イマに乗る

「大変なことが起きていますね」

その一言で、こちらはすべてを察しなくてはいけない。

1時間前に起きたニュースであれば知らないこともあるが、同業者は知っていて当たり前という口調で電話をかけてくる。もちろん知らない場合は「何があったんですか?」と訊きかえすが、半日前のできごとを知らない時など、ニュースに携わる人間としては恥ずかしさが先にたつ。

今週も夜は同業者や政治家との酒席が続き、話題はイマに集中する。政治・経済問題、社会問題、芸能にまで話がおよぶ。

しかもすべての出来事を知っていて当然という「語り出し」がほとんどなので、こちらは常にニュースに目を這わせ、いつもアンテナを張り巡らせていなくてはいけない。

先日も、ある番組のディレクターから電話があり、アメリカ大統領選の話をしてほしいとの要請があった。ディレクターは「おじさんがすごいこと言っていますね」と振ってくる。

その一言だけで、こちらは誰がどういう発言をしたかをすぐに察しなくてはいけない。

それが当たり前と言えば当たり前で、「誰ですか」などと訊き返すことはジャーナリストとして「イマに乗れていない」ことを証明するようなものである。

ただ時々、本当に知らないことがある。

相手はわかっていて当然という態度で話を進めてくるので、その時は黙って聞いているしかない。電話が終わり、こちらは慌ててリサーチをする。

知らないことは決して恥ずかしいことではないが、ニュースを仕事にしている人間にとっては大いなる恥である。

またスマホを手にしたまま路上で赤面しないために、アンテナの受信感度は高めておくことにする。

猪熊弦一郎とネコ

四国、香川県丸亀市にきている。

丸亀駅から南側にのびる商店街はガランとしており、半数ほどの店舗はシャッターを降ろしている。昼間でも人通りが少なく、キャッチボールができるほどだ。

渋谷のセンター街の人混みを100とすると、丸亀駅商店街は5といったところか。

駅の隣に建つ猪熊弦一郎現代美術館に足を運んだ。いま「猫達」という特別展がひらかれている。

猪熊弦一郎と聞いて、すぐにピンとくる方は多くないかもしれない。20世紀に生きた洋画家(1902―1993)で、モチーフのひとつが猫だった。

1938年にフランスに渡ったときにマティスと出会って影響をうけている。55年からはニューヨークに拠点を移し、20年以上も過ごした。

48年から40年間、小説新潮の表紙絵を描く一方、百貨店三越の包装紙やショッピングバッグのデザインも手がけた多才なアーティストだった。

美術館はありあまるほどの空間が生かされて、猫の絵がずらりずらりと、これでもかと言わんばかりに展示されている。何百匹という猫たちをさまざまな手法で、新しく、そして普遍的に描いた。

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美容室に男子・・・解禁?

まったく知りませんでした。

男性はヘアサロン(美容院)でカットをしてもらえない、、、というルールがあったことを。

厚生労働省は1970年代、美容室に対してある通知をだしていた。それが「男性にヘアカットだけのサービスを提供してはいけない」というものだ。そのルールがこのほど撤廃された。

しかもいまだに政府は「ヘアサロン」でも「美容院」でもなく「美容室」という言葉をつかっている。どうしたのだろう?という思いである。

逆に女性がバーバー(理容室)にいって髪を切ってもらうことに問題はなかった。実に不思議なルールである。「50年遅れちゃいました!」という感じである。

もちろんこれまでも男性がヘアサロンにいき、髪を切ってもらうことに実質的な問題はなかった。政府のルールは有名無実化していたが、なぜそうした縛りを作ったかに驚かざるをえない。

ルールは撤廃されたが、今後も理容師と美容師は同じ場所で働けないというつまらぬ規制は残るという。両者は国家資格が違うかららしいが、同じ空間で仕事をしてはいけない理由が見いだせない。

