鳥獣戯画展

久しぶりに展覧会を観てきた。上野の東京国立博物館(トーハク)で開催されている「国宝 鳥獣戯画のすべて」で、平安時代に描かれた10種類以上の動物たちが、実に表情ゆたかに、愛嬌のある姿で描かれていて、心の中に大きな笑顔ができたような気がした。

上野の東京国立博物
6月20日まで開催中

自然を崇拝する側に立ちたい

東京上野のトビカン(東京都美術館)で3月28日まで開催している「吉田博展」を観てきた。吉田博という名前を耳にしてすぐに版画家であると言える方は、かなり美術の世界に精通しているはずだ。

今回は没後70周年の展覧会で、多くの木版画は心が温まるもので、吉田が抱いた美への深い憧憬がひしひしと伝わってきて愉悦をおぼえた。吉田は明治から昭和にかけて風景画家として名を馳せた人で、特に日本の山々を描かせたら彼の右にでる人はいないくらいのテクニックと美意識をもった人である。

その吉田は生前、「私は自然を崇拝する側に立ちたい」と述べており、会場を歩いていると、その言葉が作品から表出するかのような感じがあり、本当に嬉しくなった。

今回の展覧会の図録

目を見張りました!

何に目を見張ったかと言えば、ある男性にである。

先日、ランチを食べに自宅近くの中華料理店に入った。いわゆる「町中華」である。私のテーブルの斜め前に、白髪を綺麗に整えた70代半ばと思える男性が文庫本を読みながら座っていた。

すでに大ジョッキの生ビールを注文していて、一人で飲んでいる。ランチに一杯やることは悪くないが、大ジョッキを昼間からグイグイやっていたので、少しだけ「飲むなあ」という思いがあった。すぐに男性のところに水餃子が運ばれてきた。ウェイトレスが言った。

「ハイ、水餃子2人前」

私は「この人は水餃子とビールをランチにしているのかもしれない」と勝手に思った。大ジョッキが空になる頃になって、ウィイトレスが今度は焼酎のボトルと氷を運んできた。私はまた「昼間から飲むなあ」と心の中で呟いた。

斜め前の席だったので、視界にすべてが入る。男性は水割りではなくオンザロックで焼酎をグイグイやり始めた。顔色ひとつ変えずに飲んでいる。アルコールに強いことは歴然としているが、私が目を見張ったのは、餃子が食べ終わった頃に大皿の八宝菜とドンブリご飯、そして味噌汁と杏仁豆腐が運ばれてきたことだ。

その間も男性は文庫本も読みながら、ひたすら飲み、食べ続けていた。しかもどうみても私よりは高齢であるし、まったく太っていないのだ。やってくれるものである。しかも飲みっぷりだけでなく、食べっぷりもいいので、久しぶりに人の食べる姿を見て感動を覚えたほとである。

帰り道、あの人に『飲みすぎはよくない』といった陳腐な忠告は必要ないと思った。すべてを理解していて、このままでいいという達観があるように思えたからである。参りました!

今でも「チンチン電車」です

今日、ある用事があって都電荒川線に乗った。近年は「東京さくらトラム」という名前もつけられているが、私にとっては「チンチン電車」である。

いまでも出発の時にはチンチンという2連打ベルが鳴る。心がウキウキしてしまう。目的地にすぐに着いてしまったので降りざるをなかったが、景色を眺めながら終点まで乗っていたかった。

ミンミンゼミの鳴き声

今日、東京駅から仕事場に向かう途中、ミンミンゼミの鳴き声が響いていた。丸の内仲通りといわれる道には背の高い街路樹が植えられている。都会のど真ん中と言える場所だが、春から夏にかけてはセミの鳴き声がうるさいと思えるほどの時がある。

その中でも私はミンミンゼミが大好きで、つい見上げてどこにいるか探してしまう。今日も「ミーンミンミン」という声が聴こえたので、嬉しくなって探したが、かなり高い位置にいたようで見つけられなかった。

小学生の頃、私は普通に虫とり網を手に蝶やセミを追いかけていた。東京中野で育ったが、まだ野原や雑木林が残っていたので、それなりに捕れたものだ。セミではアブラゼミが一番多く、ニイニイゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシなどを捕っていた。ミンミンゼミはひと夏に一回、鳴き声を聴けばいいほうで、その時は興奮状態に入って探しに探したのを覚えている。

だが近年、子どもの頃よりもミンミンゼミの鳴き声がこだましているように思えるのだ。少し調べると「近年は都会で増えている」と書かれてあった。理由は記されていなかったが、いまでもあのミーンミンを耳にすると、子どもの頃にタイムスリップした気分になって木を見上げてしまう。心に笑顔をつくりながら、、、。