何をもって勝利と呼ぶのか

どうやらアメリカとイランは最悪の事態を回避したようだ。回避したというより、両国ともに「戦争」という領域に足を踏み入れることに躊躇したと言った方が正確かもしれない。

トランプはイラン司令官ソレイマニの殺害命令を下す前、補佐官たちから十分に事後の影響や法的正当性を聞かされていた。これは国務長官ポンペオが国務省担当の米記者に語ったもので、トランプが衝動的に決めた政治判断ではなかった。

だが議会の承認をとりつけたわけではない。2003年、ブッシュ政権がイラク侵攻を決めた時、連邦議会上下両院は過半数の賛成票で出撃に許可をだした。だがトランプは政権内の限られた人間だけが知る状況下でドローンの出撃命令をくだしている。

トランプにしてみれば目的が達成されて、勝利したとの思いを抱くだろうが、ソレイマニも一人の人間である。自身の知らないところからミサイルが飛来して、法的に裁かれたわけでもない状況下で突然に命を奪われたのだ。

ソレイマニはブッシュ政権時代からアメリカ政府が目をつけていた要注意人物だったが、問答無用で人間を抹殺する正当性は誰も持ち合わせていないはずだ。トランプは8日の声明文の中で、「私の命令の下、米軍は世界のトップ・テロリストであるガセム・ソレイマニを抹殺した」と誇ったが、百歩譲って、過去に何人もの人間を殺害してきたテロリストであっても前時代的な手法で人を殺すことの合法性は、わたしには見いだせない。

両国の全面戦争に至らないことはよかったが、カーボーイ気取りのトランプの悪行にはどうしても納得がいかない。(敬称略)