『美しい星』

三島由紀夫の小説に『美しい星』という作品がある。3年前に映画化されてもいる。

コロナの影響で家に籠っているので、久しぶりに本棚を眺めていた。私は学生時代、三島が好きでたくさん読み、いまでも文庫本が何冊も並んでいる。その中でどういうわけか『美しい星』が目にとまった。ストーリーがすぐに思い出せなかったからだ。

手にとって、仕事机にすわって読み始める。すぐに三島らしい文章の流れと語彙のチョイスに心の奥底をくすぐられた。学生時代、目に見えない闇を言葉の力で明快にしてくれる三島に魅了された。いまでも大切な作家という位置づけである。

『美しい星』は主人公の4人家族がそれぞれ違う天体からやってきた宇宙人という設定で、時代は三島が生きた1960年代だ。ケネディやフルシチョフという実在の政治家が登場するが、三島は2人を茶化したり揶揄したりはしない。むしろ小説という文学形態を使って問いかけるのだ。

「・・・二人は肩を組んで外へ出て行って、朝日を浴びて待っている新聞記者に、こう告げるべきなのだ。『われわれ人類は生きのびようということに意見が一致した』と。放鳩も軍楽隊も何もいりはしない。・・・地球がその時から美しい星になったことを、宇宙全体が認めるだろう。」

この小説の命題はこれである。60年代初頭、米ソは核兵器競争に突き進んでおり、両国が衝突したら核戦争になるかもしれないことを三島は真に憂慮していた。そして主人公の宇宙人をつかって言わせたわけだ。そして「われわれの力で、一刻も早く、彼らに手を握らせてやろうじゃないか」と書く。

ここには人間の愚かさや無謀さ、稚拙さ、融通のなさ、時に錯乱や猥雑さがみてとれる。同時に、時代が変わっても人間は変わらないことを痛感するのだ。「時代は繰り返す」というが、本質的にいまも大きな違いはない。コロナしかり、である。