初めてのモデル

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「日本画をやっている人は誰でも描けますから」

何年も前から知っている中村春佳は少しはにかんだ表情で呟いた。

左横に座り、じっとこちらを睨んでいる。ほとんど音もたてずに鉛筆を上下左右に動かしている。

初めてデッサンのモデルになり、動かずに座りつづけることに多少の戸惑いとほのかな嬉しさを感じながら、作品ができあがるのを待っていた。彼女のウデがいいことは十分に想像できた。

直接、相対した時間だけでは終わらず、最後は自宅で仕上げてくると言った。それが上の作品である。(敬称略)

表現する自由と「いいかげんにしろよ」

今さらながらという気もするが、ツイッターやフェイスブックに載せられる写真や文章に、最近は「またかあ」とつぶやくことが多い。

SNSの利用者は十億を優に超え、何をどう書こうが、どういう写真をアップさせようが自由であるが、「ホラ、見てください」的な内容の書き込みや写真が多くてうんざりさせられる。そのため、私は数年前から積極的に利用しなくなった。

どこまで当人が意識しているのかわからないが、自己顕示欲で満たされた内容に「お友達」が本当に「いいね」と思っているのか疑問である。

レストランで出てきた一品をSNSに載せて、「これから食べます」というのはまだ可愛いかもしれない。もちろん潜在下に「おいしそうでしょう。私はこれから頂きますよ」といった刹那的な勝利と、小さな笑みが見え隠れすることは誰しもがわかっている。

それを見た人のなかには素直に「いいなあ」と言える人もいるが、私はそこまで純朴ではない。

というのも、書くことで生計をたてているので、こうした写真や内容がプロの世界ではもっとも受けないことを心得ているつもりだからだ。

読者をうらやましがらせることほど得点の低いものはない。だから優れた書き手のエッセイはほとんどが自虐である。自分を卑下して話が成り立つのだ。

林真理子のエッセイが何十年も続くのは、自分を落とし込める術を心得ているからだ。ジャーナリスティックな内容であれば、新しい情報や視点を提供しなくてはいけない。

もちろんSNSに掲載される写真や内容がすべて自己顕示欲に満たされたものであるわけはない。だが実に多い。本当に観た人が羨むとでも思っているのだろうか。

先日、カリフォルニア州の女性弁護士が半年間の活動停止を言い渡された。というのも、自分の公式ブログにヒラリーやオバマ、俳優ジョージ・クルーニーといったセレブとのツーショットを何十枚と載せたからだ。

それらの写真はすべてがあまりにもうまく合成されたニセ写真だったのだ。ネット上で実現した夢は単なる夢でしかなく、「私はこんな有名人とお友達なのよ」という浅薄な狙いは外れた。

ただ、思うのである。

日々の生活が辛く、世間から光が射しているわけでもなく、打ちひしがれるような試練の連続を乗り越えているような人が、せめてもの光をとの思いで「お友達」に見てもらう意味で「見て見て」とイタリアン・レストランで出されたパスタの写真を載せることを否定する権利はない、と。

何をどう表現するかの自由は与えられているのだから。それでも「いいかげんにしろよ」というのも本音である。(敬称略)

英語の忘れ方

英語はじつにやっかいなものである。

中学、高校、そして多くの方が大学でも英語を勉強しているが、日本の学校教育だけでは使えるようにはならない。最近では小学校でも英語を教えているところが多いが、いぜんとして英語を習得したと断言する人はほとんどいない。

私がよく指摘する問題点は二つある。一つは学校の英語教育に機能的な欠陥があること。もう一つは日本語が英語を学ぶ時に不利な言語という点である。

学校教育については歴然としている。ごく普通の高校で、英語の成績が最もいい生徒を例にあげよう。「私は英語が好きで、全教科の中では一番多くの時間を英語に割いています」という生徒でも、まともに英語が喋れない場合がほとんどだ。英語の成績が悪く、「英語は嫌い」という生徒は世界中どこにでもいるし、こうした生徒たちが喋れないことはわかるが、英語好きの生徒でさえもできないというのが日本の英語教育の悲劇であり、民間の英会話学校をはやらせる理由になっている。

