“砲撃合戦”の客観性

戦争という状況はほとんどの人を盲目にする。

尖閣の領土問題でも同じで、敵と味方の間に明確な線が引かれるため、日本人であればほぼ100%近くの人が「尖閣は日本の領土」というスタンスに立つ。

北朝鮮の民間人への砲撃でも同じで、日米韓は許しがたい戦争犯罪と捉える。民間人が住む町に無差別で大砲を発射する行為は、無辜の日本人を多数拉致した国家犯罪に通ずるものがある。それに異論をはさむ人はいないだろう。

ただ過去2日、”大砲合戦”にまつわる大手メディアの報道姿勢はあまりに一面的である。いわゆる「大本営発表」に等しい。湾岸戦争時の米メディアの報道姿勢も顕著だったが、それに通じるものがある。

ジャーナリストとして北朝鮮側の内情を客観的に報道したいという衝動にかられる。これは北朝鮮に加担するという意味ではなく、純粋に北側の内情を報道するということである。

というのも、間違いなく北朝鮮が砲撃を開始する前、韓国軍が黄海で軍事演習をしていた。

それを海上射撃訓練と報道するところもある。だがメディアによってはこの軍事演習を報道していない。私が観る限りNHKなどはその典型で、いきなり北朝鮮の「挑発」という切り口である。

北朝鮮は砲撃のあった24日午前8時20分に、演習中止を呼びかけた通知文を韓国に送っている。

韓国軍はそれを無視して午前10時15分から午後2時半過ぎまで演習を実施。そして同2時半過ぎ、北朝鮮は約150発の砲撃を開始する。 

私は韓国軍の軍事演習の規模と範囲を知りたい。それが黄海上の「単なる軍事演習」レベルであったのかどうかを正確に知りたい。さらに韓国軍による対応砲撃によって、北朝鮮がどれほどの損害を被ったかも知りたい。

戦争報道はほとんどの場合、一方的である。状況を両サイドから客観的に知る権利はあるはずだ。歴史上の大戦や、過去数十年に起きた地域紛争でも、多くの場合、メディアは一致団結して自国政府を擁護する。いつも政府に批判的な論調を述べているメディアであっても、戦時下では擁護する。

それでなければ「非国民」呼ばわれするし、メディアはスポンサーを失う。

私は北朝鮮の独裁者が早く去り、民主国家に生まれ変わることを願ってやまないが、報道に関しては別である。色のついた北朝鮮のTV報道ではなく、困難を極めるが、客観的な北側からの報告の必要性を痛感する。

       

“砲撃合戦”を日常生活に置き換えてみたい。

韓国軍の軍事演習は北朝鮮サイドからすると、隣家の飼い犬が自宅敷地内に入ろうとしてワンワン騒ぎ立てている様に似ている。普段は自宅内にいるが、その日は庭に出て吠えたてていた。

北朝鮮は「家の中に引き戻してほしい」と願う。だが聞き入れられない。隣家の近くを歩くと噛みつかれそうである。そこでこちらも普段は家内にいるドーベルマンを外に出した。

「行け!」と命令すると、隣家の子供を噛み殺した、、、そんな印象である。このドーベルマンのしつけが悪いのが北朝鮮の責任であることは明白である。 

大手メディアが戦時下で自国政府の立場を糾弾することはあり得ない。国民もたぶん許さない。たとえ真実を記し、客観性を重視しても認められないだろう。

だからインターネットで書くしかない。

失墜するのか、ジャパン

テレビや新聞は今起きていることに関心を向ける。メディアの性格上いたしかたない。それだけに見逃されている重大な危機がある。

その一つが日本の国債のデフォルト(債務不履行)へのカウントダウンである。

私が指摘しなくとも、すでに内外の経済学者やエコノミストが口にしている。けれども一般国民や日々の諸事を追っているメディアの多くがその危機を実感していない。

これは日本が第二のギリシャになりかねないということであり、自分の銀行預金からキャッシュを引き出せなくなるという危機である。私の周囲にいる東京の外国人特派員や諸外国の財務担当者は本当に危惧していて、「日本から逃げた方がいいな」という冗談ともいえない話を真剣に交わしている。

