シリア難民が売春婦に

日本のメディア、特にテレビは世界中で起きている悲惨な状況を伝えようとしない。この傾向はますます強まるばかりである。

視聴者が残虐なシーンを観たくないというのがその一因だが、それは世界の現実から眼をそむけていることに等しい。虐殺された遺体を映すことはないし、新聞や雑誌でもほとんどその事実や光景を報道しようとしない。

日本人が軟弱になったというわけではないと思う。一部の人間の意見や不満に耳を傾け過ぎている結果だろうと思う。

前置きが長くなった。あまり日本のメディアでは報道されないが、長引くシリア内戦によって、すでに100万人以上のシリア人が周辺諸国に脱出している。もちろん戦争難民としてである。

特にレバノン、ヨルダンには30万人を超えるシリア人が入った。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は国際社会がもっと協力してほしいという主旨のことを呼びかけたが、日本を含めた西側諸国は地理的に遠距離ということもあり「ひとごと」として見過ごしている。

ヨルダンなどは難民へのエネルギーや医療のサポートをはじめ、もう限界に近づきつつある。日本のような先進国であっても、仮に北朝鮮から30万人の難民が入国したら大騒ぎである。それを考えるとカネの支援だけでなく、人的な支援は重要だ。

しかも、難民の多くが金銭的に貧窮しており、10代の少女が売春をおこなうようになっている。もちろん、一部の女性たちだが、父親が娘や妻を売る姿も珍しくないという。

彼らはUNHCRが設営したテントの中で売春行為をおこなっている。しかも1回7ドル(約660円)。1日の拘束で70ドルだという。家族を喰わせるために娘を売る。娘は家族を助けるために体を売る。

これほどの窮境がいま日本にあるだろうか。少なくとも、こうした事実を大手メディアが大きく伝えるべきである。それがジャーナリズムである。

「そんなことは知りたくない」という声は封印してもいい。

つぶやき勝ち:ツイッター

玉石混交のネット情報の中で、ツイッターやフェイスブックで発さられるメッセージの影響力がいい意味でも悪い意味でも増幅している。深くものを考えずに、その場で一言ふたことつぶやいたことが、他者の心を傷つけることが増えている。

つい先日も、イギリス人の15歳の少女がツイッターでつぶやいた一言で、会ったこともない人から「死ね!」と返礼される事件があった。

彼女は別に人の悪口を書いたわけではない。カナダ出身の人気歌手ジャスティン・ビーバーの新しいCDについてコメントを書いただけである。しかも「新しいアルバムはいい感じ!」と褒めたにもかかわらず、ビーバーのファンから攻撃を受けた。

背景がある。1つは、彼女がビーバーの「熱烈なファンではない」ことを認めた上でコメントした点。もう1つはその「新しいアルバムはいい感じ!」というツイートが、なんとビーバー本人によってリツイートされたことだった。

ファンにとっては熱烈なファンでもない人のコメントがビーバーにリツイートされたことが許せなかったのだろう。中には12歳の見ず知らずの少女が「死んでほしい」とまで書いた。

たぶん少女であっても、批判を書いた本人は2日くらい経てば「なんてことを書いてしまったのだろう」との思いを抱くかもしれない。嫉妬心は継続することもあるが、まともな人であればその行動が常道を逸していることはわかる。

SNSがなかった時は、メールか手紙で思いを伝えた。思いを伝えるまでに少しばかり考える時間がある。さらに、まず書く相手を選ばなくてはいけない。ツイッターは単なるつぶやきだから、不特定多数の人間に自身の憤懣を吐けばいいだけだ。

つまり、相手がひどく傷つくことを想定していないのだ。想定していたとしても曖昧な想定であることがほとんどで、「つぶやき勝ち」としての逃げがそこにある。

私も過去何年か、ネット上でも原稿を書いている。それに対し、ツイッターやフェイスブックでかなり辛辣な批判や反論を浴びせられることもあるが、職業上もう慣れているのでなんともない。

ただ私に直接メールや手紙で文句を述べてくるガッツのある人は皆無に等しい。いないことはないが、これまで何かモノを言ってきた人はいずれも社会的にかなり認知された人がほとんどだった。

つまり、実名を公表してまで直接私にいうのではなく、「俺はこう思ってんだけど、、、」と自身の意見を世間に発露することで存在意義を確かめる作業をする場合が多い。

もちろん、SNSによる肯定的な言論も多いし、そこから利益が生まれ、プラスに働くことがあることはよく承知している。だが、正直に述べると、私はもう両方とも飽きてしまった。(敬称略)

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無知であることを知る

長年モノを書いて生計をたててきた。最近あたらめて思うのは「無知の知」ということである。

ソクラテスの名前をだすまでもなく、「人は自身が何も知らないということを知ることで真理に近づける」との考え方がある。

殺人事件から大統領選挙、ビジネスの諸事情や人物のインタビュー記事まで、自分ではかなり守備範囲が広いと思っている。専門分野以外にもかなり踏み込んでいる。

それだけに、一つの分野に深く入れば入るほど、そして多くの分野に首を突っ込めば突っ込むほど「自分は何も知らない」ということを痛感させられるのである。ルネッサンス時代であればまだしも、どの領域でも世界中に専門家がいる。