二つ目はヨーロッパ言語を母国語にする人たちの方が、日本人よりもかなり容易に英語をものにできる点だ。ヨーロッパ言語と日本語の構造的な違いにより、日本人が英語をマスターするにはかなりの努力が必要となる。有楽町の外国特派員協会でいつも机を並べているオランダ人、ドイツ人、スイス人の記者たちは一度も英語圏に住んだ経験がないが、私の知る「たいへん英語のできる」日本人の誰よりも英語力が上である。それほど流暢であり、単語力も並外れている。

「英語が得意だったの?」

ドイツ人に訊くと、普通の顔をしてこたえた。

「普通に大学まで行っていれば、これくらいの英語力はつくでしょう」。つねってやりたかった。

私の人生のほぼ半分はアメリカだったので、英語は使えて当たり前である。いまはいかに忘れないかが課題になっている。別の言い方をすれば、自分の経験をとおしてどうやって言語能力が落ちていくのかを観察している。英語の忘れ方をみている。

聴く能力は幸いにも、アメリカ帰国後2年たっても問題はない。仮に半年間、まったく英語を耳にしていなくともリスニングの力は落ちないだろうという予感はある。大脳生理学的にもそうらしい。

ただ話す力は別である。なるべく毎日少しは英語を口にするようにしているが、なかなか叶わない。私のスピーキングの力は今、ゆるやかな階段を少しずつ下っている。2日前、自宅マンションの上階に住むアメリカ人とランチをともにした。2時間ほど話をしたが、以前よりも話がつっかかる。次の文章にいくまでに、一呼吸開いてしまう。野球でいえば、140キロの速球に振り遅れている感じである。

読む力も落ちていく。以前は確実に知っていた単語の意味を思い出せない。年齢のせいもあるだろう。しかし、日本で生活している以上、英語漬けの生活ではない。脳細胞から少しずつ英単語が消えていっているのは間違いない。

ただこれは外国語に限らず、母国語でも同じである。使わないと確実に落ちる。滞米生活の25年間で日本語をほとんど使わなった時期がある。その時期に英語力は伸びたが、母国語の力、特に話す力が落ちた。つっかえたり、言葉が出にくかった。会話だけではない。2年前の帰国直後のことである。町を歩いていて九州のある地名がポスターに印刷されていた。

指宿―。

「イブスキ」という地名が読めなかった。27年前は読めたという自信があるが、読み方を忘れていた。ワシントンにいた25年でこの漢字には出会わなかった。「アアアア」という声と共に、バイリンガルの難しさを思いしらされた。

多くの方は日本人がアメリカやイギリスに1年いると、それで「ペラペラ」になると思っているが、あり得ない話である。以前、留学や駐在で3年ほど英語圏にいた人が、帰国後、英語にほとんど触れない場合、早ければ半年ほどで英語力は地に落ちる。それが現実である。

努力という中学生や高校生だけに任せていてはいけない言葉を、もう一度こちらに引き寄せて実践してなくはいけないと思う日々である。

ひとつの世界一

初めて福岡を訪れた。人生のほぼ半分がアメリカだった私にとって、日本はまだある意味で小さな宝石がちりばめられたようなところがある。町並みの目新しさだけではない。サービス産業の質の高さは日本中、どこへいっても目を見張らされる。

ホテルにチェックインする直前、小雨が落ちてきた。「濡れた」といえるほど濡れてはいなかったが、雨粒が頭部やスーツの上に乗っていた。

フロントの女性はほどなくして、スッとタオルを差し出してきた。それが彼女の自発的な心遣いだったのか、システムの中に組み込まれた気配りだったのかはわからないが、こうした思いやりはアメリカにはない。良質なサービスを提供するホテルはアメリカにもたくさんあるが、かゆいところに手が届くような気遣いはほとんどない。

