宰相の資格

誰もがおかしいと思っていることが直せない。

安倍が首相の座を投げ出した1年後、今度は福田がタオルを投げた。アメリカ大統領も「ヤーメタ」 といって辞任できるが、政治的苦境に立たされて辞める習慣はない。

日本の首相がコロコロと代わるのは今に始まったことではないが、あまりに代わり過ぎる。国民だけでなく、福田政権にいた大臣でさえも驚く。これが日本の政治文化と言い切ってしまってはいけない体たらくである。

高校の仲良しサークルのトップが辞めるのなら話はわかるが、先進国のトップである。国民の誰もがおかしいと思っていても、自民党内には自浄作用がない。修正がきかない。党内の若手議員の中にはこの異様さを理解している人もいるが、本質的なところでは同質であり同罪である。

はじめから福田では無理があったことは、みな知っている。1年前、福田は自分が首相などやる気がなかったが周囲から勧められたために頷いたという。自分から手を挙げた人ではない。そんな彼を選択した自民党議員もなさけない。1億2000万強の人口がいるので、国のトップに相応しい人は何人もいるはずだが、与党内の、しかも政治的駆け引きに勝った者という限定枠のプレミアムがつく数人しか候補になれいのは普通ではない。

「それでも軍事クーデターで専制的な新首相が登場するよりはいい。50年以上も政治的安定を維持した国はほとんどない」

4日、外国特派員協会でランチを共にしたドイツ人記者がつぶやいた。

「短期間を除いてずっと自民党が政権を握っているというのは、ある意味では北朝鮮に似ているな。そろそろ民主党が政権党に熟成してきてもいい」

そうも言った。

ランチの直前、アメリカ共和党大会で副大統領候補になったサラ・ペイリンの演説をテレビで観た。公私にわたって人物を試しに試すシステムである大統領選挙と、日本の首相選出は対極に位置する。

もちろんアメリカがすべていいわけではない。大統領選挙は期間が長すぎるし、カネをかけすぎる。党大会は尋常な盛り上がり方ではない。スイス人記者が口を挟んできた。

「アメリカの党大会はマーケティング戦略の勝利といえる。あれだけカネをかけ、代議員たちにプラカードをもたせてヤンヤヤンヤやれば、『普通の人(サラ・ペイリン)』を副大統領に担ぎ上げられる。はっきりいえば誰でもいいんだよ」

『政治はマツリゴト』とはよく言ったものである。(敬称略)

a vacation?!

テレビのスイッチを入れると、Uターンラッシュのニュースが流れていた。

今年は昨年より海外に出た人が減って、近場で休みを過ごした人が増えたという。五輪開催中でもあり、自宅で試合観戦を楽しむことにした方もいただろう。

そんな時、アメリカの友人が東京にやってきた。カップルで太平洋を越えてきて、3週間ほど日本で過ごしている。彼らは別に年収数千万円を稼ぐ富裕層ではない。アメリカでは普通の勤め人である。けれども、夏休みに3週間もあてている。

日本でも3週間の夏休みを楽しむ人がいないわけではないが、かなりの少数派である。会社や役所勤めをしている人では珍しい。「3週間はとれない」のが普通である。 ドイツ人やフランス人であれば1カ月でも少ない。

休みに対する価値観が国によって違うことはよく知られることだが、日本人が休みをたくさん必要としていないのかといえばそんなことはない。知り合いに「1カ月くらい休みをとりたいでしょう?」と投げると、「そりゃ休みたいけど先立つものがいるし、勤め先を1カ月も休んでいられない」という。

けれども2つのハードルをクリアすれば、日本人だって多くの人は1カ月の休みをとりたいのだ。別に日本人だけが、世界でも稀なくらいにストイックな国民というわけでもない。休みもとらずに額に汗しながら働くことが美しいとされる美意識が内在することは確かだろうが、21世紀になってどこまでその姿勢が尊ばれるかは疑わしい。

日本人はまた、海外旅行に行ってもそれをあまり吹聴しない。海外に行ったことを周囲にまったく言わない人さえいる。聴く人が嫉妬心を抱くからなのか、行かなかった人の心中を察してのことなのか、 まるで楽しいことはそっと自分の胸にしまっておくキマリがあるかのごとくである。

それだからか、海外のビーチにでても、本当に楽しんでいるように見えないのはどうしたことだろう。感情の発露がないようにも見える。それでいいというなら私はもう何も言わないが、組織が社員や職員に休みをとらせる体制づくりを本気でしていない証拠だろうと思う。

