STAP細胞からの反論

「やはりダメでした」という発表が先週金曜(19日)、理化学研究所によって行われた。

世界中を巻き込んだSTAP細胞の有無をめぐる議論は、「ありませんでした」という結論で落ち着いた。数ヵ月におよんだ検証実験でも、STAP細胞を確認できていない。

ただ私はここで「STAP細胞からの反論」を展開したいと思う。

STAP細胞からの「オーイ、俺を消さないでくれ!」という声が聴こえてきそうだからである。ふざけているわけではない。真剣である。

反論の唯一のよりどころをこれから記したい。

以前にも 書いたが(STAP細胞のゆくえ )、4月の記者会見で小保方は「現象論を示しており、最適条件を示したわけではない」と言った。さらに「コツやレシピーのようなもの」があるとも説明した。

生きた細胞を使った実験において、研究者が作りだす特異的な実験環境は極めて重要であり、特定の条件下でだけ実験が成功することが少なくないからだ。

たとえば、取材で次のような例に出会っている。エイズの研究者である満屋裕明が最初にウイルスに効果のある薬を発見したとき、満屋がつかった細胞は人間の血液(ヘルパーTリンパ球)だったが、誰の血液でもよかったわけではない。

同僚の医師たちから実験用の血液を注射器でとっているうちに、日本人医師Yの血液でないと実験がうまくいかないことがわかったのだ。Yの血液は試験管内でよく増殖し、エイズウイルスに出会うとすぐに死ぬという 特質があった。論文では、その血液を単に「YTA1」としか書いていない。

「Y先生の血液でないとだめだったんです」

満屋は後年、そう語っている。

そのため、他の研究者が追試をしようとしても同じ結果が得られるとは限らない。生きた細胞を使う実験では、こうしたことがよくあるのだ。私は4月の時点で、小保方は自分だけのコツをつかんでいると踏んでいた。

しかし今回の検証実験では、9月から11月末まで45回以上も実験を行ったがSTAP細胞をつくりだせなかった。

もし本当に小保方が以前、200回以上も実験に成功していたとしたら、何がいけなかったのか、何が足りなかったのはを熟知しているはずで、それを踏まえて再度チャレンジしてほしいと思う。

画像捏造や改ざんが発覚した時点で、研究者としての信頼は失墜していたが、STAP細胞だけは本当に見つけたのかもしれないとの思いは春先から今にいたるまで消えていない。しかも論文の共同執筆者の1人である理研の丹羽仁史は以前、「少なくとも(STAP細胞を)3回は見た」と語っていた。

このまま「ウソツキ晴子」で終わってしまうのか、それとも「STAP細胞はあります!」と科学界に再度胸を張れるのか、私はまだ最終章の幕は下りていないと思っている。(敬称略)

「僕も聞きたいね!」

matsui1.JPG

大リーグのヤンキースで活躍した松井秀喜が17日午後3時、日本外国特派員協会の会見に現れた。

来年3月に行われるチャリティー野球の広報としての役割でメディアのスポットライトを浴びたのだ。記者を含めて200人以上が詰めかけ、テレビカメラも10台以上が正面から松井を狙う。ジャイアンツ監督の原も横に座っている。

会見内容はチャリティーに限定されていたため、松井はそれ以外の質問には答えようとしない。これまで多くの質問を受けてきている経験から、巧みに質問をかわす術を会得している。

しかし訊かないわけにはいかない。私は手を挙げた。

「ジャイアンツから監督の要請があったら、原監督のあと、引き受けますか」

「困りましたね、、、」。松井はいい顔をしなかった。

すると原が言い放つ。

「僕も聞きたいね!」

拍手と笑いがおきた。だが松井は乗ってこない。

少しうつむきながら、「違うところ(機会)で話をした方がいいですね」と静かに言った。

その言葉で松井という人間の実直さがわかった気がした。それ以上は誰も突っ込まず、少しばかり白けた空気が漂う。

自らが笑いを作り、周囲を哄笑の渦のなかに巻き込むことはないが、この人ならば間違ったこともしないという思いがある。それが彼のよさなのかもしれない。(敬称略)

