真っ先にやること

衆議院選挙の公示後、日本維新の会の橋下がツイッターで他党を批判した。

日本の選挙ルールではツイッターやブログなどを公示後に使用してはいけないことになっているが、今の時代にネットを使用できないと規定することの方がナンセンスである。この点で橋下の怒りは真っ当である。

規則やルールに従順な日本人は、公職選挙法第13章第142・143条に定められた「文書図画の頒布・掲示」の制限に従うべきであると考えがちだ。

だが、この法律は1950年(昭和25年)に発布されたもので、もちろんインターネットは立案者の念頭にない。

「とりあえず、ネットの使用は様子をみますか」的な事なかれ主義が官僚と議員の中にあり、60年以上前に決めたルールに長い間インターネットを閉じ込めてきた。

内情をのぞくと、2010年の参院選前に各党でネット解禁の合意がとれていたが、実現できていない。動かなければ、何もしてないに等しい。

そのほかにも選挙活動をする上で、日本の法律はあまりに縛りが多すぎて、日本社会の縮図のような気もする。自由を奪われながらというより、自らの自由を奪うことで喜びを見出すような気質があるように思えてならない。

「20年前からやるべきだった」とは言わないが、いちはやく法改正しなくてはいけない。(敬称略)

魂の遺跡

今年もいろいろな土地を旅してきた。

ふり返ると、高校一年の時に沖縄に旅にでて以来、大げさな言い方をすると「日常生活からの脱出」を絶えず試みてきたということである。

友人や伴侶と旅をしたこともあったが、基本的には一人である。いや旅は一人でないと魅力が半減する。今あらためてそう思う。

それは立ち止まる自由と突き進む自由をものにできるからである。石畳の路傍を進みながらふと歩をとめて、街の中に身を溶かす。それが20秒の時もあれば、5分の場合もある。

逆に、勝手気ままに3時間も歩きつづける時がある。それは時間を自分のものにするということである。

旅には生産性がともなわない。時間と資金を使うだけである。ところが都市での日常生活は金銭を得るための生産性が求められる。

歴史ある土地に降り立った時は、時間と空間が心の中で幾層にも折りかさなり、眼にみえない「魂の遺跡」と呼べるような残影を感じることがある。

それは何も浮遊霊といった怖気をいだかせる類いのものではない。皮膚だけで知覚する過去の厚みである。

その時ばかりは大脳はサイドラインの外側に控えてもらうしかない。

感じるだけである。それが私の旅の流儀である。

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Back street in Paris

自民はもうイヤ、民主はもういい、でも他に何が

過去1ヵ月ほど、アメリカ大統領選のことばかりを書いてきた。選挙が行われたのは今月6日だったが、もう数ヵ月前のことのように思える。

目の前には日本の総選挙が迫っている。

実は10月下旬、政治家を交えたいつもの勉強会で、自民党の大物議員を招いた。テレビによく登場するその議員は腰が低く、言葉使いも丁寧だ。それは表面的なものではなく、すでに本人の皮膚のようになっていることはしばらく歓談すればわかる。

個人的にその議員を推すかと問われれば「ノー」だけれども、人物としても政治家としても一翼をなすだけの男だった。オタクとしての素養は政策通として知られるだけのことはあり、いずれは首相になる人かもしれない。

ただ14党が乱立した次期選挙は、すでに日本の議会制民主主義が機能していないことを物語っているようだ。特に行政機能が弱すぎる。それは本来法律を成立させるために仕事をする国会議員が官僚に法案作成のほとんどを任せ、行政分野においても官僚に牛耳られているという体たらくに一因がある。

議員たちは自分たちの生き残り(選挙でいかに勝つか)が最大の関心事で、「国民のため」という前提がすでに理想になって久しい。

たぶん小沢一郎が本気を出していれば、岩手をはじめとした東北地方の復興ははるかに進んでいたはずだ。他の政治家も、東日本大震災の復旧・復興をスピーディーに行うとは言っても言葉だけに終わっている。

12月の選挙でも結局は答えがでないのである。(敬称略)

グースバンプ!

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歳を重ねるごとと、物事にだんだんと感動しなくなっている自分がいることに気づく。ましてや鳥肌がたつほどの感動など、そう簡単には訪れない。

11月15日にアップした「世界の街角から」で訪れたモスク(窓の遙か向こうに見える6本の尖塔のモスク)。

エジプトのピラミッドやペルーのマチュピチュは到着する前から脳内にイメージが出来上がっていたので、実物を見ても「確かに壮大だ、、、、すごい」という反応だったが、写真の「ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)」の中は想像できなかった。だが一歩入るや否や、両腕から背中にかけて鳥肌がたった。

音楽や映画などではたまに鳥肌ものの作品にであうが、建築物から鳥肌を「いただいた」のは本当に久しぶりだった。

1616年建造。青を基調にした2万枚以上のタイルが使用されているオスマン調時代の傑作だ。

「グースバンプ(鳥肌)!」

ゴジラ出現

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東京日比谷に現れたゴジラ。身長20メートルを超える、、、、「超えない超えない」。

知る人ぞ知る日比谷シャンテ(東宝日比谷ビル)の北側に建つゴジラ像。実際には1メートルにも満たないほど。1995年建立。