あけましておめでとうございます

千代田区の神田明神。
1月2日午前10時半。

今から30年前、私はフリーランスのジャーナリストとして独立した。独立したといっても、それまで勤めていた会社を辞めたと述べた方が適切な表現かもしれない。辞めたあと、本当に生活できるかどうかは不確かなままだったからだ。

当時の日記を読みかえすと、「本当にやっていけるのだろうか。うまく仕事が回っていくのだろうか」といった憂慮が書き記されている。給料が定期的に入らない不安は絶えずついてまわった。こういうことも書いている。

「(辞めるまで勤めていた米企業の)オフィスの環境は悪くないが、創造的な仕事ではないし、マネージメントという業務に身をやつさなければならない苦痛はどうしようもない。一刻も一刻も早く辞めたい」

当時はジャーナリストになりたいという気持ちよりも、「会社を辞めたい」という気持ちの方が勝っていたのである。これまで私は「ジャーナリストになるために会社を辞めた」と言い続けてきた。しかし日記を読み返すと、会社を辞めることの方が最初だったことを確認できた。自分の記憶を美化してしまっていたのだ。

ただ辞めた時から精神的な開放が訪れた。まだ首都ワシントンにいた時のことで、申し訳ないがこんな荘厳なことを書いている。

「この快適にして壮快な生活はいったいどうしたことだろう。あとは貧しくてもこの世に捧げられる、市民のための仕事をすべきであろうと思う」

これは日記の中で自分自身に投げかけた言葉である。けれども私が市民のために過去30年、仕事をしてきたわけではないことは明らかで、理想は理想として日記の中だけに留まったままだ。

ただ30年間、ジャーナリストとして生きてこられたことは幸せなことだったかと思う。今後、「この世に捧げられる」といえるだけの仕事ができるかどうかが課題かもしれない。