オバマの春休み

日本の大手メディアはほとんど報道していないが、今週末、オバマはフロリダ州ウェストパームビーチでゴルフに興じている。

先週、一般教書演説をすませ、16日にシカゴからエアフォースワン(大統領専用機)でフロリダに入り、すぐに気のあった仲間とラウンドを楽しんだ。彼にとってのスプリング・ブレイク(春休み)である。

仲間が誰なのか気になるところだ。日本ではほとんど馴染みがない人たちだが、オバマにとって「気のあう仲間」というのは誰なのか。

まずゴルフコースの所有者であり、大リーグ球団ヒューストン・アストロズのオーナーであるジム・クレイン。そして米通商代表部(USTR)代表のロン・カーク。元テキサス州ダラス市長で同じ黒人同士、休みにはよくつるんでゴルフをする。

あとはシカゴ時代からの友人の医師エリック・ウィッテイカー。財界からはアンソニー・チェイス、ミルトン・キャロルといった顔ぶれがそろった。そしてゲストとしてタイガー・ウッズがやってくる。

共通しているのが、昨年のオバマの再選時、ほとんどが多額の献金をしたということ。そしてみな億万長者ということである。

彼らの春休みというのは、単にゴルフをするというレベルにとどまらない。ゴルフが終わったら全長61フィート(約18メートル)のクルーザーで海にでてパーティである。

アメリカなのでもちろん家族も一緒だ。総勢50人前後になる。ヘリコプターで送迎をし、スパとフィットネスセンターがついたロッジを貸し切る。

アメリカの億万長者としては、これが「普通」である。オバマはもっと「庶民」のはずだったが、この生活が当たり前になって、一般市民の心はもう理解できないかもしれない。(敬称略)

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by the White House

抜け落ちた記憶

昨年11月末、中学の同期会が地元の中野サンプラザで行われた。

私は幹事の1人だったので、当日は受付に座って出席者の対応をしていた。そこにK君が現れた。

中学卒業以来、一度も顔を合わせていない人である。だが、K君であることはすぐに判別できた。

彼とは中学1年時のクラスが同じで、大変気が合った仲だった。休み時間はよく2人で話をし、行動も共にした。その彼が、私の顔を見るなり驚くべきことを口にした。

「堀田君、バレンタインデーのこと、覚えている?」

それは間違いなく中学1年時の2月14日を意味していた。というのも、2年と3年ではクラスが別だったので、1年生以外は考えにくい。

「いやあ、なんのことだろう」

当時から女子が男子にチョコレートを贈る習慣はあった。だが、まだ義理チョコはなかった。チョコレートを贈るというのは、それはほとんど本命の彼に告白するということなのだ。

私は自分がチョコレートをいくつもらったのだろうかと考えたが、思い出せない。

K君はこう告げたのである。

実は、私が彼の自宅までチョコレートを手渡しにいったのだという。それも女子に頼まれたわけではなく、私が自分のチョコレートを彼に贈ったのだ。

衝撃的なことだった。欧米であれば、男子が女子に思いを伝えることは一般的だが、日本では当時も女子から男子の流れが当たり前である。

驚嘆したのは、私が友人のK君にチョコを渡したという点と同時に、その事実をすっかり記憶から消し去っていたことだった。

忘れられないほどの羞恥の対象となる出来事でもないし、自慢できるほどのことでもないので、記憶の中に残らなかったのか。いまだに見当がつかない。

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坊主事件で得をした人

AKB48の峯岸みなみの坊主あたまのニュースが世界中で話題になっている。

日本の芸能ニュースがアジアだけでなく、欧米に伝わることは稀である。それだけ坊主あたまの動画が鮮烈だったということだ。欧米では、あの姿は第二次世界大戦のナチスドイツによる強制収容所の女性たちを想起させる。

アメリカでもツイッターやブログで賛否両論が見られるが、批判的意見が主流である。いくつか興味深いコメントをご紹介したい。

「AKB48はファンタジーの世界を作りあげることに成功したのだと思う。マネジメントはそのファンタジーを維持するためにメンバーの恋愛禁止を謳っているのだろうが、実際のメンバーは現実の世界で生きているので恋愛は当たり前。恋愛禁止という規則は今の世の中には合わない」

「 AKB、、、ほとんどカルト集団にしか見えない」

「アジアのポップカルチャーがアメリカと違うことがこの問題でよくわかる。恋愛がいけない?テイラー・スウィフトがこのグループのメンバーならば、毎日あたまを剃らなくてはいけないな」

