堕ちていくキングギドラ

民主党がここまでもの事を前へ進められない事態を見ていると、これは自民党や民主党といった政権党が悪いのではなく、日本の政治システムに大きな欠陥があるという仮説が力をもってくる。

2年前までは、政界の腐敗は政権を握る自民党に諸悪の根源があるとの思いが強かったが、そうではなかった。議員内閣制というシステム、議員、官僚、政党、すべてに改革が必要であることがわかる。

特に昨日、辞任した復興相の松本龍や菅の行状を眺めていると、彼らは英語でいうローメイカー(Lawmaker)、つまり立法議員でしかないことがわかる。それ以下でも以上でもない。行政を任せられない。いや彼らに行政力はない。

国会内で法律を通過させる政治力と国を動かしていく行政力とはまったく違うものである。首相や大統領は国をマネジメントしていかなくてはいけないが、日本の政治家にはその能力が圧倒的に欠如している。

知り合いの衆議院議員が嘆いた。

「菅はあまりにも決断ができない」

復興相などは、ほとんどの国会議員にはつとまらない。1万人くらいの社員を動かしている多国籍企業や組織のトップを連れて来るべきである。 机上論をまくし立てる学者やコンサルタントほど会社経営ができなかったりする。実際に人とモノとカネを動かしている人を復興省の長にすべきである。

                       

        

                                 

アメリカから帰国してから4年。私は日本の統治機構がキングギドラであることに気づいた。頭が3つで体は1つというバランスの悪さを持ち続けている。政治家、官僚、政党がバラバラのままだ。ましてや行政の長であるはずの首相が権限の集権化を実現できていない。

むしろ緩やかな専制政治か有能なビジネスマンを大統領にして日本を動かしてもらった方が、間違いなくコトは迅速に前へ進む。(敬称略)

ブラッシュアップ、ベイビー!

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「エッ、英語でやらないの?」

6月7日、有楽町の日本外国特派員協会の記者会見に現れた石川遼。英語教材スピードラーニングを使って、英語力はすでに「かなりのモノ」と推察していた。しかも、マスターズはじめアメリカのツアーに数多く参戦し、日常生活だけでなく仕事でも通訳なしでこなせていると思っていた。だが邪推だった。

会見の冒頭、ぎこちない英語で挨拶をしたあと「英語があまりうまくないので」と顔を赤らめ、質疑応答はすべてを通訳に頼った。

「どこまでが本当なのだろうか」と疑ってしまうほど、記者から投げかけられた英語の質問には無反応で、通訳の日本語に耳を傾ける。まるで、「英語はまったく話せないんです」という態度を貫いているようですらあった。

英語で会見をこなすにはかなりの英語力が必要になる。いくら質問内容が専門分野であるゴルフであっても、記者の言っていることをすべて理解するのは容易ではない。私はアメリカに25年もいたので分かって当たり前だが、その難しさは理解しているつもりだ。

スピードラーニングでは限界があることは明らかだろうから、個人的に英会話教師を雇ってマンツーマンで英語力を高めるくらいのことはしていると思っていた。しかしどうやらそうではないらしい。

ただ会見での彼の所作はさまざまなメディアから漏れ伝わるとおり、正道という言葉がふさわしいほどの誠実さに溢れていた。あまりに真っ当なので、こちらが照れてしまうほどだ。

「プレッシャーがかかっていると思ったことは一度もない。皆さんに応援していただいて始めて仕事になるのです。それがプレッシャーになっていたのでは仕事にならない」

すばらしい考えを実践している。ただ英語はもっと鍛えないと。

Brush up on your English!  (敬称略)

企業家と政治家

「電車が来るようになってからまだ3日目だよ」

ずんだアイスクリームを出してくれた店主の顔に笑顔はなかった。

宮城県の仙台駅からJR仙石線にのって松島海岸駅まできた。仙石線は仙台と石巻を結ぶ路線だが、日本三景の一つである松島までしか復旧していない。

「でも電車が開通してよかったですね」

「よかねえよ。今、松島にくる観光客なんかいねえ」

震災から3ヵ月近くたって駅前はだいぶ元に戻ったが、まだ混沌の中にある。不通になっている部分を駅員に尋ねると、「復旧のめどはまったくたっていません」とはっきり言う。「夏まで」とか「年末まで」という言葉は聞かれない。

津波で線路が流され、電柱も倒れた。1ヵ所や2ヵ所ではない。さらに「町ごと流されたところもありますから」という。石巻や南三陸、陸前高田など、比較的大きな沿岸都市はメディアの取材対象として取り上げられるが、全滅した小さな町は数知れない。

                  