ヒョウ柄のどら焼き

kuromatsu1.jpg

先月、テレビのニュース番組に呼ばれた時、上のどら焼きを紹介させていただいた。

打ち合わせでスタッフは、「堀田さんのお好きなスイーツを紹介するコーナーがあります。何を紹介するか考えておいてください」と言った。

数日後、ディレクターから電話があり、「洋菓子ではブールミッシュというケーキ店さんのシブースト、和菓子であれば自宅近くの黒松というどら焼き」と返事をした。

「どら焼きは毎日、店の前に列ができています」とつけ加えると、ディレクターは「どら焼きにしましょう」と即答した。1個100円。

店の横を通ると黒砂糖の匂いが漂う。ヒョウ柄のような皮はマシュマロのような弾力がある。ただ行きつけのサンドイッチ屋の店主は言う。

「昔はもっと大きかったし、手焼きだったんだ。中のあんこもたくさん入っていたしな。機械で焼くようになってから味が落ちたよ」

嫉妬がいくぶん入っているようにも思える発言だったが、反論しなかった。午後の早い時間に売れ切れてしまうことも多く、最近はつねに列ができている。

私はいつでも買えると思っているので、列には並ばない。だから、このところ買う機会を逃しており、食べられない日が続いている。

ただ食べないとどうにかなるほどの禁断症状もでないので、相変わらずおあずけ状態がつづいている。

小さな夢

小学6年生の時だった。先生が「将来の夢を絵にしなさい」と皆に告げた。

ほとんどのクラスメートは長い時間をかけずに絵を描きはじめる。私は絵がかなり下手だったこともあり、なかなか描きだせないでいた。というより、「何になりたいか」の答えがでていなかった。

周りの友人たちは宇宙飛行士やスチュワーデスなど、具体的な職業を描きはじめていた。

「どうしよう。本当にわからない」。正直な思いだった。

一流企業の会社員になることが夢ではない。科学者や研究者でもない。植木屋さん、、、でもない。スポーツ選手も無理だろう。何になりたいのか、分からなかった。

授業が半分ほど過ぎたころ、というよりお腹がへりはじめたころ、私は「ホットドッグ屋」を描いていた。自分でもまったく思いがけないことだった。

うまく描けなかったが、一応誰が観てもホットドッグ屋のはずだった。というのも、絵の中にホットドッグというサインを描いたからである。

それから3年ほどして、母親がいきなり東京都中野区の公共施設のなかで喫茶店をはじめることになった。父親は普通に会社員を続けていたので、経済的な理由というより個人的な興味からだった。

高校に入ってから、週末になると店にかり出された。最初は皿洗いをし、ウェイターを経験し、大学に入ったころには調理や店のマネジメントをするまでになっていた。

そこでホットドッグも出していたのである。純粋なホットドッグ屋ではないが、大学時代のある日、自分の机の戸棚からその絵がでてきたのを見て思った。

「クラスの中で一番最初に『夢』を実現したかもしれない」

誇らしくも何ともなかった。実現可能な小さな夢だったからである。

自分でもまったく予期せぬことを描いたつもりのホットドッグ屋の夢が、思いがけないことで現実のものとなっていた。

不思議なもので、その頃にはワシントンでジャーナリストになるという次なる夢が現れており、今にいたるのである。人生、どう転ぶかわからない。

ヒラリーの心の中

アメリカでは大統領や長官(日本の大臣)を経験すると、退官後は講演だけで十分に食べていける。

たとえばヒラリー・クリントンは、昨年1月に国務長官を辞したあと、講演1回につき最低20万ドル(約2350万円)をポケットに入れている。今年になってからは30万ドルに跳ね上がったとも言われる。

今年3月、ヒラリーはカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)で講演をした。ワシントンポスト紙によると、大学側はヒラリーが国務長官を辞めた直後に講演の依頼をし、ほぼ1年たってにようやく実現したという。

大学側はヒラリーの代理人に対し、「教育機関なので講演料は勉強して頂けないか」と打診したらしいが、講演料は「正規料金」のままだった。

しかも、ヒラリーの要求は詳細におよんでいた。講演時、ステージの上に常温の水と切ったレモンを置くこと。控え室には生野菜とフムス(ヒヨコ豆のペースト)を用意するようにとの指示もでていた。それだけではない。ステージの椅子に長方形のクッションを2個を備えてほしいという。さらに予備のクッション2個も控え室に用意してほしいとの依頼だった。

写真撮影の条件等も細部にわたっており、ヒラリーが本当にこれだけ細かい指示をだしているのか、それとも代理人の要求なのか定かではないと大学側も首をかしげたという。

一般的に日本よりも細部への気配りに無頓着なアメリカで、この用意周到さはいったい何なのか。前国務長官という公職にいた人間であったとしても、30万ドルを支払わせた上で、さらに自分の要望をすべて受け入れさせるという性行はいくらアメリカでも強欲と捉えられる。

国務長官として世界中を飛び回り、これ以上ないほどの接待を受け続けるとこうなるのか。

大統領になったとしても年俸は40万ドル。これから彼女に公職は務まるだろうか。(敬称略)

hillary1.jpg

2013年1月のヒラリー

by the State Department