「あの坊主あたまはカワイイと思う」

「メンバーが同じユニフォームを着て歌う?モンキーズ以降、欧米では思い浮かばない」

結果的に、峯岸みなみのこの騒動でAKBのパブリシティーが倍加し、グループへの注目度がさらに高まる結末になったのは皮肉であり好機である。しかも世界的にAKBの存在をしらしめることになった。

峯岸はそこまで計算していなかっただろうが、秋元康は恋愛の規則破りを最初から見越していたはずである。20歳前後の若者に恋愛を禁ずることは、「高校3年間は絶対に寄り道をしないで帰宅すること」というような、最初から守れない不条理なルールに等しい。

少女たちも、このルールがあるならAKBのオーディションを受けないとは考えない。すべては秋元の思惑どおりで、彼の掌の上に乗せられた少女たちという思いを強くした。

この点で、坊主あたま事件でも秋元は勝利を確信したはずである。(敬称略)

自分を信じるということ

アメリカの人気TV番組に「アメリカン・アイドル」という公開オーディションがある。アメリカ版のスター誕生である。

日本でもフォックス・チャンネルで視聴可能だ。すでにシーズン12に入っており、今シーズンからマライア・キャリーが審査員に加わっている。

ひさしぶりに一次審査を観た。歌のうまい下手よりも、あらためて驚かされたのはアメリカ人の自身を信じる力である。

当ブログで何度も書いているのでくどいようで申し訳ないが、私はアメリカに25年も住んでいたので、アメリカ人の一般的な気質や文化はかなりわかっているつもりである。

だが、いまさらながら、参加者たちのほとんど根拠のない自信はどこからくるのか考えさせられた。

一次審査は4人の審査員の前でアカペラで歌う。ほとんどがダメだしを受けて敗退する。

敗れたあと、「うまくないのは最初からわかっていますから」とか「出直してきます」といったコメントはほとんど聞かれない。

「なんで私が落ちたのかわからない」「審査員はきっと疲れていたのよ」「彼らの目は節穴よね」と平然といってのける。

自分は決して悪くないという姿勢を貫く。こんなに素晴らしい歌声を持っていながらなぜ理解されないのか、という態度が主流である。

最初から音程が外れていた女性の歌に、マライア・キャリーは手を震わせながら、もう聴いていられないとばかりに席を立った。それでも歌い手は自信に満ち溢れた態度でいる。

すべての参加者がそうではない。だが実に多いのだ。

私はこの気質が手に取るように理解できる。挫けない、折れない、落ち込まない人間性がDNAに刷り込まれているかのごとくなのである。

酷評されて敗退した女性は、スタジオの外で待っていた母親のもとに駆け寄る。なぜ自分が落ちたのかわからないとまくし立てた。そして母親は娘につぶやくのである。

「あなたほど綺麗な歌声をもった人をしらない。素晴らしいのよ」

それはある意味で、親が子を慰める時の教科書のような言動だった。何が起きても子を信じ、肯定的な言葉を投げて安堵を与えるのである。

逆に、こうした親の愛を受けそこねた子は「自信」という人間がもつべき心の膨らみを抱きにくい。いや膨らみどころか、心にくぼみを宿して大人になることが多い。

この「自信」はいい解釈をすれば逞しさに通じる。だが増長すると過信になり傲慢へと変わる。

少なくともマライア・キャリーやプロの歌手が「あなたは歌手を目指すのは辞めた方がいいかもしれない」とアドバイスした後、「信じられない。彼らは疲れていたのよ」とカメラの前で断言できる精神構造は日本人はほとんどもちあわせない。

雨にも負けず

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(Strong in the rain

Strong in the wind

Strong against the summer heat and snow….)

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにもまけぬ、、、、

明治から昭和にかけて生きた宮沢賢治の詩の冒頭部分である。

先日、日本外国特派員協会で「Strong in the Rain」というタイトルの本(英語)を紹介する会があった(私はMC)。

著者はルーシー・バーミングハムとデイビッド・マクニールというジャーナリストで、バーミングハムは「タイム誌」で健筆を振るい、マクニールは英「インディペンデント紙」で活躍している。

宮沢賢治についての本ではない。2年前の大震災を、6人の日本人の目を通して描いたノンフィクションである。

東京電力や菅内閣を批判し、被害を受けた一般市民に寄り添うことはたやすい。だが彼らは批判も賞賛もほとんどせず、淡々とありのままを述べるスタイルを貫いている。

欧米人があの震災をどう捉えようとしたのか。一読に値する書物である。