今月も、FT(フィナンシャル・タイムズ)のヘニー・センダーが「日本はバブルから20年、最悪の金融事態を迎えるか?」というコラムを書いた。内容は格段に新しい事実を述べているものではない。このまま日本が財政赤字を放置したら、本当に大変なことになるということを淡々と語っているだけだ。

国の借金はすでにGDPの200%に達しようとしている。一般会計予算(2010年度)92兆円のうち、実に44兆円を国債で賄っている。その蓄積が900兆円という借金に膨れている。全国の銀行は資産の約65%を国債で持っており、国債が暴落した時は日本は麻痺する。

国債の多くは日本人がもっているから安心という話はもう過去の話である。1400兆円の金融資産があるから大丈夫という話も、2014年には借金がGDPの300%に達するという見方で打ち消されてしまう。

そうなると、国債デフォルトに陥って預金封鎖、極度の円安、ハイパーインフレという事態に陥らないとも限らない。当然、日本の金融機関が抱える65兆円といわれるアメリカの国債は売りに出されることとなり、日本だけでなく世界的な金融危機を招くことになる。

世界では国の借金がGDPの90%を超えた時点で、経済活動は鈍化するといわれている。日本はすでに2倍以上である。いち早く借金を減らして税収を上げる措置をとらないといけない。

それ以上に、メディアや国民がこの問題を真剣に論じて政府を動かす必要がある。それでないと日本は金融破綻を引き起こす道をただひたすら進むだけとなる。

無駄な時間

NHKの国会中継を観て率直に思う。

「首相はこんなところで無駄な時間を過ごしていてはいけない」

予算委員会は国会の中でも重要な位置づけであることはわかっている。しかし1日中、首相が委員会に座って野党議員の質問にさらされることの政治的利益はどこにあるのだろうか。

時はすでに21世紀である。首相がかかえる案件は以前よりも多岐で複雑になっている。ましてや、今週末にはAPEC(アジア太平洋経済協力)の開催国として、菅はホスト役を引き受けなくてはいけない。

外交で日本がリードし、周辺国との新しい枠組みを作っていくことが急務であり必須の時に、野党議員から国内問題のつまらぬ質問に時間を奪われていてはいけない。

大統領制と議員内閣制の違いは理解しているつもりである。オバマは議会で議員の質問などにはさらされない。そんな時間ははっきり言って無駄である。法案を審議するのは本来議員の役割であって、大統領や首相の仕事ではないはずだ。

内閣は国会との連帯責任があるので、これまで首相をはじめとする全閣僚が国会に出席してきた。だが、質問する側のTV向けのパフォーマンスばかりが目立っている。

オバマはその分、ホワイトハウスで政策の立案と行政にエネルギーを注げる。一方の菅は予算委員会だけで疲れきっている。

委員会での質疑応答が本当に国民のためになり、よりよい法案の作成に有効な手段であればいい。しかしそうではない。そろそろ議員内閣制のシステムを21世紀型に変える時期かもしれない。

首相は日本が本当に必要な分野である経済政策の提言や外交にもっと時間を割かなくてはいけない。時間的な余裕がなさすぎる。これでは的確な政治判断もできなくなって、多くの首相は疲弊して消えていく。(敬称略)

オバマへの反抗

アメリカ中間選挙は予想どおり、民主党が大敗した。小泉チルドレンが小泉人気に乗って多数当選を果たし、後にほとんど議席をうしなった現象に似ている。

今回の選挙はアメリカ史上最大級の右からの反抗である。

昨日は日テレで解説、今朝はFMのJ-WAVEで別所哲也と選挙結果について語った。

            

