タイフーン・メロウ

 

        

台風18号が本州を過ぎ去った。数日前、秋雨前線とぶつかるので大雨を降らせると聞いた。関東地方には8日の”夕刻”に通過するとも聞いた。どちらも当たらなかった。コンピューターを導入した予報でも、翌日のことさえわからない。株価の動きに似ている。

18号は国際コード名ではメロウという。ご存じの方も多いだろうが、台風やサイクロン、ハリケーンには国際コード名として男女の名前が交互につけられる習慣がある。

メロウと聞くと、多くの方は「芳醇な」という意味を思い浮かべるかもしれない。だが違う単語である。「メロウな音楽」という方は「Mellow」で、今回の台風のメロウは「Melor」。もともとはフランスの聖者の名前だ。

日本は他国にくらべるとたいへん雨量の多い国で、それが豊饒な大地を生むことにつながっている。ただ梅雨や秋雨という言葉はあっても、雨季という言葉はほとんど使わない。

雨季(レイニーシーズン)という表現は、東南アジアやアフリカなど熱帯地方で使われると思いがちだが、国外の書籍には日本にも雨季があると記されていることが多い。しかも、6,7月の梅雨だけでなく秋の長雨も雨季とされるため、日本には春と秋の2回の雨季があると書かれている。そこに台風が加わる。

そう考えると、日本は年間を通して雨が多く、地震も多いが、自然災害に対する防備策が他国より秀でているかと思う。大雨の被害という点では、最近のインド南部の集中豪雨はすさまじく、150万人が家屋を失ったという。

まだまだ台風シーズンは終わらず、19号が発生すれば今度は女性の名前がつけられるはずである。

Rio!

2016年のオリンピック開催地がリオデジャネイロに決まった。

     

                     

4候補の中ではもっともふさわしい都市だと思う。シカゴと東京(アメリカと日本)は全国民レベルでオリンピックを渇望していただろうか。

そうした空気を選考委員は感じとっていたはずだ。これまで一度もオリンピックが開催されていない南米が選ばれた点は貴重である。私が選考委員でも最初からリオに一票を投じていた。

治安の心配をした人もいようが、中南米のどの都市にいってもファベーラ(スラム街)はある。今年4月に訪れたメキシコシティには中南米最大のファべーラがあって600万人が暮らすが、すでに1968年にオリンピックが開催されている。

リオには3年ほど行っていないが、新興国としての威信にかけても南米らしいエネルギッシュなオリンピックを開催してほしい。人とカネが集まれば大きなプロジェクトが動く。そうすればカネがさらに集まり、流れ、それが世界に還元する。

世界経済、特に貿易については統計にでてくる数字以外のところでカネの流れが増大しているので、貿易赤字が増加したからといってそれで一喜一憂する時代は終わったと思っている。たとえば中国の港からカリフォルニア州ロングビーチに入港した貨物船の実質バリューの約50%だけが中国産であり、残りの半分は自国アメリカを含む他国産である。

すなわち、経済はとうの昔に国境が失せているのだ。南米は距離的には日本から遠いが、経済的な緊密度は深く、リオ五輪でつながりは深度をます。16年はまだ先だが、大いに期待したい。

ある日のアラバマ

アメリカのディープサウス、アラバマ州を訪れていた。

州の南部は湿地帯が多く、ワニが生息する。ただワニを見に行ったわけではなく、人種問題についてのナマの声を聴くためである。

    

                                                                               

いまだに人種差別が色濃く残る南部で、オバマが大統領になって何かがわかったのか、変わりつつあるのか。この答えを探るには現地で取材するしかない。

オバマの人種問題への態度は、昨年7月のブログ「オバマ、黒人としての強さ 」で触れたとおりで、彼は同年3月の演説で、「今回は(人種問題を)後回しにしない。今回は問題の核心に迫りたい。今回は逃げない」と真剣だった。私はいまでも彼の前向きな姿勢を買っているが、もちろんそれで差別が消えるほど簡単な問題ではない。

バーミングハムという同州最大の都市で、黒人たちと腰を落ちつけて話をした。市民権団体の副会長や普通の市民まで、私のために時間をさいてくれた。熱が入ってくると、彼らは同じようなことを口にした。19世紀のKKKのリンチ事件から最近起きた差別の話まで、引きも切らない。それほど黒人に対する差別は、21世紀になった今でも意識だけでなく実際の行動としても慄然として残る。

ちょうど同市にいたとき、元大統領のカーターが「黒人(オバマ)はアメリカという大国をリードしていく資格がない」という大胆発言をしたので、それまで水面下で浮沈していた問題が再びアメリカ社会の表面にあらわれた。メディアの騒ぎ方もすさまじい。驚かされるのは、知人のアメリカ人がこの発言を容認したことである。

日本人の中にも黒人に対する差別意識をもつ人はいる。そうした人たちの中には昨年、「オバマフィーバー」の波に乗っていた者もいたが、一皮はがすと黒人への差別意識が強かったりする。

差別は無知からくることが多い。一度も中国にいったことがない人が「中国は嫌い」と口にし、差別発言をしたりする。黒人に対する差別意識も同じで、どれだけ彼らのことを知っているのだろうかと問いたい。

差別は教育と、本人の意識改革で解消されていくものであると私は信じている。しかしアラバマ州の黒人女性ははっきりといった。

「たとえ差別がなくなったとしても、差別されたことを忘れることはできない」。(敬称略)

プレジデント・ロイター連載: 米金融大手のCEOの年収は、いまだに社員の300倍 

留学という国家戦略

日本経済は回復しつつあるとはいえ、労働人口の減少にともなった生産性の鈍化は今後も避けられない。GDPは今年中国に抜かれるかもしれないし、近い将来インドにも抜かれるだろう。

