ドル安・原油高

ドルの価値がじりじりと下がり、原油価格が上がっている。

日本の方は円相場を中心に考えるが、世界の主要通貨はドルからユーロ、さらに中国元に移行しつつあり、日本(円)は置いていかれている印象が強い。

通貨流通量では昨年暮、ユーロがドルを抜いた。中国もロシアも外貨準備高をドルからユーロにシフトしていることは金融関係者であるならば誰でもが知ることだ。ドルはこのところ、いくつかの通貨をのぞいてほぼ全面安である。すでに2、3年前から主要エコノミストはドル崩壊を説いていた。やっと2007年暮になって現実味を帯びてきたといっていい。

数年前にインタビューしたモルガンスタンレーの主席エコノミスト、スティーブン・ローチはかなり早い時期から「ドル崩壊とインフレ到来」を口にしていた。彼はアメリカのエコノミストの中でも「最も」という言葉がつくほどアメリカ経済に悲観的なので、100%は信用していないが、ドル安・原油高の流れはしばらくとまらないだろう。

昨年夏にインタビューしたジム・ロジャーズは1ドル90円になる可能性を示唆したし、原油は1バレル150ドルになると予言した。ロジャーズはジョージ・ソロスと「クァンタム・ファンド」を立ち上げて4200%のリターンを成し遂げた伝説的なファンドマネジャーである。

彼は今、資産をドルから元に替え、住まいもニューヨークから上海に移しつつある。先日、外国特派員協会で会った大手企業CEOも、「東京のように非効率な町にいない方がいい」と真顔で言った。私が「今年になってアメリカから東京に戻ってきたのです。しばらくはいますよ」と言うと、「アメリカを離れたことはいいが、日本の『大復活』はない。落ちていくだけ」と手厳しい。

東京の景気は確実に回復していきているが、東京がこれからもアジアの中心都市でいられる保障はない。いやないだろう。「それでは」とすぐに腰をあげて、他国に移住できる人も多くない。

それは日本が本当の意味での国際化に遅れていることを示しているかもしれない。老後ではなく、働き手としてあぶらが乗っている時に他国に移って働けないということだ。これはもちろん会社からの派遣ではなく、自力で仕事を探してくるという意味だ。

日本にいる限り「落ちていく」ということを実感しなくて済むかもしれないが、外から日本を眺めた時に、近い将来、多くの人が愕然とさせられることは十分に予測できる。(敬称略)

エクササイズ・エリート

大統領選挙の取材でワシントンに短期間もどっていた。

時差のせいで、朝5時ごろに目がさめる。ボーッとしていてもいけないので体を動かすことにした。今回泊まったホテルは日本にも進出している「ゴールドジム」と契約していて、宿泊客は無制限で使用できる計らいがされていた。

営業時間を調べると、平日は午前5時からオープンだという。別に「ゴールドジム」の宣伝をするわけではないが、朝5時からという時間に「やってくれるものである」と感心してしまった。ちなみに、東京の表参道店を調べると午前7時からだった。

ただ、その時間帯に行ってどれほどの人がエクササイズしているか疑問だった。私は自分が汗を流すことよりも、ウィークデーのまだ夜も明けていない時間からジムにくるアメリカ人に興味をもち、出かけてみた。

午前5時40分。広大なジムに入ってすぐに口が半開きになった。60人ほどの老若男女が蠢(うごめ)いていた。勤めに行く前に汗を流す人が多いことは知っていたが、これだけの人数が集まっているとは考えなかった。

20歳前後の女性から頭部が薄くなった60代と思われる男性まで本当に老若男女で、トレッドミル(ランニングマシーン)やサイクル式マシーン、ウェイトトレーニングなどでみな黙々と汗をながしている。誰も話をせず、一人で悦にいっているような印象である。

アメリカの肥満度は近年ますます上昇しているが、その日、日の出前から汗をながしていた彼らのほとんどは引き締まった体をしており、取り付かれたように自身の体を磨きこんでいた。肥満の人たちが増え続ける一方で、確実に「エクササイズ・エリート」が増加しているのもアメリカの今の姿である。

収入の社会格差が拡大しているのと同じで、体型格差も拡大しているのだ。日本では「ビリーズ・ブートキャンプ」が話題になり、再びアメリカ型のエクササイズが話題だが、日本はまだアメリカほどの体型格差はない。