人手が足りないから3日間休みをとるのがせいぜい、というのは休みをとるシステムを本気で構築してないだけである。3人しかいない組織で、普段はてんてこ舞いだが職員にはしっかりと交代で2週間の休みをとらせるところを知っている。

もう少しのんびりと、長い休みをとる習慣が確立されるといいと思うのは私だけではないはずだ。

しもべとしての副大統領

アメリカ大統領選挙は予備選が終わって2カ月がたとうとしているが、いまだにオバマとマケインは副大統領候補を指名していない。 

期日が決められているわけではないので、党大会(民主党は8月25日~28日、共和党は9月1日~4日)までに指名すればいいのだが、両候補とも絞り込みに時間をかけている。

民主党の副大統領候補の中で、いまアメリカのメディアが最も注目しているのがバージニア州知事のティム・ケインだ。私はヒラリー・クリントンが指名される可能性もいまだに残っていると思っているが、オバマとヒラリーの関係者からは「ありそうもない」という報道が伝わってくる。

東京にいる歯がゆさは、そのあたりの事情を自分で取材できないところだ。電話でアメリカの党関係者やシンクタンクの研究者とよく話をするが、ジューシーな情報はなかなか入らない。私の力のなさの表れだ。

注目株として「赤丸」がつけられているケインは、オバマと同じハーバード大学ロースクール(法科大学院)を卒業した逸材で、長い間バージニア州リッチモンドで弁護士をしていた。2001年に同州副知事になり、05年から州知事を勤めている。現在50歳。

私は昨年帰国するまで20年ほどバージニア州に住んでいたので、ケインが副知事の時から名前は聞いていた。ただ、彼が副知事時代の知事であるマーク・ワーナーがあまりにも優秀だったことで、ケインに陽があたらなかった印象が強い。

ワーナーはジョン・F・ケネディを彷彿とさせ、大統領候補と騒がれた時期もあったが、ケインは失礼な言い方をすれば「建設現場の親方」のような姿態で、副大統領候補として名前が取りざたされることすら想像していなかった。

バージニア州は南部に入るのでもともと共和党の票田だが、今年の選挙では民主党が奪う可能性もある。そこでオバマは社会政策で共通項が多く、同州をものにできる可能性が高くなるという意味からもケインを選ぶと囁かれている。

その他にはインディアナ州上院議員でさわやかさがウリのエバン・バイ(52)、カンザス州知事のキャサリーン・セベリウス(60)、デラウェア州上院議員でワシントンの重鎮ジョー・バイデン(65)などの名前が挙がっている。

副大統領は大統領に不測の事態がおきた時に大統領に昇格する重要なポジションだが、その職務は驚くほど平坦で地味だ。上院での法案議決が50対50で割れた時に一票を投じて法案の運命を決めることが唯一の必須職務といえるくらいで、あとは最近のチェイニーのように表舞台に何カ月も登場しなくとも誰からも文句をいわれない。

有権者が11月の選挙で選ぶのは副大統領ではなく、あくまで大統領なのである。つまりオバマかマケインの二者択一の選挙であって、副大統領候補は「しもべ」でしかない。

なにしろ1933年から41年までフランクリン・D・ルーズベルトの副大統領だったジョン・ガーナーは「副大統領というのは水差し一杯のオシッコにも値しない」という言葉を残したほどだ。光の当たらない副大統領に辟易していたガーナーの悲哀が現れた表現である。(敬称略)

ニューヨークの裁きの現場

取材でニューヨークにきている。普段あまり足を向けないアメリカの裁判所での取材である。内容は後日雑誌に掲載されるので、このブログでは雑誌には書けない「おもわずクスッ」という話をつづろうと思う。

マンハッタンのダウンタウンにある地方裁判所に朝から入った。前日に電話をすると「午前9時半から開廷するから、それ以後であればいつ来ても結構です」という。

裁判所の受付で持ち物の検査をする。カメラと録音機器は法廷内に持ち込めないので受付にあずけ、1階の一番奥の法廷にはいった。広報課の係官から「あの法廷が面白い」と勧められたからである。

その法廷では前日に軽犯罪を犯した容疑者が裁かれていた。傍聴席からみて正面左のドアから容疑者たちが5人くらいずつ入ってくる。

手錠をかけられている者はいないが、多くの容疑者の顔には一晩拘置所で過ごした疲れがでている。その中に身長160センチほどのダークヘアの男がいた。傍聴席からでも髭が濃いのがわかる。顔の下半分は黒ごまがまぶされたかのようだ。