つまらぬ理由を言ってきたら、論破したいくらいだ。

わたしは過去30年以上、美容院で髪を切ってもらっている。過去何年かは同じスタイリストさんだ。

そのヘアサロンには男性客もくるが、やはり20、30代の女性客が中心である。周囲の会話は恋バナで弾んでいたりする。

ワシントンに住んでいたときもヘアサロンに通っていた。モデルのような白人女性が横にきたりすると、なんとなく落ち着かないこともあった。

だがある日、ブルーと黒のストライプのシャツを着た70歳前後と思われる男性客がいた。8割ほどが白髪だった。

けれども、ひるんだり、恥ずかしがるような素振りはまったくない。むしろ、楽しそうに若いスタッフと話をしながら髪を切ってもらっている。

「負けました」

心のなかでつぶやていた。

ただ、わたしがいつまで平常心のまま20代の女性たちに混じって髪を切ってもらえるかは正直わからない。それでもあと10年くらいは大丈夫そうな気がしている。

別世界の魔法

いつもは政治家やジャーナリストなど、絶えず眉間にしわを寄せているような人たちが私の周囲には多いが、今日ばかりは少しだけ華やかな世界をのぞいた。

国際短編映画祭「ショートショート・フィルムフェスティバル&アジア」の授賞式に招待されたので、胸にポケットチーフを入れて出かけてきた。渋谷のヒカリエ・ホールには 普段、映像で観る芸能人があふれていた。

会場に入る前に、四畳半くらいの広さがあるエレベーターに乗った。そこでまず、叶姉妹の妹と乗り合わせた。もちろん知り合いではないが、なんとなく視線を投げてしまう。 大きなサングラスをしているが、どこをどうかくしても叶姉妹であることは隠せず、思わず頬がゆるんでしまう。

自宅で招待状を眺めたときに、藤原紀香、相武紗季といった名前が読めたので、フンフンと思っていると、妻が韓国人俳優チョン・ウソンの名前を見つけて「写真撮ってきて」。夫婦そろってミーハーだったことがよくわかった。

案内状には書かれていなかったロックバンドGlayや千原ジュニアといった多くの芸能人がいて、少しだけ別世界を体験することになった。

授賞式では数本のショートショート・フィルムが上映され、最優秀作品賞にはイラン人監督の 『キミのモノ』が選ばれた。

ただ、会場を後にして仕事場にもどる途中に「別世界の魔法」はすぐに解けてしまった。(敬称略)

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左から冲方 丁(うぶかた・とう)、藤原紀香、奥田瑛二、レザ・ファヒミ監督、河瀬直美、チョン・ウソン

ある作家のフレーズ

「作家では、誰が好きですか」

先日、ある人から訊かれた。迷いもせず「開高健(かいこう・たけし)」と答えていた。

最近の作家の作品もよく読むが、誰が好きかという質問を受けると、学生時代に自分が心酔した作家が先にくる。

開高の作品はほとんど読んだが、そのなかでも『夜と陽炎』という自伝小説は繰り返し読んでおり、先週からまたバッグの中に入っている。日本文学大賞を受賞した作品で、音の記憶をたどりながら半生を描いた稀有な小説である。

私にとって開高は、小説家と詩人の中間に位置するような人で、長大な作品のなかに眼を2倍ほども開かされるようなフレーズがさりげなく配置されていたりする。

ユーモアに溢れた文章を書くという点でも、たいへん好感が持てる人だ。たとえば『夜と陽炎』のなかにサルトルに出会ったときのことが書かれている。

「サルトルにパリで会ってみると、子どもが大人の外套をひきずるようなぐあいに外套を着込んだ小男で、ひどいガチャ眼で、右の眼に挨拶していいのか、左の眼に挨拶していいのか迷うくらいであった」

こうした表現にであうと、頬が緩んでしまう。ただ作家の好みほど多岐にわかれるものはない。59歳で逝ってしまったことが悔やまれてならない。

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