アメリカのサービス業界はこうした日本のよさを学ぶべきである。優しい手を差し伸べられて、いやに思う国民はいない。アメリカ人は慣れていないだけである。

福岡出張は産業用ロボットの製造・販売で世界1のシェアを誇る安川電機の社長へのインタビューが目的だった。ロボットといえばホンダのアシモがすぐに思い浮かぶが、安川電機のロボットに顔はない。

自動車の製造ラインでブイーン、クワーンと腕を振りながら、部品を取り付けたり塗装をするロボットだ。1977年に「モートマン」という製品を世にだし、業界の先導者として世界に名が通っている。

無理をいって工場を見学させてもらった。予想外のことが目にはいった。ロボットを作る工場なので、すべてオートメ化されているものと思っていた。ところが作業員もいた。手作業でボルトを締めている。

「人間の方がいまだに効率のいいところがある」

案内をしてくれた課長はこなれた説明をした。それは現時点でのロボットの限界でもある。 

産業用ロボットで世界1になったので、いまは既存の技術をベースにして民生用ロボットの製造・販売に乗り出している。日常生活でロボットができるところはロボットにやらせるという発想は新しいものではないが、間違いなく21世紀の風景の一つになるだろう。 

地方の元気な企業をみて、珍しく精神的な高揚をたずさえて帰路についた。

北の町へ

「景気は最悪ですね」

タクシーの運転手は言いなれたような口調だった。小雪が舞う函館でタクシーに乗り、街中をすすむとシャッターの閉まった店が目につく。

「ますます悪くなってますよ。東京にすべてが行っています。北海道では札幌にすべてを持っていかれている」

地方に元気がないといわれて久しい。「シャッター通り」という表現は全国で聴かれる。函館のメインストリートである電車通りは、みたところ2軒に1軒は日中でもシャッターを下ろしている。人影もまばらである。

特に市の西側の衰退が顕著だ。ゴーストタウンとまでは行かないが、捨てられた町という印象である。東京の雑踏と比較するとなおさらそう感じる。函館が1859年の日米修好通商条約で開港した当初、町は西側に築かれた。「箱館」と書かれた時代だ。だが、時代は変わった。今では西側から忘れ去られている。レンガ建ての倉庫街は観光者だけのものだ。

アメリカでも多くの地方都市は函館と同じである。私が訪れた都市だけでも何十もが函館と同じ運命にある。例えばデトロイトがそうだ。かつては200万もいた人口が現在は100万を切った。市の中心部はもはやゴーストタウンである。

「モータウン」といわれる自動車の町はいまや死の町と言ってさしつかえない。再開発が一部で進んではいるが、古き良き時代の活気が蘇ることはないだろう。

日米で共通することは多い。地方を支えるために政府が公共事業のカネをばら撒いた時代があった。けれども、中央政府が地方を支えられる時代ではない。地場産業が芽生えて「流れに乗っている」と言い切れる地方都市に生まれ変われるのは例外である。

悪いことに、今後は高齢者が多くなるため、地方都市の景気回復はおぼつかない。経済産業省が多くの地方活性化プロジェクトを推し進めていることは知っているが、函館に元気が戻ったと言えるまでには何年も必要だろう。

人口29万。道内3位の都市は観光と漁業に頼ってきた。最近ではIT企業が伸びてきているが、全市を巻き込んだ産業再編にはいたっていない。海産物をメインにしたどんぶりものは美味だが、観光者の食欲を満たして終わりである。

社会格差と都市の格差はますます広がっている。それを埋め合わせる効率的な手立ては多くない。自発的な地方への移住がいろいろなところで語られている。余生を送るためだけではなく、新たにビジネスをはじめたり、のびのびした土地のひろがりを体感する意味でも地方移住は悪いアイデアではない。

けれども、タクシーの運転手が悲観的なことを言った。

「東京にずっと住んでいた人が函館に移住しにきますよ。でも、結局また東京に戻ってしまう人がずいぶんいます。退屈ですからね。この町は」

「おいしい海産物があるじゃないですか」と言ってみたが、それが景気回復の原動力にならないことは運転手が一番よく知っていることである。明日は雑然とした東京に戻る。