私はその日、常連の「エクササイズ・エリート」たちに圧倒されながら、少しばかり手に汗をかいたところでホテルに戻った。

英語力

「英語の力は落ちませんか」

知人が訊いてきた。アメリカに25年間住んだあと、日本に戻って7カ月がたった私の英語力を知りたいという。

「聴く方はまったく変わらないです。でも話す方がちょっと、、、つまづく」

そう言うと知人はニヤッとした。

話すリズムに違和感がある。ただ、1時間くらい話しつづけると元に戻ってくる。まるで摂氏2度の冷蔵庫の上段に置き去りにされたあと、外に出されて常温に戻るまでにしばらく時間がかかるかのようである。まだ7カ月だから元にもどるが、これが数年になると中身が「腐る」ことは必至かもしれない。

先日、3人のアメリカ人と晩御飯を食べながら3時間ほど語り合った。帰りの電車の中で、両頬が引きつったような違和感を覚えた。日本語と英語では話をするときに使う顔の筋肉が違うという話を聞いたことがある。真偽は定かではないが、実感として正しい。

実は日本がこれほど英語を必要としないところだと思っていなかった。東京ではなおさら、英語を使う機会があるだろうと考えていた。だが答えはノーである。過去7カ月、日常生活の中で英語を使う機会は皆無に等しかった。

町の中で英語でかかれた文字を読むことは多いが、英語で話をしないと店に入れてもらえないとか、物が買えないということはないし、日本である以上、外国人が英語をしゃべっていても「ここは日本だから、まず日本語で話してください」という態度でいられるので、英語を使う機会はますます減る。

山手線に乗れば「トレイングリッシュ」をやっているし、英会話学校はいたる所にあるが、町で英語しかわからず本当に「困った困った」とキョロキョロしている外国人に出くわすことは1年に1回あるかないかである。

今週、外資系大手企業の社長(アメリカ人)にインタビューをした。大きな問題はなかったが、歯がゆかった。というのも、質問をするとき英文が長くなのである。スッと核心を突く表現をせず、ダラダラと長い文章を口にしているのだ。これは私の思考が日本的になっているのか、それとも英語力が落ちているのか判断できないが、明らかに「腐り」の予兆であるようにも思える。

いちおう今、自分では毎日、英語を1時間は聴くようにしている。インターネットテレビやラジオはありがたい。英語を話す機会がない日は英文を音読しているが、それでも落ちている。しょせん外国語といって開き直るのか、それとも「腐る」スピードを遅くするためにくらいつくのか、どちらかでしかない。

英語は長年かけて培ってきたものなので、私はくらいつこうと思っているが、「冷蔵庫から出ない方が腐らなくていい」と思わないような自分でいたいと願っている。

政治とカネ - 朝日新聞

朝晩はいくぶんか涼やかな風が吹くようになったが、日中はいまだに顔をしかめてしまいたい暑さが続いている。9月20日の朝日新聞朝刊、「私の視点」にコラムを書いたので、読んで頂ければと思います。

安倍首相の突然の辞任表明から1週間がたち、政治の話題は自民党総裁選に占有されている。だが、政権与党の国会議員による「政治とカネ」の問題が解決したわけではない。

新政権になっても、金銭絡みの閣僚らの不正が再び表面化する可能性は高い。というのも、首相官邸を含む日本の政府機関には、本当の意味での「身体検査」のシステムがないからだ。

私はジャーナリストとして米国のワシントンに25年住み、今春帰国したが、閣僚を含めた政治任用職(ポリティカル・アポインティー)の人選については、米国の徹底ぶりをまざまざと見せつけられた思いが強い。

米国の首相官邸にあたるホワイトハウスには人事局があり、長官などに空席ができると、まず多岐にわたる視点から候補者を挙げ、その全員に連邦捜査局(FBI)と内国歳入庁(IRS)が徹底的な「身体検査」を行う。通常で3カ月を費やす。

同時に、人事局は候補者との面談と書面により、家族の詳細、健康状態、21歳以後の全所得と全収入源、財産、所属機関の詳細、各種支払いの滞納の有無、新ポストに批判的な知人の有無、養育する子供がいる場合の費用延納の有無、さらに家族が大統領を否定する言動を過去に行ったことがないかなどまでをただす。まさに本格的な「身体検査」だ。日本のような会計検査院の指摘レベルではない。

このハードルをクリアした後、候補者は連邦上院司法委員会の公聴会に出席し、議員の質問にさらされる。その上で、本会議場で過半数の賛成を得て承認されなくてはいけない。米国のような海千山千の人材がひしめく環境では徹底的な「身体検査」が必要になるのだ。