その道に入って50年という人も少なくない。そんな人たちを前にすると、どうあがいてもその分野では適わないという結論にいたる。その時は静かに耳を傾けるしかない。

知らないことは恥ではなく、むしろそこから何を考え、どう社会が展開されていくかに尽力した方がはるかに賢明だとわかっていても、あまりに基本的なことも知らないと、「エッ!」と驚かれる。

たとえば美術分野の専門家にとって、フランス人のシャルダンは知っていて当たり前の画家である。いや、知らなくてはいけない人らしい。だが私は知らなかった。

だから「エッ、知らないの。それはちょっとまずいでしょう」と言われた。シャルダンと言えば、私の中では芳香剤である。

ジャン・シメオン・シャルダン。18世紀のフランスに生きた画家で、のちの印象派に大きな影響を与えた。シャルダン展が東京千代田区の三菱一号館美術館で今年1月まで開かれていた。

これほど精緻で穏やかな静物画はないかもしれない。柔らかなタッチの中に緻密さが秘められている。素人の私でさえも、「こんなにうまい静物画の書き手がいるのだろうか」と思ったほどだった。

少しだけ知ることと同時に、自分がまた知らないことを知るのである。

日米首脳会談:オバマと安倍の密約?

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by the White House

日米では大局観が違う-。

ワシントンで行われた日米首脳会談で、あらためてそう感じた。今回の会談で、「どうしても会いたかった」のはもちろん安倍である。オバマにとって、いま安倍と顔を合わせて詰めなければいけない喫緊の課題はない。

過去30年、ほとんどの日米会談がそうであったように、その思いは一方的である。首相の座についた日本の政治家は、まずワシントンに出向いて大統領に挨拶してきた。アメリカ側の本音は、顔見せ興行的な会談に「会う必要はないけど、来たいのなら会いましょう」といったところである。

今回の会談のテーマを敢えて挙げるならば、オバマにとっては北朝鮮の核問題と尖閣問題。有事のときに何ができるか確認しておきましょうとなる。それがアメリカ側の会談テーマであり、それ以上でもそれ以下でもない。

もちろん、こうした会談の前には外務省、財務省、経済産業省等の官僚が、アメリカ側の役人と会談内容を詰める。TPPやエネルギー問題等は、オバマにしてみるとあくまで「周辺の案件」にすぎず、「せっかく安倍さんがホワイトハウスに来るんだから、まあお話しましょう」くらいの思い入れのはずである。

ただ今回の会談で、私は安倍がひとつだけオバマを頷かせたことがあると思っている。邪推かもしれないが記したい。

安倍はなんとしても今夏の参議院選挙で自民党を勝たせない。そのためにはアベノミクスの効果を夏までもたせなくてはいけない。

現在、円安誘導が功を奏している。それによって輸出業に追い風が吹いている。一方、オバマも輸出倍増論を唱えており、ドル安がアメリカの輸出企業にとっては都合がいい。この点で両者の利害はバッティングする。

ところが安倍はオバマに対し、「参院選まで日本の円安誘導には目を瞑ってほしい」と懇願したのではないか。この条件を飲んでくれたら、日本はTPPに参加しますからといった密約が取り交わされたのではないか。

こうした取引は十分に可能である。自民党が参院選に勝てば、あと3年は自民党の天下である。

同盟国の首脳というのは、こうした約束を交わせる。つまり、オバマの任期が終わるまで安倍も首相を務めるということであり、2人の関係が厚くなることを意味する。

もちろん、上記のことが実際にあったとしても、大手メディアには絶対にでてこない。(敬称略)

「僕にはさがる道がない」

18日、日本外国特派員協会の記者会見に現れた第70代横綱日馬富士。

「僕には家族もいるし、モンゴルという国も背負っている。ここ(日本)で立派に生きることが国への恩返しになる」

そういった後、相撲を辞めて国に帰ることなど選択肢にないという意味で、冒頭のセリフを述べた。

モンゴル人の心意気というより、前に進む以外に道はないという生き方にこの横綱の強さの源泉をみるのである。

それはまた、日馬富士の土俵上でのしきりの仕草にも表れている。まるで腕立て伏せをするように深いしきりをする。角界一深い。

「あれは気合いを入れているのです」

そしてこうもいった。

「本当に相撲協会には感謝しているのです。やらせて頂いているという気持ちです。そして努力はウソをつかない。自分を信じてね、汗と涙で、死ぬ思いで稽古しています」

虚言ははいていないだろう。言葉を選びながら、1時間半の質疑応答に丁寧におうじる姿は外国人記者から好感がもたれた。

「考え方がポジティブだよね」(ドイツ人記者)

そして最後にいった。

「僕はこれから(の横綱)です」

この言葉には気迫が込められていた。日本人も続かないといけない。(敬称略)

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