Media appearance

明日の放送メディア出演予定:

・5月11日(月)9:00am 文化放送 AMラジオ(出演は11:30am頃から)『くにまるジャパン 極 

新型コロナウイルスの発生源について、トランプ大統領は武漢のウイルス研究所だと主張していますが、いまだに証拠はでてきていません。米中政府は新たな対立軸をつくって対立しています。明日はそこを切り口に、新たに創設された米宇宙軍の話もする予定です。

愛あればこそ

Photo from BHR Instagram

イギリス、ロンドン郊外にあるBHR病院の屋外。

2人の病院スタッフが集中治療室にいる新型コロナウイルスの患者さんを外に連れだした。患者さんが「陽の光を浴びたい」と懇願したかどうかはわからない。

ただ、少しでもお日さまの下で過ごしてもらおうという、スタッフの愛が伝わる写真である。

安倍首相に課された適応力:新型コロナ(16)

4日夜、安倍首相が記者会見を行い、緊急事態宣言を5月末まで延長すると発表した。延期は多くの方が想定していたとおりで、いま自粛を解いたら感染者が増えるだろうことは誰もが思い描ける近未来だった。

ただ、飲食業を含む中小の事業所にとって、これ以上の自粛=休業は倒産・撤退に追い込まれることをも意味している。政府や民間の補助金・助成金がどこまで救済してくれるかはケースバイケースであり、コロナが引き起こしたもう一つの大きな問題がここにある。

またコロナは日本を含めた世界中の国々に、適応力という課題を与えた。国家が、そして個人がどれだけ新しい状況に適応していけるのか。昨日、安倍氏と専門家会議のメンバーは個別に会見をひらいた。特に専門家会議は日本のPCR検査数の少なさを自省しながら、6つの理由を挙げて言い訳をした。

今年1月、武漢でのコロナ蔓延のニュースが流れた頃から、日本でも感染が広がることは十分に予測できたはずだ。2月にはダイヤモンド・プリンセス号の乗船客のコロナ感染が問題になった。この時点で、政府は民間企業に大量のPRC検査を依頼できたはずだが動かなかった。

安倍氏は4月になって1日2万件という数字をだしたが、今もって実現できていない。国立感染症研究所が検査体制を整備できるまで待つとしたが、5月になってもその数字には届いていない。安倍氏の適応力のなさ、つまり政治力のなさを証明したともいえる。専門家会議のメンバーは研究者であり医師なので、政治力を期待できるわけがない。

日本のPRC検査総数はここまで約18万でしかない。WHO(世界保健機関)、CDC(米疾病予防管理センター)、ECDC(欧州疾病予防管理センター)の情報をもとに世界各国の検査数を眺めると、日本の18万に対し、アメリカは世界で最も多い720万超に達している。アメリカの感染者・死亡者の人数を考えるとまったく褒められないが、検査をするという体制はすぐに構築して適応力の高さをみせた。

続いてロシアが約410万件、ドイツ約254万、イタリア約215万、スペイン約247万、さらにイギリスの約120万と、ヨーロッパ諸国が100万件以上の検査を実施している。どの国も感染者総数は10万人を超えている。

日本でも受託検査事業をおこなう大手企業があり、その気になれば1日10万件以上は十分に可能だという。日本のコロナ致死率が低いことは間違いないが、検査の絶対数を増やすことで、より多くの国民に検査を受けてもらえる。それは何よりも、いち早く感染者を特定できるメリットがある。

いまからでも遅くない。安倍氏には本当の政治力を発揮してもらいたい。

『美しい星』

三島由紀夫の小説に『美しい星』という作品がある。3年前に映画化されてもいる。

コロナの影響で家に籠っているので、久しぶりに本棚を眺めていた。私は学生時代、三島が好きでたくさん読み、いまでも文庫本が何冊も並んでいる。その中でどういうわけか『美しい星』が目にとまった。ストーリーがすぐに思い出せなかったからだ。

手にとって、仕事机にすわって読み始める。すぐに三島らしい文章の流れと語彙のチョイスに心の奥底をくすぐられた。学生時代、目に見えない闇を言葉の力で明快にしてくれる三島に魅了された。いまでも大切な作家という位置づけである。

『美しい星』は主人公の4人家族がそれぞれ違う天体からやってきた宇宙人という設定で、時代は三島が生きた1960年代だ。ケネディやフルシチョフという実在の政治家が登場するが、三島は2人を茶化したり揶揄したりはしない。むしろ小説という文学形態を使って問いかけるのだ。

「・・・二人は肩を組んで外へ出て行って、朝日を浴びて待っている新聞記者に、こう告げるべきなのだ。『われわれ人類は生きのびようということに意見が一致した』と。放鳩も軍楽隊も何もいりはしない。・・・地球がその時から美しい星になったことを、宇宙全体が認めるだろう。」

この小説の命題はこれである。60年代初頭、米ソは核兵器競争に突き進んでおり、両国が衝突したら核戦争になるかもしれないことを三島は真に憂慮していた。そして主人公の宇宙人をつかって言わせたわけだ。そして「われわれの力で、一刻も早く、彼らに手を握らせてやろうじゃないか」と書く。

ここには人間の愚かさや無謀さ、稚拙さ、融通のなさ、時に錯乱や猥雑さがみてとれる。同時に、時代が変わっても人間は変わらないことを痛感するのだ。「時代は繰り返す」というが、本質的にいまも大きな違いはない。コロナしかり、である。