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野蒜(のびる)という松島海岸駅から6つめの町もその一つだ。すでに線路は錆びていた。駅前にはいくつか外観をとどめた家屋も残るが、そこから海岸までの1キロほどは全滅だった。今は災害援助の自衛隊の隊員しか見当たらない。いまだにガレキの山が残る。

英語で「Dead quiet!」というが、恐ろしいほどに無音である。

個人や地方自治体のレベルでの復興は無理である。国がリーダーシップを取るしかない。だが国会議員は政局に忙殺されて復興に政治力を発揮できていない。復興庁の設立を記した復興基本法案がやっと成立するが、もっとも重要である「スピード」がともなっていない。

政界では菅がいつ辞めるかといったことに多大な関心がさかれ、結局超法規的な政策の実施などなされないまま時間だけが過ぎた。復興モデル都市(試案:東北アップライズ )などのアイデアは試されないまま、まったりした再興になりそうである。

こうした事態であらためて永田町の政治システムがまともに機能していないことがわかる。自分たちで改革することも望めない。1度大統領制に移行して、国のリーダーの公選制を取り入れるべきである。国会議員が国のトップを決めるというシステムをまず脱却させた方がいい。

企業のビジネスモデルという言葉はよく耳にするが、政治モデルもある。時代に合わせてどんどんモデルは変えていくべきであるが、企業家にはできても政治家にはできない。何十年も前に取り入れたことを今でも固執していては企業であれば倒産だ。機能しているものは今後も残せばいいが、していないものは変えるしかない。(敬称略)

第四世代のネット事業者を待つ投資家

「ヘッジファンド、カミングバック」

ワシントンに住む知人からきたメールの内容は踊っていた。

3.11の震災から2ヵ月以上がたち、日本経済は復興ムードが漂いもするが、多くの分野ではいまだに停滞したままだ。製造業者の稼働率も元に戻っていない企業が多い。そんな中、アメリカ経済は確実に上向いており、リーマンショック後の不況から立ち直ってきている。

金融業界にいるそのアメリカ人のメール内容はこう続いていた。

「2000年のハイテクバブルが弾けてから実はヘッジファンドの数は増えていて、2000年比でほぼ2倍になりました。資金総額も2兆ドル(約160兆円)にまで膨れています。VC(ベンチャー・キャピタル)の資金も増大しています。それだけ市場にキャッシュが溢れているということです。いまの彼らには投資先がほしいのです」)、、、、(続きは堀田佳男公式メールマガジン『これだけは知っておきたいアメリカのビジネス事情』)。

原発事故とニヒリズム

いったい何が本当なのかわからない。

福島第一原発事故の現状は、国民はもちろん現場にいる専門家さえも正確に把握できていないことが過去1週間の推移をみるだけでもわかる。

先週も首相補佐官の細野豪志と原子力安全・保安院の西山英彦の会見に出たが、彼らの期待を込めたロードマップについての発言内容と、実際に起きる事態とが前日と違っていたりする。細野の語り口と事後収拾に取り組む姿勢には誠実さがみられるが、それに反して事態がむしろ悪化していることが皮肉である。

彼は「東電の企業体質は隠蔽体質というより保守的で、こうした対応においては適さないと感じている」と会見で言ったし、「私が責任をもって」といちおう明言した。先月末の会見でも「正確性と透明性という2つの原則のもと、すべてを公開していく」とはっきり述べている。だが、それが解決につながるわけではない。

フランスの原子力最大手のアレバの技術者が福島原発1号基の汚染水を浄化する作業の助言をしていると発言した数日後に、まったくうまくいっていないかったことが判明したりする。

これは誰も原子炉のそばまで行って確認できていないので、事故の状況把握が正確ではないということだ。東電は「たぶん現状はこうだろう」といった仮定の話で過去2ヵ月引っ張ってきたことになる。そうなると交代で登場する東電社員の言うことなど何も信じられなくなる。

原発事故についての書籍を他の書き手とともに緊急出版するのでヨーロッパやアメリカの関係者に聞くと、東電と日本政府の対応についてポジティブな発言する人間はいない。日本で100万人単位のデモが起きないのが不思議であると、不可解さを示している。

日本人というのは欧米諸国からみれば世界でもっとも虚無的(ニヒリスティック)な国民と捉えられている。熱くならない。神という概念をもたない個人主義こそが日本人をニヒリズムに陥らせたとの見方もある。

ただ、仏教は虚無主義を排しているし、「空」という思想は世俗的な虚無主義とはかけ離れたもので、般若心経では「空」は何にもとらわれない無辜な心をさす。それは無常観につながる。

日本人としての心のあり方を述べても現実的な混迷からは逃れられない。そこには現実的な解決策が必要になるからで、メディアが注意深く現状を報告し、監視し続けなくてはいけないと自戒の念を込めて思うのである(継承略)