米人であれば感覚的にわかっている。日本では単語そのものが日本語になってしまっているので、英語に置き換えるとおかしなことになる。ただ意味はわかるので、いま英米メディアでは「Japan’s Go To Travel Campaign」とカッコつきで使われている。

期日前投票:2020年大統領選(43)

11月3日の投票日が迫ってきている。州によっては期日前投票が始まっているところもあり、トランプ対バイデンの決戦はすでに開始されているといえる。

私は「イチオウ」大統領選をライフワークと言っているので、複数のメディアから出演依頼やコメントを求められているが、今年ばかりは混迷の度合いが深いので、これまでのように簡単に勝者予想を口にできない。

4年前、予想を外して坊主になったので、多くの人は冗談半分で「今年も外したら坊主になってください」と言うが、芸人であれば得点になるかもしれないが、ジャーナリストとしてはマイナス面の方が大きいので2度目の約束はしない。

2007年に帰国するまで住んでいたバージニア州では、投票日の45日前から期日前投票が始まっている。前回の2016年選挙よりもはるかに多くの有権者がすでに投票所に足を運んでいるのと同時に、郵便投票をする有権者も多い。これはコロナの影響からで、11月3日に密集した投票所に行くよりは、期日前のすいた日時を選んだ方が感染リスクが低くなるとの判断だ。

バージニア州の投票用紙(サンプル)
左下にトランプ、バイデンの名前が見える。またほとんど報道されていないリバタリアン党の候補ジョー・ジェンセンの名前もある。

バージニア州はかつて、南部州として共和党が奪っていたが、同州北部はいまや民主党支持者が多く住む地域となっており、トランプが今年同州で勝つことは難しい状況だ。バージニア州のスーザン・スウェッカー民主党委員長は書面でこう述べている。

「すでに何万という単位の人たちが期日前投票にきてくれていて、記録的な数字です。その勢いの中心になっているのが民主党支持者なのです。有権者はトランプに辟易していますし、政権のコロナ対策は失敗していると考えています」

トランプは自分が不利なものに難くせをつけることがあるので、郵便投票を「詐欺」と発言。11月3日にトランプ敗北の結果がでたとしても素直には認めず、駄々をこねくり回してすぐに負けを認めないかもしれない。(敬称略)

フェリックス・ヴァロットン

丸の内にある三菱一号館美術館で開催していた『画家が見たこども展』が今日で終わる。私は少し前に足を運んで、ポスト印象派にあたるナビ派の作品を観てきた。

その中でもヴァロットンの作品が以前から好きで、誰しもが抱える心の奥底の闇を絶妙なタッチで表現できる力に魅了されてきた。

この作品は「女の子たち」というタイトルで、1893年に創られた木版画である。今回、写真撮影が許された作品の一つである。描かれた女子たちの表情が絶妙で、決して素直な目をしていないところが興味深い。

実は三菱一号館美術館は2013年にも『近代への眼差し:印象派と世紀末美術』という展覧会を開き、ナビ派の作品を展示している。その時の自分の感想を読み返すと、いまとほとんど同じことを感じているので少し抜粋したい。

《多彩な色と光を駆使した印象派とは対照的に、ヴァロットンやルドンの作品には人生の暗部をモノクロで表現した悲哀があり、同じ時期のフランスに、ここまで真逆の心模様を表現しようとした画家たちがいたのかと思い知らされるのである。

ルノアールの肉感的な裸婦画を観たあとにルドンの石版画を眺めると、陽光の差すセーヌ川の水遊びのあとに、陰鬱な自室にもどって現実の生活に対面するような落差を感じざるをえない。いつの時代にも陰と陽があるように、印象派の絵画で溢れかえっていると思っていたフランスの19世紀後半にも、物憂げな思索を表現したアーティストがいたのである。

ヴァロットンの木版画は秀逸である。日本のアニメの源泉に触れるような気がした。》