どこでも寝てしまいます

雑誌などで、著名人が特技として「どこでも寝られます」と答えていることがある。

どこでも寝られることが本当に特技なのかは微妙なところだが、ここでは敢えて問わないことにする。それよりも、本当にどこでも寝られる人はたくさんいるのだ。

というのも、私もそうだからだ。

いつも眠いわけではない。ただ動かずにじっとしていると、ついつい瞼がおりてきて、いつの間にか寝ている。自宅のソファで寝てしまうことが一番多いが、電車の中でも、飛行機でも、仕事場でも、すぐに「おちて」しまう。

ちなみに、私は25年前に独立して会計上はいちおう社長なので、仕事場で寝ていても誰からも文句はいわれない。20~30分くらいのオヒルネは意識的にする。

困るのは、寝るべきではないところで寝てしまうことだ。さすがにミーティング中や誰かと会っている時に寝たことはないが、先日、妻とプラネタリウムに行ったときは、終了後にいけないことをした小学生が反省する時のような気持ちになった。

場内が暗くなり、何千という星が天空に現れてから10分ほどした頃だった。夜空のなかに吸い込まれて魂が上空にのぼりはじめたような気分になる。

場内に響く星座についての説明はもう聞こえていなかった。

ガブッ・・・

いきなり誰かにのど輪をかまされた。妻の右手だった。

両眼をあける。右横に座る妻をみると、少しうつむきながら笑いをこらえている。時計を見ると、あと15分ほどでショーが終わる時間で、30分ほども寝ていたことになる。

あとで妻にきくと、「気持ちよさそうだったから起こさなかったんだけど、『スースー』から『グァーグァー』に変わりつつあったから起こした」と説明した。

リクライニングの効いたシートは「どうぞおやすみください」と言っているのに等しい。いま考えただけでも、瞼が閉じてしまいそうである。

「特技:どこでも寝られます」ではなく、私の場合は「裏技:どこでも寝てしまいます」と言うべきだろうか。

落選させること

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18日午後3時に国会に出向いた。その時間は労組の人たちが中心となり、安保関連法の反対を訴えていた。だが最初からわかっていたことだが、安保関連法は無情にも参議院本会議で可決された。

法案はすぐに施行されないので、今後さまざまな手を尽くして廃案にする努力は民主党内にもある。私はアメリカの手法と同じように、最高裁に違憲立法審査を申請できないものかと愚考していた(安保法制を最高裁にゆだねる )。

元最高裁判事の1人にコンタクトをとっているが、まだお目にかかれていない。日本では多難なことらしいが、憲法を無視した強引な法案の進め方におおくの方が怒りを覚えている。

廃案が無理であれば、法案に賛成票を投じた与党議員を次の選挙で落とすことである。政治家の弱点はそこだ。

組織的に選挙妨害をすると犯罪になるので、有権者が今日のできごとを次回選挙まで胸にしまって忘れず、賛成票をいれた政治家の再選を阻止することである。それが有権者の力であり、民主主義の力なのだろうと思う。

日本史嫌い

子どもの頃から日本史が嫌いだった。

小学校の授業で織田信長や豊臣秀吉という名前が登場すると、嫌悪感さえ覚えた。髷(まげ)を結った武士の絵をみると、そっと隠したくなった。どうしてなのか、自分でもわからない。

高校の日本史の授業が特につらかった。1年間、嫌いな日本史だけをやることを考えただけで気分が沈んだ。古代史や現代史はまだよかったが、鎌倉時代あたりから明治時代にかけてが苦痛以外のなにものでもなかった。

もし前世というものがあるとしたら、私は江戸時代に侍に斬り殺された百姓だったのかもしれない。それほど 侍に対する気持ちは暗く、否定的だ。

だからNHKの大河ドラマはほとんど観ない。時代モノと言われる日本の時代小説も読まない。生理的な嫌悪が先にきてしまうからだ。

しかし世界史はどうしたわけか、親しみが沸いた。大学受験時の社会の選択はもちろん世界史である。大学卒業後、アメリカに渡ったのもそうした理由が背景にある。

精神的に何かが欠落しているのかもしれないが、国外のことには普通の人以上に興味がわく。当ブログを読んで頂いてる方は気づかれていると思うが、多くのトピックは国外ネタである。

日本史嫌いを治す薬があれば飲みたいほどだ。

タクシーの中へ(7)

以前から抱いていた疑問がある。タクシーと電車、いったいどちらが早いのかということだ。

「都内なら電車の方が早い」という話をよく聞くが、本当はどうなのか。

先日、仕事場から港区青山1丁目までいく用がありタクシーに乗った。午後2時半過ぎ。銀座の晴海通りから青山のツインタワー近くまで、所要時間は18分。道路は渋滞していたわけではなく、車は比較的スムーズに進んだ。

帰りは地下鉄銀座線に乗った。青山1丁目駅から銀座駅までの所要時間が10分。単純に比較すると地下鉄の方が早い。

だが用事のあった場所から駅まで歩いて4分。ホームで電車を待つ時間が3分。そして乗車時間が10分。銀座駅に着いてから仕事場までの徒歩時間を足すと、地下鉄を使う方が長かった。

これは1例に過ぎない。所用の場所が電車の駅からほとんど歩かず、しかもホームに着いたらすぐに電車に乗れる状況であれば、電車の方が早いかもしれない。

以前、朝の通勤時間帯に自宅から仕事場までタクシーに乗ったことがある。道路は混んでいた。運転手さんに訊くと「朝はいつもこんなもんだよ」。

電車であれば「ドア・ツー・ドア」で25分という時間が、その日は行程の半分ほどで45分もかかってしまった。

結論としては、移動する地域と時間帯によって違うので一概には言えない――という口をアングリさせてしまうくらいつまらなくてすみません的な答えに落ち着いた。

本当にすみません!

心に残るヒトコト

これまでの人生で心に残る一言というものがある。

先週、英国の写真家にインタビューした時、久しぶりに「これだな」と思える言葉を耳にした。

写真家は70歳代前半で、ベトナム戦争にも従軍カメラマンとして赴いた老練なフォトジャーナリストだ。ベトナム戦争以後、何万枚の写真を撮ってきたかわからない。

「死ぬまで撮り続けるだろう。それが俺の生き方というより、それしかないからな」

テーブルを挟んで、少しだけ斜にかまえ、あまり視線をあわせない。饒舌のようでいて、言葉を選んでいるようでもあり、独特のスピードで語る。ただ、ひたむきさが伝わってきた。

随分と打ち解けてきたと思った時に「これまでのベストショットと呼べる1枚はありますか」 と訊いた。

「まだベストショットは撮れていない」

即答だった。

その一言で、写真家の生への姿勢を垣間見た。帰路、「これだな、人生はこれだ!」と一人で妙に納得してしまった。

I haven’t taken my best shot yet!