89年、ブッシュ(父)政権誕生時、知日派として有名なアーミテージ元国務副長官が国務次官補に指名されたことがある。しかし、彼はイラン・コントラ事件への関与を疑われ、不適格として却下された。システムが確立していたことで公職に就く前に落とされたのだ。

92年、私がホワイトハウスの記者証を申請した時のこと。FBIは3カ月かけて私の身辺を捜査した。当時住んでいたマンションの管理人や同じ階の住人にも捜査官が聞き込みに来た。ある夜、管理人が「あんた、FBIが来たわよ」と慌てふためいていたことを思い出す。記者に対しても当然のように「身体検査」をする徹底ぶりである。

こうした厳しいプロセスを当たり前ととらえ、議員や政治任用職の人たちは普段からカネの出入りの透明性を保っている。もちろん、あらゆる分野での違法行為とは無縁でいなくてはいけない。税金で給料が支払われる公僕である以上、当然との意識である。

それに比べると、日本の議員のカネに対する「ゆるさ」はいかんともしがたい。すべての議員がそうというわけではないが、「これくらいは許される」といった甘さは正すべきだし、日本文化と開き直っている時代ではない。

米国のシステムが万能であるわけではない。日本がやみくもに米国のシステムに追随すべきでもないが、使えるものは積極的に生かし、日本流に変えて採用すべきだろう。

少なくとも首相官邸の「身体検査」はシステムとして機能していない。日本独自のプロフェッショナルな「身体検査」を早急に確立すべきである。旧態依然とした自民党的な人事はもはや過去の遺物だ。小手先だけの検査では、問題の本質的な解決にならない。

虚ろなプリンス

またしてもブログ更新が滞ってしまった。申し訳ない。

安倍辞任で、13日の朝日新聞朝刊に掲載予定だった「政治とカネ」についてのコラムが差し替えられてしまった。これでしばらく、年金と、自民党とカネの問題が忘れられてしまう。

私が日本の政治を眺めるときに通過させるフィルターは、他国の政治システムである。特にアメリカとの比較で日本の政治を少しでも客観的に浮き上がらせ、よりよき方向へ進んでもらえればと願う。

安倍の辞任は24時間たって、すでに語りつくされた感があるが、一言で述べるならば「自壊したプリンス」ということになる。テロ特措法、年金問題、閣僚の不祥事、孤立した宰相の地位、さらに内面に抱える問題もあろうが、これくらいで自身に白旗をあげていてはいけない。

日本はいま敵国から攻撃を受けた戦時下ではないし、核兵器でテロ攻撃を受けたわけでもない。安倍は自己内部で問題を肥大化させ、自身の首を絞め、いてもたってもいられなくなってしまった感が強い。

クリントンやブッシュもいくらでも危機はあった。だが、それで大統領を辞任したりはしないし、クリントンなどはそれをむしろ楽しむくらいの余裕があった。同情の声がほとんど聞かれないのは、プリンスの脆弱さを露呈させてしまったからだろう。逞しさという言葉ほど安倍と縁遠いものはない。

政治システムの上でも、宰相という職務を容易に投げ出せることにあらためて驚かされる。健康問題が1番のネックであれば、一時的に入院してもいい。政治の空白は許されないので、バトンを受け継ぐ人間がいなくてはいけないが、首相官邸に安倍を強固に支えるシステムがない。

ホワイトハウスという牙城には1000人ものブッシュをささえるスタッフがいる。独裁者をつくってはいけないが、システムとして行政府は機能する。あらためて日本の虚弱な行政府をみた思いである。

安倍辞任のニュースは国内ではもちろん大問題である。「世界各国も大きく取り上げた」と思われるだろうし、そうした報道もあった。だが、CNNの国際ニュースのランキングでは安倍辞任は12日、8位でしかない。トップはプーチンが内閣を総辞職させたニュースである。インドネシアの大地震が3位。北極海の氷が薄くなったというニュースが5位で安倍辞任よりも興味をもたれている。日本の位置はいま、このあたりである。

次期首相の顔ぶれを見ると、個人的には投票したくない政治家が並んでいる。日本にはこれくらいの人物しか首相の候補者がいないのかと思えるほどである。公選制の導入にはいろいろと問題もあるが、本当に国民から支持される首相を選出するためには、将来的に有権者の一票に期することがふさわしいだろう。

今しばらくは混沌の永田町を眺めることにする。(敬称略)