変わらない政治とカネの問題

安倍内閣の女性閣僚2人が辞任した。小渕の後任である宮沢洋一にも政治活動費で疑念がうまれている。

政治とカネの問題はもちろん今にはじまったことではない。閣僚の人事をきめる時のずさんさはいかんともしがない。「身体検査」のシステムがないので早急に構築しなくてはいけない。

第1次安倍政権でも同じ問題が浮上して閣僚が辞任している。その時、朝日新聞にコラムを書いた。言いたい内容は7年後の今でもまったく同じである(下記)。7年間、何も変わっていないということだ。

ご参考まで、コラムを添付します。(敬称略)

朝日新聞2007年9月20日朝刊

安倍首相の突然の辞任表明から1週間がたち、政治の話題は自民党総裁選に占有されている。だが、政権与党の国会議員による「政治とカネ」の問題が解決したわけではない。
新政権になっても、金銭絡みの閣僚らの不正が再び表面化する可能性は高い。というのも、首相官邸を含む日本の政府機関には、本当の意味での「身体検査」のシステムがないからだ。

私はジャーナリストとして米国のワシントンに25年住み、今春帰国したが、閣僚を含めた政治任用職(ポリティカル・アポインティー)の人選については、米国の徹底ぶりをまざまざと見せつけられた思いが強い。

米国の首相官邸にあたるホワイトハウスには人事局があり、長官などに空席ができると、まず多岐にわたる視点から候補者を挙げ、その全員に連邦捜査局(FBI)と内国歳入庁(IRS)が徹底的な「身体検査」を行う。通常で3カ月を費やす。

同時に、人事局は候補者との面談と書面により、家族の詳細、健康状態、21歳以後の全所得と全収入源、財産、所属機関の詳細、各種支払いの滞納の有無、新ポストに批判的な知人の有無、養育する子供がいる場合の費用延納の有無、さらに家族が大統領を否定する言動を過去に行ったことがないかなどまでをただす。まさに本格的な「身体検査」だ。日本のような会計検査院の指摘レベルではない。

このハードルをクリアした後、候補者は連邦上院司法委員会の公聴会に出席し、議員の質問にさらされる。その上で、本会議場で過半数の賛成を得て承認されなくてはいけない。米国のような海千山千の人材がひしめく環境では徹底的な「身体検査」が必要になるのだ。

89年、ブッシュ(父)政権誕生時、知日派として有名なアーミテージ元国務副長官が国務次官補に指名されたことがある。しかし、彼はイラン・コントラ事件への関与を疑われ、不適格として却下された。システムが確立していたことで公職に就く前に落とされたのだ。

92年、私がホワイトハウスの記者証を申請した時のこと。FBIは3カ月かけて私の身辺を捜査した。当時住んでいたマンションの管理人や同じ階の住人にも捜査官が聞き込みに来た。ある夜、管理人が「あんた、FBIが来たわよ」と慌てふためいていたことを思い出す。記者に対しても当然のように「身体検査」をする徹底ぶりである。

こうした厳しいプロセスを当たり前ととらえ、議員や政治任用職の人たちは普段からカネの出入りの透明性を保っている。もちろん、あらゆる分野での違法行為とは無縁でいなくてはいけない。税金で給料が支払われる公僕である以上、当然との意識である。

それに比べると、日本の議員のカネに対する「ゆるさ」はいかんともしがたい。すべての議員がそうというわけではないが、「これくらいは許される」といった甘さは正すべきだし、日本文化と開き直っている時代ではない。

米国のシステムが万能であるわけではない。日本がやみくもに米国のシステムに追随すべきでもないが、使えるものは積極的に生かし、日本流に変えて採用すべきだろう。

少なくとも首相官邸の「身体検査」はシステムとして機能していない。日本独自のプロフェッショナルな「身体検査」を早急に確立すべきである。旧態依然とした自民党的な人事はもはや過去の遺物だ。小手先だけの検査では、問題の本質的な解決にならない。