その男は法廷内に入る時、ピョンピョンと飛び跳ねていた。歩幅が狭いのである。さらに両手が下腹部にある。最初は足かせと手錠をかけられているのかと思った。が、違った。

まず、スニーカーが大きいのだ。かかと部分は5センチほどの隙間があいている。さらに下半身は裸で、ブルーシートが巻きつけられていた。 

前日ニューヨーク市警に拘束された時、(たぶん)靴を失い、下半身はむき出しになっていたのだ。そのままでは入廷できないので、当局が靴とブルーシートを与えたと思われる。

名前を呼ばれて判事の前にくる時、縛り上げるようにしてビニールシートをもち、ピョンピョンとコミカルな動きをみせる。国選弁護士が横にたって判事の方を向いた男は判事の質問に答えている。その声はみょうに甲高く、元気な小学1年生のような受け答えである。

やり取りの内容は傍聴席まで聴こえなかったので、どういった罪で拘束されたかはわからない。泥酔して下半身をむき出しにして捕まったのかもしれない。

軽犯罪なので、容疑者の中にはその場で釈放されて傍聴席から退廷する者もいる。「ピョンピョン」も2分ほど判事とやりとりをした後、うしろから出ていった。

私はそれからしばらく傍聴席にいて、一人の検察官と話をしたあと退廷した。裁判所の外にでると、なんと「ピョンピョン」が歩道を歩いている。ビニールシートとスニーカーはつけておらず、下半身が涼しげだ。

うしろから見ると、シャツがぎりぎり局部を覆っており、超ミニのスカートを着ているようだ。その時である。前から歩いてきた警察官に「ピョンピョン」が甲高い声で言った。

「Have a good one, sir(ごきげんよう)」

おもわずクスッ、である。

オバマ、黒人としての強さ

日本ではいまだに「オバマは黒人だから大統領になれない」と考える人がいる。

「アメリカは究極的には差別社会だから、21世紀になっても黒人が大統領になるとは思えない」 という。

25年間アメリカで生活した経験から、この発言は20年以上前のひとつの意見でしかないと思っている。もちろん、今でも差別主義者はいるし、人種的理由でオバマを大統領にしたくないと考えるアメリカ人がいることは確かだ。白人至上主義団体も600以上といわれる。

けれどもアメリカ社会で長いあいだ息を吸っていれば、皮膚感覚でこの意見が少数派の中でも限られたものであることがわかる。目に見えるかたちで差別が表面化すれば、いまのアメリカでは黒人暴動が起きる。

「お前は黒人だからうちの店には入れない」「あんたは黒人だから雇わない」

いわゆるインテリと呼ばれる白人であればあるほど、特に東部や西海岸の大都市に住むリベラルな人たちであればあるほど、「差別主義者」という言葉におどろくほど敏感だ。そのため彼らは「差別主義者」とのレッテルを貼られることを極端に恐れ、差別とはかけ離れた言動をとる。

そうした意識を強くもたなくとも、「オバマが黒人であるから大統領にしたくない」との考え自体がすでに陳腐になっている。そのため人種問題は今年の大統領選ではまったく争点になっていない。ヒラリーが一時持ち出したが逆効果だった。

ただ、人の心の中は簡単には読めない。表面上は何の問題もなく黒人と接している白人でも「結婚はできない」という人たちは多い。そこが差別のベースラインである。そのあたりの本音は四半世紀のアメリカ生活で会得したと思っている。

それでもアメリカは10年以上前、すでに黒人の大統領を誕生させる心の準備ができていた。コリン・パウエルである。96年、パウエルの支持率は現職ビル・クリントンを超えていた。出馬辞退さえしなければ、パウエル政権が誕生していても不思議ではない。あれから12年である。オバマに人種のハードルがあるとは思えない。

 日本でいまだに「黒人だから」という理由でオバマを否定する人たちは、まるで昭和40年代に数年日本で暮らしたことのあるアメリカ人がその時の日本のイメージを引きずり続けているかのようである。町の風景は変わるし、人の心も変わるのである。

別のいいかたをすれば、日本人はアメリカを知り尽くしているようでいて、実は変わりゆくアメリカを理解できていないように思える。新聞やテレビは日常のアメリカを拾わない。雑誌や流行の本は特異な事象にかたよりがちだ。アメリカという国家の本質を見抜けていない。

そうした中にあって、オバマは21世紀に登場した候補として抜きん出た強さをたずさえている。それは黒人としての強さであると思っている。(敬称略)