米中間選挙結果を分析 | 日テレNEWS24

www.news24.jp 

オバマは今後、共和党下院と法案内容をすりよせない限り、アメリカの政治を前に進ませることはできない。来年になると、すぐに2012年大統領選挙の候補が登場してくるだろう。

民主党はもちろんオバマ。共和党は前アラスカ州知事のサラ・ペイリン、元マサチューセッツ州知事ミット・ロムニー、アーカンソー州知事だったマイク・ハカビー、ミネソタ州知事のティム・ポーレンティ、ルイジアナ州知事のボビー・ジンダル、90年代に下院議長だったニュート・ギングリッジらが出てきそうだが、現時点では白紙。

景気回復が最大のカギで、またアメリカ政治が熱くなりそうである。(敬称略)

       

       次期下院議長のジョン・ベイナー 

中間選挙まであと4日

日本では相変わらず関心が薄いアメリカの中間選挙まであと4日。

連邦下院議員の435人と上院議員37人(任期6年:定員100人)が選ばれる。日本で言えば衆参ダブル選挙にあたるが、選ばれるのは連邦議員だけではない。あまり話題にならないが、37州では知事も選ばれるし、州議会の議員や市長、地元の評議員などの選出もある。またカリフォルニア州ではマリファナ(医療目的)の売買を有権者に問いもする。

アメリカの投票所に足を運ぶと、投票用紙には選択しなくてはいけない項目がずらずら並んでいる。これは大統領選挙の年も同じで、日本ではアメリカのローカルネタに関心が及ばないのでほとんど報道されない。

もちろん最大の関心は連邦議会の多数党が民主党から共和党に移行するかどうかにある。下院は共和党がほぼ間違いなく218という過半数を奪うとみられる。一方の上院は微妙である。8月のブログですでに述べたとおりである(普通の状態へ )。

中間選挙は歴史的に投票率が40%に満たないことも多く、一般有権者の関心は低い。大統領を選ぶわけではないので、本当に政治に関心がある人しか投票所に足を運ばない傾向が強い。というより中間選挙は現政権に不満のある人が一票を投じにいく選挙と言える。つまりオバマ政権の信を問う選挙なのである。

今月のアメリカ取材で目の当たりにしたのもその点につきる。

ティーパーティー(茶会党)に代表されるように、過去2年でオバマ政権が行ってきた景気対策や金融機関救済、医療制度改革は「大きい政府」の行政であると反発する。税金の使い過ぎであるとの不満が全米で噴出している。

ティーパーティーのTEAはボストン茶会事件から派生しているが、同時にTax Enough Alreadyの略でもある。全米で600以上の団体によってティーパーティー運動が起こされてはいるが、運動を統一する著名なリーダーは登場していない。さらに確固とした政策も見えない。反対!というパンチに過ぎない。

                                 

     

                                                   

こうした右からの政治的反動は過去200年以上に渡るアメリカ史を振り返るといくつも浮上してくる。独立運動時、フェデラリスト(連邦派)に反対した反フェデラリストもそうだし、20世紀に入ってからは反共主義団体として名高いジョン・バーチ・ソサエティなど少なくない。ある意味で、民主主義の健全な現象と捉えられる。

ワシントンのブルッキングズ研究所の上級研究員トーマス・マンも「国家統制主義への反発はつねにあった。よく見られる政治活動」と述べる。 

11月2日は民主党が負ける運命にあるので、連邦議会での議席は減る。それによって今後2年でオバマ政権と共和党議会が政治の本質的な歩み寄りを実践できるかどうかが焦点となる。

ねじれという「普通の状態」になった時、突っ張るだけでは政治が前に進まないことを学ぶ時期でもある。ロバート・サミュエルソンが今週、コラムで的を得たことを書いていた。

― 目先のことに心を奪われる政治家にとっては、政治は権力である。手に入れ、保持し、使おうとする。だが国家にとって、政治の本質は調停である ―

今のアメリカは民主と共和という政党が両極に開ききっている状態にある。アメリカに学びの時期がくることを期待する。(敬称略)