先日、ある人から訊かれた。迷いもせず「開高健(かいこう・たけし)」と答えていた。
最近の作家の作品もよく読むが、誰が好きかという質問を受けると、学生時代に自分が心酔した作家が先にくる。
開高の作品はほとんど読んだが、そのなかでも『夜と陽炎』という自伝小説は繰り返し読んでおり、先週からまたバッグの中に入っている。日本文学大賞を受賞した作品で、音の記憶をたどりながら半生を描いた稀有な小説である。
私にとって開高は、小説家と詩人の中間に位置するような人で、長大な作品のなかに眼を2倍ほども開かされるようなフレーズがさりげなく配置されていたりする。
ユーモアに溢れた文章を書くという点でも、たいへん好感が持てる人だ。たとえば『夜と陽炎』のなかにサルトルに出会ったときのことが書かれている。
「サルトルにパリで会ってみると、子どもが大人の外套をひきずるようなぐあいに外套を着込んだ小男で、ひどいガチャ眼で、右の眼に挨拶していいのか、左の眼に挨拶していいのか迷うくらいであった」
こうした表現にであうと、頬が緩んでしまう。ただ作家の好みほど多岐にわかれるものはない。59歳で逝ってしまったことが悔やまれてならない。