人口増加が当たり前の途上国が伸張するのとは対照的に、少子化の日本は経済のパイが小さくなっており、国際競争力も低迷している。解消するには二つのことが考えられる。今まで以上に国外で稼ぐか、他国から大勢の人を招くかである。

二つのオプションともに利点と欠点がある。国外で稼いでくるという考えはすでに過去何十年も企業や個人が実践してきたし、今後も継続されることに異論はないが、極論にむかうと危険である。 というのは、日本国内の高率な法人税などの影響で大手企業が拠点を国外に移転させてしまう可能性があるためだ。すでに利益の6割以上が国外からという大企業も多く、さらなる産業の空洞化が進みかねない。

もう一つは労働者の受け入れである。何百万という単位で外国人を受け入れると、社会問題が浮上することはほぼ間違いない。それを承知でホワイトカラーの労働力とブルーカラーの労働力の両方を大勢受け入れる手はある。私は100年後の日本を想像したとき、移民の混入は必然であろうと思うので、人種に起因する社会問題をいかに解決していくかは、国内で対処できる国際問題として今から前向きにとらえるべきだと考えている。

それを踏まえると、今から留学生をたくさん受け入れるべきである。日本にきている留学生は現在12万弱である。中国人がもっとも多く、次いで韓国、台湾、マレーシア、ベトナムとアジア諸国がつづく。この5カ国で全体の85%である。欧米の学生は少ない。

一方、移民の国アメリカは留学生を約62万もかかえる。人口が3億強なので見合った数ではある。驚かされるのは人口が約2100万のオーストラリアが約54万の留学生を受け入れていることである。英語圏ということもあるが、留学生が多い理由はオーストラリアの大学が大胆といえるほど積極的に諸外国に出向いて学生を招いている現実があった。教育(留学生受け入れ)をビジネスと捉えているのである。そのため、大学生の25%は外国人だ。

日本政府もじつは08年に「留学生30万人計画」を発表し、20年までに留学生数を30万にしようと動いているが、まだ数字には大きく表れていないし、ほとんどの国民はこの計画を知らない。今後政府主導の動きが、教育現場、民間企業、そして一般国民のレベルにまで広がり、BRIC’sを中心にした国から学生を大勢招き、後年の日本との関係構築に役立てなくてはいけない。

私は「留学は国家戦略」といったレベルにまで持ち上げていく必要があると思っている。政府にだけ任せておくべきことではない。他国から国内にカネを落とさせるという意味でも重要であり、日本の将来を見据えた時にもっと力を入れるべき分野である。

留学後に帰国した学生たちが日本を嫌ってもいい。親日派でなくても知日派であれば、いずれ関係構築が生まれる可能性はある。留学後に日本国内にとどまる学生を増やし、知力を活かしてもらう。本腰を入れるべき課題である。

 連載コラム:「分裂」したマイケル、「統合」したオバマ

上海の夜

アメリカ大統領選挙が終わってすぐ、航路で上海に渡った。

「堀田さん、船に乗って原稿を2、3本書きませんか」というお誘いに嬉々としてうなづいた。

船は横浜港からまっすぐ西進せず、瀬戸内海の島々を抜けてから豊後水道を南下し、それから東シナ海を横断する航路をとった。

飛行機であれば、成田から上海まで約3時間だが、ゆったり旅は4泊5日で進む。ありがたいことである。ただ、携帯電話もインターネットも使えないというのは、私のようなフリーで生きている人間にとっては仕事の依頼を失うことでもある。だが、開き直るしかない。

日常からの脱出をはかると、思わぬところで思わぬ発見がある。まず人との会話に深みが増す。自分自身について深く考える機会ができるので、思索と呼べるほど大したものではないが考えに深度が増す。

ただ残念なのは、船から降りるとまたいつもの私なのである。上海について携帯電話とインターネットの環境が整うと、すぐに忙しさの中に自身を埋没させてしまう。それで安心感があるというのはどういうことなのだろう。都市生活の弊害と言ってしまえばそれまでだが、もう逃れられないところまできている。

上海は相変わらずの風景だった。新築高層マンションの10メートル横には、今にも朽ち果ててしまいそうな古い民家が並んでいる。民家の二階の窓からは洗濯物が干されている。

それはパリコレでスポットライトを浴びる180センチの女性モデルと、着古したパジャマのまま路傍にたたずむ148センチの歯の抜けた老婆が並んでいる風景である。超近代と昭和30年代の日本の混在という風景は5年前と同じである。

「中国は半年行かないと風景がガラッと変わる」と中国通の知人に言われるが、私にとってはまだ想定内である。

この前まであった民家がなくなって高層ビルが建設されているという点ではあたっているし、以前まで農地だった浦東地区にマンションが建ったということでは見ていて面白いが、都市風景という視点からの上海は何も変わっていない。

世界で2番目に高い「上海環球金融中心(上海ヒルズ)」の最上階に上がって町の夜景を見ても、きらびやかさは増したが、あと5年たっても148センチの老婆の身長は伸びない。そんな印象である。上海の夜景が途切れる地平線の向こうはまだ暗黒である。

中国の本当の強さはそうした老婆がすべて他界したあとにくるのだろうと思う。漠然としているが、15年先というのが私の見立てである。

その時はほとんどすべての経済指標で中国は日本の上を行くだろう。IMD(スイスの国際経営開発研究所)が毎年発表する国際競争力のランクで、日本はすでに22位である。

上海の夜景を眺めながら、日本の不穏な行く先を憂うのである。