7キロ以上はあるね、、に涙

さわやかな青空が広がっていた。朝から清々しい天気である。

午後から仕事をする予定だったので、午前中に1時間ほど汗を流そうと思っていた。久しくサイクリングをしていなかったので、自転車に乗って荒川の土手を走ることにした。

さっそうと(自分だけそう思っている)こぎ出す。しばらくして荒川に着くと、大勢の人たちがペダルを漕いでいる。

下流に行くか、上流に向かうか。

どちらかに進んで、折り返してくるつもりだった。まず上流に30分ほど走ることにした。

普通に漕いでいるつもりだったが、ドンドン抜かされる。ユニフォームを着た軍団も走っていて、ちょっと怖い。

舗装されたトレイルの横には野球用のグラウンドがたくさん整備されていて、少年野球の試合がいくつも進行している。女子が男子に混ざってプレーしているチームもある。

30分ほど走ってから引き返す。だが同じ時間を戻っても、最初に到着した土手の場所がわからない。周りの風景は似ていた。

誤算があった。引き返したあと、野球の試合を数カ所で観てしまったのだ。どれほど時間を費やしたかはわからない。

引き返してから45分ほど経っても最初に到着した場所は現れない。どんどん下流の方へ走った、、、走ってしまった。

気づくと、引き返してから1時間も走っている。「東京湾に出てしまう」と思った。土手を上がって町にでると、まったく知らない風景が広がっている。

太ももの筋肉は重くなってくるし、お腹は減るし、サドルがあたる臀部は痛くなるし、そのあたりに自転車を放置してタクシーで帰りたかった。

停車中のタクシーの運転手さんに自宅までの帰り道を訊くと親切に教えてくれたが、最後に「7キロ以上はあるね」との言葉に、涙がでそうになった。

その日は結局、30キロ以上を走破する苦行になってしまった。老体にムチを打っても老体のまま、、哀れ。

人間を突き動かすもの

日本人の研究者3人がノーベル物理学賞を受賞した。明日の文学賞では村上春樹がスポットライトを浴びるかもしれない。

物理学賞に輝いた3氏だけでなく、村上春樹も長年、候補として名前が挙げられてきた。その他にも日本人で候補になっている人は数多い。

9月下旬、大手新聞社の科学部の記者から電話が入った。

「満屋先生が10月6日発表のノーベル医学・生理学賞を受賞するかもしれません。その時にはコメントを頂けますか」

「私でよければ喜んで」と告げた。

記者は数多くの候補名を事前に入手し、受賞後に書く記事を準備しているようだった。満屋先生というのは、拙著(『MITSUYA日本人医師満屋裕明―エイズ治療薬を発見した男』)で半生を描いた医学者だ。

1980年代半ば、アメリカの首都ワシントン郊外にある研究所で世界で初めてエイズウイルス(HIV)に効く薬を開発した人である。

90年代から満屋がノーベル賞の候補に挙げられているという話は耳にしていた。だが残念ながら、昨日(6日)のノーベル賞の発表時に満屋の名前はなかった。

実は今年の医学・生理学賞の候補として、世界中から283名の名前があがっていた。その中からさらに46名に絞られていた。

ただ、賞というのは視界の外から降ってくるサプライズであり、ノーベル賞を目指して研究している人はいない。というのも、それが日々の研究の動機にはならないからだ。活動のエネルギーはそこから去来するものではない。

もっと人間的である。というより情調的である。

今回物理学賞を受けたカリフォルニア大の中村修二は記者会見で、研究が持続できた理由を訊かれ、「怒り以外に何もない」と言った。奇しくも、イチローが昨年4000本安打を打った10日後、「屈辱によって支えられてきた」と述べたことに共通するものを感じる(屈辱に支えられている )。

人間を突き動かすものというのは意外にもそうした感情なのかもしれない。(敬称略)

なぜ盗らないのか

2007年、アメリカから帰国してすぐの頃、仕事の打ち合わせでJR市ヶ谷駅に行くことがあった。駅に隣接されたスターバックスに入ると、レジには行列ができている。

「まずお席をおとりください」

店員が大きな声で来店した客に叫んでいる。

これには驚いた。席を確保するというのは自分のバッグを席に置けということで、アメリカやヨーロッパ、また世界の他地域ではほとんどありえない。

「どうぞ盗んでください」と同義語だからだ。

不安だったが指示されたとおり、自分のバッグを席に置いてコーヒーを注文しにいった。戻っても、バッグはそのままだったのでホッとしたのを覚えている。

日本にも窃盗犯はいるが、こうした状況でバッグを盗まれることは稀だ。

昨日、同じようなことがあった。

実は3日前、自宅近くのコンビニに行った時、手にしていた傘を入り口の傘立てに挿した。買い物をすませ、傘をそのままにして帰宅した。雨は止んでいたからだ。

情けないのは、それに気づいたのが昨日だったことだ。傘を置き忘れてから2日たっている。客の出入りの多いコンビニで、昨日は時々雨がふっていたので誰かに抜き取られた可能性が高いと思っていた。

骨が16本ある、しっかりした傘で気にいっていた。

昨夜、いちおうコンビニに向かう。30メートル手前から私の傘が傘立てに突き刺さっているのが見えた。

「誰も盗らないんだ」

傘を握りしめてコンビニのレジの女性に告げた。「やったあ!ありました。3日前に忘れたんです」

レジの女性はほとんど驚いた様子もみせず、「よかったですね」とヒトコト。

この話を諸外国に伝えたい―。

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想像の外側

毎日、いろいろなことが起きる。ただ想像を絶するようなことは極めて少ない。

人間が生をうけた時から死を迎えるまで、人の営みというのは大方が想像の枠のなかに入る。たとえば結婚を1度もしたことのない人であっても、結婚生活に思いを馳せれば、その営みは十分に想像の範疇の内側にくる。

もちろんカップルによって接し方や習慣が違うが、想像の外側にくるようなことは稀だ。

ただ今回の兵庫県神戸市長田区で起きた小1女児殺人事件は、容疑者君野の精神性という点で、なかなか理解できない。障害があったとの報道があるが、それでも殺害後に遺体をバラバラにするという行為は簡単に咀嚼できない。

今月初旬、アメリカのオハイオ州でもバラバラ殺人事件があった。世界のニュースに眼を這わせていると、バラバラ殺人事件は少なくない。

オハイオ州の事件は犯人の男が元恋人を殺害後、遺体を切断して心臓や肺、脳を食べている。カニバリズム(人肉嗜食)は日本では珍しいが、実はバラバラ殺人の時にはよくあることで、世界では年に数回ほどはあるかと思う。

犯人たちが「精神を病んでいる」という言葉で片付けてしまうことは簡単だが、問題はそれほど単純ではない。行為そのものよりも、犯人たちの内に秘めた闇を理解しようとしても、いまの私にとっては想像の外側にあることなので手がとどかない。

仮に長時間のインタビューをしたとしても理解できるかどうか、わからない。女児のご両親の胸中を察するとなおさらに釈然としないものが残る。